垂れ幕事件

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「元に戻したのは瑞原さんだよね」 「……式が始まる直前まで、垂れ幕を探すふりをして二階に残ってたの。廊下と教室を行き来するだけならすぐだし……もともとサプライズで校長先生に花束を渡す役だったから、少し遅れてステージ裏で待機してても不自然じゃなかったし」 「卒業生の目撃情報とも一致するね」 「どうせなら、私が戻すところまで見てくれてたら良かったのに」 「いいの? 怒られても」 「その方がずっと楽だよ」  どんなに騒ぎが大きくなって、たとえ式が中止になったとしても、廃校という事実は変わらない。だとしたら、みんなで用意した別れの場所を潰してしまう方がずっと罪深いだろう。さよならも言えずにさよならを迎える方が、きっと苦しい。  白いモルタルの壁に触れると、ざらりとした砂のようなものが手についた。同じ素材で作られた東側の壁は特に脆くなっていて、いくつもの亀裂が入っている。たとえ廃校を免れたとしても、結果はそう変わらないだろう。 「本当に、今にも崩れてきそうだ」 「……だから危ないって言ったでしょ? 先生にも近づくなって言われてるの。来年の春にはプールや体育館と一緒に取り壊される予定だし」 「でも、中学校の校舎は残るんだよね」 「誰に聞いたの?」 「多田先輩。文集係のことを教えてもらった時に、色々聞いたんだ」  そっか、と私は小さな声で呟いた。私の知らないところで、二人はとっくに仲良くなっていたらしい。だったら今日も、私なんかじゃなくて穂乃花ちゃんに同行してもらえば良かったのに。  心に広がる荒波が、大きな音を立てて渦を描いた。 「残るって言っても、ずっとじゃないよ。いずれは中学校の校舎も取り壊される予定だから」  自分で放った言葉の痛みに、いよいよ逃げた出したくなる。  来年のことも聞きたくないのに、もっと先の話なんて口に出したくもなかった。 「それでも、遊具は残るんじゃないかな。あと、チャボ小屋もね」  根拠もない綺麗事を並べて、上を向いた一ノ瀬くん。すっかり晴れたね、と呟く声は明るく、邪魔な傘の煩わしさも感じていないようだ。  私は正反対に俯いて、重たい鞄を握り締める。  ぬかるんだ地面に続くのは、歩幅の違う二人の足跡だった。
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