神に仕う女

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神に仕う女

  「シスター・アイズ!どこにいらっしゃるのですか!」  王都にある最も大きな教会の、最も大きな塔の中。一人の女騎士が声を上げる。 「シスター・アイズ!……もしや、また懺悔室に行かれたのか」 「サナ、私は此処にいますよ」  塔の端にある柱の後ろから声が聞こえる。サナがそちらを振り向くと、そこから一人の少女が歩いて現れてくる。 「シスター・アイズ!なにをしていらっしゃるのですか!もうじき出陣でございますよ!」 「……そう、ですね。ねぇ、サナ」 「なんでしょうか」 「……何故、人間はこうも醜いのでしょうか。同じ過ちを繰り返し、数多の命を奪い、憎しみに身を焦がれ、悲しみに引き裂かれる。……私にはそれが、理解できないのです」  シスター・アイズはサナの方に歩きながら、悲しそうな表情でそう問いかける。 「……お言葉ですが、それほど愚かな質問は他にないかと。それに、貴方はそんな人間たちを救済する立場にあられます。人間が愚かであるから、貴方が貴方でいられるのです」 「……本当にそうなのでしょうか。私にはとても理解しかねます」 「さぁ、早く行きますよ。今こうしている間にも、貴方の救済を待つ人が増え続けているのです」  サナはシスター・アリスと軽々と抱え、塔の扉を開けると走って教会の敷地外に止めてある軍用馬車に駆け込む。がたんがたんと揺れる車内で、シスター・アリスはぼーっと窓の外を眺めている。 「……今日向かう戦場は北方戦線にある要塞でございます。帝国側の守りが堅く、我々王国軍による攻撃が二ヶ月も続いているにも関わらず、一向に陥せる気配すらないとのことでございます」 「……そう、ですか」  シスター・アイズは窓を眺めながら、憂いを帯びた表情で短く答える。 「シスター・アイズ。貴方のしているは多くの王国民を救うことにつながっているのです。気に病む必要などありませんよ」 「では、帝国の方々は―――」 「シスター・アイズ。貴方に仕える立場とはいえ、仮にも私は騎士団長の身。発言にはお気をつけを」  少し強い口調で、サナはシスター・アイズに忠告する。小さな身体をビクッと震わせ、シスター・アイズは沈黙。 「あの山の麓の集落が見えますか?」  ふと、窓の外に目線をやったサナが口を開く。視線の先にあるのは、広い広い草原や小川、その先には山々がそびえている。その山の麓に小さな集落があるのを、目の良い二人は捉えていた。 「はい、見えますよ」 「あの集落にも、貴方のような小さな少女が暮らしているのです。勿論、その母親や父親、兄弟から祖父母までいるかもいれませんね」 「……そうですね?」  サナが何を言わんとするのかを理解できず、少し困惑の表情を浮かべるシスター・アイズ。 「その少女の想い人や、もしかしたら王都に暮らす者の愛する者や家族まで居るかもしれません」 「サナ?どうしたのですか。貴方が饒舌になるなんて」 「―――先日、私の故郷は帝国軍によって焼き払われました」 「―――っ!」  顔色一つ変えずそう報告するサナとは正反対に、シスター・アイズは悲痛そうな表情を浮かべる。 「家族がいました。なんとか生き延びた者から聞いた話ですが、母親と妹は、帝国軍によって連れて行かれたそうです。きっと今も穢らわしい男どもの慰み者にされていることでしょう」 「そん、な……」 「父親は死んでいました。名前も知らない少女の上に覆い被さるように倒れていました。恐らく、その少女を守ろうとしたのでしょう。我が父ながら勇敢で誇らしい散り方です」 「サナ、も、もうよしてください。私にはそのような話は―――」 「貴方が―――!」  突如声を張り上げるサナに驚き、瞳に涙を浮かべるシスター・アイズ。シスターというより、年相応の少女の様な反応。 「……申し訳ございません、失礼な真似を」 「い、いえ、気にしないでください」 「ですが貴方は何も知らないのです。恨みも、怒りも、悲しみも。貴方に向けられる眼差しの意味も」 「それはどういう……」 「貴方は何も考えずに敵を屠ればよいのです。埃を払うように。