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「好きになれない、と言いますのも、空ではなく水面に映る月を眺めていることと関係があるのですか?」
男が尋ねると、初老は目を細めて笑った。
その笑みは愉快なものとは違い、仲間を見つけられた喜びのようであった。
「聡いですな。とはいえ、聞いて楽しい話でもありませんよ。
私は昔、空に浮かぶ月を綺麗と言ったことがあるのです」
初老は喉を潤そうと、瓢箪から盃へ酒を酌んだ。それを一息に呷ると、静かな水面を眺めながら話を続けた。
「ですが、もうあの月はなくなった。今のこの月は、あの月の紛い物のようにしか思えないのです。
昔の事は忘れろ、しっかりと今を見つめろと言われたことは、何度もある。私もそうするべきだと思うこともあった。
……それでもやはり、こうして月見酒をするだけでも、この月は見られない。違う月を、綺麗だと呼びたくないのです」
男は初老が語り終えるまで、酒を一滴も口にすることなく耳を澄ませた。
初老がまた一口呷るのに合わせ、男も自前の酒を瓢箪から直に呷った。
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