星に約束を

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 水色の透明なゼリーを一口食べると、ソーダの爽やかな風味が鼻から抜ける。給食では子供達に不評で、余ったゼリーを家に持ち帰ったのだった。  子供用の小さなカップはすぐに空になるが、それだけは成人のお腹は満たされない。 『今日は七夕で流れ星も見られるはずだったらしいですね』  女性アナウンサーが残念そうに天気予報士に相槌を送っている。  外から雨がベランダの地面を激しく打ち付けていた。その様子をただぼうっと眺めていた。冷えきっていないクーラーの風が頬に引っ付いた金色の髪を頬から離す。 「一人暮らしってそんなに湿っぽいものなの?」  可愛らしい女の子の声が耳元から聞こえ、菜珠葉は目を見開いた。もうずっと昔によく聞いた懐かしい声。ピンク色のワンビースがくるくると回るところはまるで花が咲いたようだった。 「……凛ちゃん……」  凛、と呼ばれた少女は背丈が百センチちょっと小柄だった。丸い膝小僧を落として座ると、ニコリと笑顔を見せた。両唇の上に小さな窪みが出来ている。あの頃と全く変わらない可愛らしさに菜珠葉の胸の奥でパチパチと熱いものが弾ける。 「毎年、悲しそうな顔をしないのっ!する子にはほーらー!」 「ふはっ、わか、分かったってば……っ!」  菜珠葉の大人の体に六歳の小さな両手がこちょこちょと回る。菜珠葉にとってくすぐりの刑は今になっても苦手で、静止の声を出しながら笑いが止まらなかった。  くすぐりの刑が終了し、くたくたになった体を整えた菜珠葉は冷蔵庫から白の箱を持って戻ると、凛は余ったゼリーを食べていた。 「んえ、なんかすーすーする……」  赤色の舌を出し、苦虫を噛み潰したような顔をする。やっぱり子供は苦手なのかな?と改めて菜珠葉は思った。 「はーい、誕生日ケーキだよー」  しかし、そんなご機嫌ナナメな顔も白と赤で美しく輝くケーキを前には花を咲かせた。 (凛ちゃんはやっぱり、楽しい子だなあ……) 「ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデーディア……」 「なーちゃん」 「凛ちゃん」 「ハッピーバースデー、トゥー……ユー、おめでとう!」 「おめでとう!」  大小違う手を互いに叩き、六つあるロウソクの火を小さなすぼめた息が消していく。 「あたし、おっきいのがいい!」 「うんうん。まだ残ってるから沢山食べてね?」  五号のケーキをまずは二つ切り分け、ショートケーキにして少女の皿に乗せる。 「いただきますっ!」 「いただきます」  先のところを慎重に銀のフォークを下ろしていき、大きな口を開けて一口。凛の大きな瞳の星が輝いた。それからまた一口、一口。頬が桃色に染まり、横に伸びていた。 「ここのケーキ、美味しいよね」 「美味しいね!」  甘さ控えめの生クリームは後味さっぱりしているのに、ふわふわしている。スポンジもシンプルに美味しく、大粒の苺がとても良く、あまのがわ幼稚園の御用達のケーキ屋であった。  自分のところの苺を凛に差し出そうとすると、彼女はそれを頑なに拒否した。 「なーちゃんの誕生日でもあるから、だーめ」  手を菜珠葉の前に出して顔を振るが、口いっぱいに生クリームを付けてチラチラと苺を気にする様子では矛盾していて菜珠葉はおかしく思えた。本人は至って真面目なので、不機嫌にならないように笑いを堪えた。  凛の残した二つ目のケーキを食べ終わると、菜珠葉の足元に凛がやってきて同じ方向に彼女も足を伸ばした。 (大人の足と、子供の足って全然違うんだ。不思議な感じがする)  菜珠葉の膝小僧にも届かない凛の足。五歳の姿だから仕方ないが、同い年である彼女より成長してしまったことに菜珠葉はモヤモヤしたものを感じた。すると、凛の爪先がツン、と菜珠葉の腿に当たる。少女の足は交互に上下に動き、爪にはルビー色が塗られている。洗っても落ちないネイルだった。 「なーちゃんは今年はどんな一年にしたい?」 「今年、か……」 「なにかあるじゃない?ほら、お偉い人になりたいーとか、プリンセスになりたいーとか」  凛が上向きになり、菜珠葉はぶつからないように顔を引く。 「それは凛ちゃんの、でしょう?」 「あはは、あったりー」 「うーん。夢とか、したいこととかよく分からない……よ」 これも本心だった。三十路の自分には叶えたい望みなどないに等しい。オンオフが違う、と奇跡的に一週間続いた元カレの評価は正しいと菜珠葉は思う。 しかし、午前中にきららに対して言ったことも思ったことも本心で、『それとこれとは違う』という認識だった。 「ふーん。じゃあ、とりあえず健康でそれなりに過ごせたらいいよね」  曖昧な答えを聞くも、凛は納得して菜珠葉の胸に頭を預けた。小さな彼女にとっては気持ち良い枕でもある。凛の返事を聞き、菜珠葉の眉間の皺が和らいでいく。同時に、絡まったダマも解かれていくようだった。 「私、凛ちゃんのそういうところ、大好きだよ」  少女の体はあっという間に腕に包み込まれてしまう。その温かさには菜珠葉だけでなく、凛も心地良さを覚えていた。
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