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優しかった幼稚園の先生が結婚した日、喧嘩したまま仲直りできずにいた友達が引っ越していった日。廃校を知らされた朝は、前の晩に降った雨が綺麗に上がってどこまでも澄み渡っていた。
「一ノ瀬くんの言う通り、ここは景色がいいし遠くまでよく見える。でも……どんなにはっきり見えても、行けないなら同じことだよ」
むしろよく見える分、期待だけが膨らんで打ちのめされてしまう。あの海も、そこにある街も、私には遠すぎる。
「海水浴も、幼稚園の頃が最後だったなぁ」
「僕も、そんなもんだよ」
「東京の海?」
「いや。湘南の方だよ。東京には……たぶん瑞原さんが想像してるような海はないんじゃないかな。お台場には何度か行ったけど……人口浜だし、濁ってるし、目の前はビルばっかりで、何より泳げないしね」
「でも、やっぱり行ってみたい。遠くに見えるあの海にも、本当はずっと行ってみたかったんだ」
「じゃあ、今度行ってみようよ」
振り向きもせずに提案する一ノ瀬くんの横顔が、身を隠す寸前の目映い夕日に照らされている。
「そんな気軽に行けるような場所じゃないよ」
「そうかな?」
「バスで麓に下りると、丁度海の反対側に出ちゃうでしょ? そこから別のバスに乗り換えて山をぐるっと迂回して、途中から電車に乗り換えて……何時間かかるかもわからないし」
まるで幻みたい、と言うと、ようやくこちらを向いた一ノ瀬くんと真っ直ぐに目が合った。
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