遠い海

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 勢い任せに学校を出て裏山に辿り着いた私は、狭い石段を無心で駆け上った。周囲にはうっそうとした木々が生い茂り、山特有の濃い土の匂いが立ちこめている。  足が痛くなっても、息が上がっても気に留めないで先へ進む。薄暗いトンネルのような階段の先に見えたのは、青々とした蔦が絡む古びた鳥居だ。その出口のような入り口に立つと、夕焼けに染まる小さな境内が視界に飛び込んできた。住職のいないこの場所は今、稲刈りが終わった頃に行われる初穂奉納に使われているだけだ。  私は神社の脇を通り抜けて、ほこらが並んでいる裏手の崖に立った。  家からも学校からも見えない山の反対側の景色は、何度見ても新鮮だ。  背後に広がる現実も、ここからは何ひとつ見えない。崖の先には川が流れ、その向こうには更に深い山々が広がっている。私の目的は、その山と山の隙間にあった。 「……良かった」  今日は遠くまでよく見える。  隙間を埋める街並みの奥には、小さじ一杯ほどの海が広がっていた。  本当にどうしようもなく息苦しいとき、私は人知れずこの場所を訪れる。海の先を想像するだけで、自分が取り戻せるような気がした。沈みゆく太陽が膨らみ、山々が夕日に燃える。 「瑞原さん」  突然の声に振り向くと、肩で息をしている一ノ瀬くんが安堵した様子で眉尻を下げた。
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