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綺麗に咲いた桜も、この雨で散ってしまうな。 金曜日の夜、急に強く降り出した雨に戸惑う人達を横目に、鞄から取り出した折り畳み傘を広げ家までの道のりに足を踏み出す。 駅から家までは徒歩10分程度だが、所々ピンク色になった道を進む足取りは重かった。 まだ冷蔵庫にビールあったかな? そんな事をぼんやり考えていたら、前からずぶ濡れで俯き歩く男が目に入ってきた。 雨宿りするなり、コンビニで傘を買うなりすればいいのに。 走ることもせず、濡れることを望んでいるようにゆっくり歩いている姿に、なぜか目を奪われていた。 すれ違いざま、ピカっと光った雷に顔を上げた男の顔を見る事ができた。 髪の毛ではっきりと顔は見えないが、やっぱりそうだ。 俺の知っている顔だ。 そう認識したと同時に、気がついたら俺の右手はその男の腕を掴んでいた。 雨の中を濡れながら歩く姿に同情した。 顔見知りだから放ってはおけなかった。 後から理由をつけようと思えば何とでも言えるが、思いを巡らせるよりに先に身体が動いてしまった理由は説明できないだろう。 いきなり腕を掴まれた事に一切動揺する事もなく、俺の顔を見た男は小さく微笑み 「結城さん、僕のこと拾いませんか?」 と言った。 雨音にかき消されそうな弱々しい声で言ったその言葉の意味を理解するのに少し時間がかかった。 冗談で言ってるようには見えない。 何と言葉を返せばいいのか考えようとしているはずなのに、俺の口からは 「うちにおいで」 という言葉が出ていた。
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