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男は身体に火照りが回るのを感じた。何分、この男は酒にはそう強くないのだ。
だがそれでも呷ったのは、気恥ずかしさを振り払うためだった。
「それでよいのだと思いますよ。
……私はあなたのように、素直にはなれなかった。美しく 欠けた月を見たのに綺麗だと言えないまま、その月は雲に隠れてしまった。
他の人がその月を綺麗ではないと言っていただけでつまらない意地を張り、綺麗だと言うことができなかった」
初老は男の言葉に、豆鉄砲を食らったように驚いた。
その顔を見て、男は予想通りだと言わんばかりに笑った。
「だから私は今も、今浮かぶこの月に綺麗などと素直に言えない。
いつまでも、二度とない、あの日の欠けた月に思いを馳せては酒を呑み、酔っているのです」
「それを、間違いだと言われてもか?」
「酒の呑み方に間違いなどあるものでしょうか。
私は過ぎた事を思って酒を呑み、己の恥を泣き────それでも、あの欠けた月の事は忘れたくないのです」
初老は男の考えを聞き、黙って水面を睨んだ。
──自分は、昔のあの月の事を思うばかりに、今浮かぶ月と向き合えていない。それは、とても失礼なことなのではないだろうか。
そんな思いが浮かんだ。
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