それが貴方の使命なのです」 「……はい」 「貴方はただ王国民を獣から守っているのです。気にすることなどありません。……神もその善行にいつか報いてくれるでしょう」  再び静まる車内。がたんがたんと揺らされながら、移り変わる風景をぼんやりと眺めているシスター・アイズ。対面に座っていたサナはそんなシスター・アイズの隣に移動する。シスター・アイズの頭を自らの腿の上に乗せ、髪の毛をいじるサナの姿は、まるで子供を慈しむ母親のようだ。  馬車が止まり、サナがドアを開ける。 「到着しましたね。王国軍の北方戦線本部でございます。護衛隊と司令部の準備が出来次第、出陣になります。あちらのテント内か、その周辺でお待ちください」 「分かりました。サナはどちらへ?」 「私は参謀本部へ連絡を」 「そうですか。お気をつけて」  サナは歩いて奥の方にある大きなテントへと向かっていく。少しその背中を眺めた後、シスター・アイズも指示されたテントの方へと歩いていく。 「お?お前、もしかして"救国の天使"サマか!?」 「おお!やっときてくれたのか!これでやっとあの要塞が落とせるんだな!」 「頼むぜ!もうあの要塞を見るのはこりごりなんだ!」  そんなシスター・アイズを見つけて嬉しそうに声をかけてくる騎士たち。 「そ、そんな大層な者ではありませんよ。私に出来ることをやっているに過ぎません」  そんな騎士たちを見て、少し嬉しそうに、シスター・アイズはそう答える。 「そんなこたぁねえだろ!あんたの奇跡で終結した戦闘の話は何度も聞いたぜ!」 「奇跡なんてそんな……。人を殺すことにしか使えない醜い力ですよ」 「いいじゃねえか!それで俺たちゃ救われてんだからよ!俺たちにとっちゃ神様みてえなもんだ!」 「おい!お前ら出陣前に騒がしいぞ!」  その騒がしさに反応してテントから一際大きな身体をした男が現れる。その男を見て、シスター・アイズを囲んでいた騎士たちはそそくさと自らの持ち場へと戻っていく。 「ん?団長の嬢ちゃんか。俺の部下が申し訳ない」 「い、いえ、皆さん優しい方でした」 「俺は護衛隊長を務めるシティだ、宜しく頼む」  シティと名乗った大男は、シスター・アイズの隣に腰を下ろし座り込む。 「よろしくお願いいたします。私はシスター・アイズです」 「ふん、名乗らなくたって知っているわ。"救国の天使"とはまた大層なもん背負っちまったな、嬢ちゃん」 「いえ、これも私の使命ですので」 「がははは!肝っ玉の据わったがきんちょじゃねえか!気に入ったぜ!」  笑顔で答えるシスター・アイズを見て大きな声で笑い出すシティ。シティは一通り笑った後、タバコを取り出し火をつけて、遠くの空を眺める。 「なぁ、嬢ちゃん」 「はい」 「この草原で、どのくらいの人間が死んでいったか知ってるか」 「……いえ、数千人、でしょうか……?」 「がははは!王都でぬるい生活してる嬢ちゃんはんなこと興味もねえってか!」 「い、いえ!決してそう言うことでは……」  少し刺々しい言い方のシティに、少し困惑するシスター・アイズ。 「……20万だよ」 「……え?」 「王国側の被害が12万、帝国側の被害が推定8万。まぁこの草原は広いからな、戦場は此処だけってわけじゃねえけどよ。この戦場でだけでも数千ってことはねえだろうけどな」  20万、そんな桁違いな数字を聞かされ、シスター・アイズは沈黙。 「なぁ嬢ちゃん、今のを聞いてどう思った」 「……とても、悲惨なのだなと感じました」 「そうか。お前の心は痛まなかったか」 「え?」 「『一人の死は悲劇だが、集団の死は統計に過ぎない』ってよ、いつかのお偉いさんの言葉なんだとさ。俺はよ、たしかにその通りだと思うんだ」  それを聞いたシスター・アイズは先ほどのサナの話を思い出す。そして、比較する。サナの家族が死んだと聞いたときの悲痛な感情と、20万人が死んだと聞いた時の感情を。 「俺もなんも感じなかったさ、20万って聞いたってよ。ただな、その中には俺の部下や同僚も含まれてるんだ。実際に目の前ではらわたを撒き散らしながら殺された時はどうにかなりそうだったよ」 「……」  シスター・アイズはぎゅっと拳を握りしめる。 「なぁ、もう一度聞くぜ、嬢ちゃん。