遠い海

8/11
前へ
/157ページ
次へ
「ここは空気も綺麗だよね。あんなに遠くまでよく見えるなんて……」  唐突に話題が変わったせいで、私の心に違和感だけが残る。しかし彼が話してくれる以上のことを、わざわざ尋ねる勇気はなかった。 「景色の良い場所なら、東京にもたくさんあるんじゃない?」 「うーん……あったかなぁ。去年の今頃は、一人でスカイツリーに登ってたけど」 「いいなぁ、スカイツリー!」  今朝もニュース番組のお天気コーナーに映っていた。あの壮大な景色の中に、一ノ瀬くんは立っていたんだ。 「別に、良い思い出じゃないけどね。家も、学校も、塾も、全部嫌になって……一人で逃げ出しただけだから」 「まるで、今の私みたいだね」  自嘲めいた発言の受けて、彼の表情がわずかに曇る。 「単純に、一番高いところに登りたかったんだ。そこから、丁度良い逃亡先を探そうと思ってさ。大人の目が届かない、秘密基地みたいな場所で一生暮らしてやるって、本気で思ってた」    淡々とした、それでいて酷く寂しげな彼の声が私の胸を打つ。  東京の話をしている時の一ノ瀬くんは、迷子になって途方に暮れた子供のような顔だ。 「そんな高い場所からだと、探すのも大変そうだね」 「いや、探すまでもなかったよ」 「え?」 「全然見えなかったんだ。街も空もなんだか霞んでて、ぼんやりしてた」 「……曇ってたの?」 「いや、よく晴れてたよ。すごく良い天気だったから、余計にがっかりしてさ……。ごめん、こんなつまんない話」  ううん、と首を振った私は、この神社へと足を運んだ日々を思い返す。
/157ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加