第二章 友達の定義とは

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 【3】狂嵐(きょうらん)の予兆 ――遅い、遅すぎる。  学校の最寄り駅から、徒歩五分のところにある貸しスタジオ「AVENUE(アヴェニュー)」の一室で、彰は待ちぼうけをくらっていた。  鋭い眼光の先には、一向に鳴る気配のないスマホが置かれており、先程から険しい表情で画面を見つめている。  事前に約束していた時刻はとうに過ぎ去り、かれこれ一時間ほどが経過していた。  現在、飛鳥と一緒にいるであろう人物の顔を思い出し、苛立ちを抑えきれずに心の中で悪態をつく。 ――クソッ、あいつのせいで予定が狂っちまったじゃねえか……。  爪の先でコツコツとテーブルを叩いている。  そんな彰の他には、彼と同年代の男が二名、向かい側の広々とした空間に腰を据えていた。 「まあまあ、落ち着けって。オレら以外にも友達ができたのは、いいことだろ?」  ひんやりとした板張りの床の上であぐらをかきつつ、呑気にポテトチップスをつまんでいる茶髪の男が、のんびりとした口調で言った。  このスタジオは土足厳禁なため、室内用の真新しいスニーカーを履いている。 「……確かにそうだけどよ。相手があいつだぞ?」 「ふぁいつ?」  あいつとは誰だ、と行儀が悪そうに口を動かしながら尋ねる。口内に残っているにも関わらず、なおも袋に手を伸ばしてガサゴソとあさっていた。  彼の周りには、既に空になった袋や箱の残骸が広がっている。 ――成長期かよ……よく食うなぁ。  だがもう背は伸びないと思うがな、と内心つけ足し、一回りほど体格が小さい彼の食いっぷりに感心する。 「……ケン、食いすぎ。夕飯入らなくなる」  茶髪の隣に座っていた男が、無愛想に注意した。  ケンはごくんと飲み込んで言い訳を零す。 「昼飯食いそこねて、腹ペコペコなんだよ……」 「昼休み、期限の過ぎたプリントやってたからでしょ」  自業自得と一蹴し、菓子を取り上げる。彼は頬を膨らませて「ユキのケチンボ」と文句をたれた。 「……今日の夕飯、ケンの好きなハンバーグだから、我慢して」 「マジか! それを早く言えよ〜」  だったらいくらでも我慢できるぜ、と顔を輝かせた。  一方、譜面を眺めていたユキは、白いマッシュヘアをかきあげてテーブルの方を見やった。 「……あいつって?」  その言葉で、さっきまでの会話を思い出したのか、続けてケンも口を開く。 「あ、忘れてた……なあ、一体誰なんだよ」  まったく検討がつかない二人に、彰は吐き捨てるように相手の素性を明かした。 「東道グループの跡取り息子だよ」  予想の斜め上をいく相手に、ケンはくりくりとした丸い両目を見開いて、声を張り上げた。 「東道グループ!?」  あまりの驚きで開いた口が塞がらないようだ。間抜けな顔を晒したまま固まっている。  ユキは譜面を床に置き、ケンの口元についているポテトチップスの破片をつまんで、己の口に持っていった。 「お、おう……あんがと」  破片を舐め取って、あの成金かと呟いた。 「そう、あの"成金"だ」  心底嫌そうな表情で繰り返す。  違う学校に通っている彼らにも噂が広がっていることから、悠介の普段の行いがわかるだろう。 「御曹司と飛鳥って……どんな組み合わせだよ」  苦笑するケンに同意する。 「お前らには言ってなかったんだが……その成金野郎に、飛鳥の歌ってるところ見られたんだよ」 「……マジで? えっ、ヤバくね?」  オロオロとする彼に対し、ユキは落ち着いた様子で、大丈夫なのかと彰に問いかける。 「あぁ、特に言いふらすこともなかった。ほんとに何考えてんだかわかんねえ……でも、飛鳥に何かしてやろうとか、そういうのじゃねえんだよなあ」 「……もしかして、ただたんに友達になりたいんじゃね?」 「まさか! タイプが違いすぎるだろ」  ハッと鼻で笑う。  俺らも、とユキが言った。 「まあ、そうだけど……俺たちには、飛鳥が必要な理由があるからな」 「確かに」 「あいつには必要ねえだろうに……っていうか、ほんとに遅いな。まさか、今日の練習忘れてんじゃねえよな?」  彰の顔に心配の色が浮かぶ。 「その御曹司と話し込んでんじゃない?」  サラリとケンが受け流す。 「いやいやねぇだろ! 成金と俺らじゃ、住んでる世界が違うだろうが……しかも飛鳥だぞ。ろくに話せねえのに、取って食われたりされてなきゃいいんだが……」 「そんなに心配なら、見に行ったらいいじゃん」  それを聞いた彰は、無言で立ち上がりスマホを掴んでポケットへとしまい込んだ。 「え、マジで行く気?」  過保護だなーという彼の台詞を聞き流して、鞄を手探り寄せる。 「……オカンだな」  ぼそっとユキが呟いた。 「でもさ、ここで彰が二人の間に水差すのは、あんまりよくないと思うんだよねえ……」  今にも出て行きそうだった彰はピタリと足を止め、聞き捨てならないといった風にケンを見やる。 「だってさ、せっかく新しくできた友達だぜ。いつまでも、オレたちとばかりつるんでちゃ、ほんとの意味で飛鳥にとってよくねえよ。ここはさ、あいつのためにもほっとこうぜ。ほら、よく言うじゃん……"かわいい子には散歩させろ"ってやつ」  言い間違いにユキが横槍を入れる。 「それを言うなら、旅」 「そうそれ!」 「……わかったよ」  口ではそう言っているが、納得行かない様子だ。  彰は渋々と引き返し、ふてくされた顔でパイプ椅子にドカッと腰をかけた。 「……飛鳥を泣かせたら、ただじゃおかねえ」  おぉ怖っ、と大げさにケンが両肩を抱く。 ――それまでは、口を出さないでいてやるよ。   ***  結局、飛鳥がスタジオに飛び込んで来たのは、それから一時間後のことだった。 「お、遅くなりました……」 「遅すぎだ。何かあったんじゃないかって、心配したんだぞ…! メールの一本くらい寄越せよ!」  仁王立ちをしながら、鬼のような形相で詰め寄る。 「……ご、ごめんなさい」  しゅんと身体を縮ませる飛鳥と、怒気迫る彰の間にケンが割り入る。 「まあまあ、そのへんにしてさ……ほら、早く始めようぜ」  時間がもったいないし、とベースを肩にかける。 「そうだな……今は練習だ。飛鳥、お前は後でお説教だ」 「……はい」  ますますしょげかえる飛鳥であった。
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