この草原で20万の人間が失意の中命を落としてったんだ。嬢ちゃんはどう感じた」 「私は……私には、その質問に答える資格すらありません……」  シスター・アイズは悔しそうにそう答えるしかない。 「俺はよ、本当は今ここでお前を殺してしまいたいんだ」 「えっ」  平然と恐ろしいことを口にするシティ。 「確かにお前が奇跡を使えば、この戦場は一瞬で方がつく。だけどよ、それじゃああいつらの死が無駄だったってことになっちまうだろ」 「死が、無駄に……?」 「あいつらが、俺らが今まで戦ってきた意味はどこにいっちまうんだ?俺らが戦わなくても、お前が最初から戦場に出ていればよかったんじゃねえのか?」 「……」 「お前は俺たちがいつ死ぬのかもわからないような状態でいる時に、どこで何をしてた?お前がもっと早く来ていれば、無駄にならなかった命がたくさんあるんじゃないのか?力を持ってるのに使わないってのは、悪じゃねえのか?なぁ、"救国の天使"サマ、教えてくれよ」 「わ、私は……っ」  あくまでも冷静を装って語るシティだが、その言葉からははっきりと怒りの意思を感じる。シスター・アイズがその返答に困っていると、ふと背後から声が聞こえる。 「―――あまり虐めないでくれるか、シティ」  冷たい声色で、シティへの怒りを露わにするサナ。 「がははは!団長か!いえ、なに、少し世間話をしていただけですよ。さて、じゃあな、嬢ちゃん。また後で。勝利をもって、あいつらの死を意味あるものに変えてくれることを願ってるぞ」  シティはそう言い残すと、元いたテントの中へと帰っていった。 「……サナ、私は本当に正しいことをしているのでしょうか。この力を使うことは、正しい行いなのでしょうか」 「迷うことはありません、シスター・アイズ。貴方が力を使わなければ、今後も死者は増える一方なのです。……それに、貴方がそんな迷いを捨てていたら、助かっていたかもしれない命だってあるのです。私の家族だって……いえ、これは関係ありませんね、どうぞお忘れください」 「……私には、この力が正しいのかどうか分かりません。ですが、救済を求める人がいる限り、私はやるべき事を為します」 「そうですね。それこそ"救国の天使"のあるべき姿です」 「団長、シスター・アイズ様、出発の用意が出来ました」  そんな事を話している二人に、若い騎士が声をかける。 「あぁ、すぐ行く」 「……サナ」  瞳に涙を浮かべながら、サナを見つめるシスター・アイズ。そんなシスター・アイズを、サナはぎゅっと抱きしめる。 「心配いりません。貴方は貴方でしかない」 「……はい、任せました」 「……行きましょう、シスター・アイズ」 「はい、サナ」  二人は護衛隊が待つ場所まで歩いていく。到着し、馬に騎乗するサナと、サナの前に抱えられるようにして騎乗するシスター・アイズ。サナとシスター・アイズは、騎乗したまま護衛隊の前に出ると、サナが話し出す。 「これより、敵の要塞が視認できる場所まで移動する。到着次第、奇跡による戦闘の終結をおこなって貰う。隠密行動で行くが、こちらが視認できる距離である以上、敵もこちらに気付く可能性も十分ある。その場合は各員、身を挺してこの少女を守れ。以上だ。総員、征くぞ!」 「おおおおぉぉぉぉ!!!!」  男たちは雄叫びと共に、一斉に馬を走らせる。サナとシスター・アイズの騎乗する馬を中心に、守るような陣形で目的の地へと向かう。 「総員、止まれ!敵要塞視認!こちらに気付く気配無し!これより、奇跡の行使を開始する!くれぐれも白い光に触れないように!嬢ちゃん、頼んだぞ」  銭湯で馬を走らせていたシティのアイズで全員立ち止まり、サナとシスター・アイズだけが馬から降りる。 「シスター・アイズ、始めてください」 「はい、サナ」  シスター・アイズは地面に膝をつき両手を握ると、要塞の方に向かって目を瞑り、祈りを開始する。 「主よ 我らを赦し給え 主よ 罪を赦し給え  真理の源 恵みの源 愛の源なる 慈悲深き全能の天主よ」 「まずい!敵に発見された!総員、陣形を整えろ!弓兵に留意しろ!」  シスター・アイズの祈りの途中、サナがそう声を張る。一瞬、硬直するシスター・アイズだが、すぐに自分の役割を思い出す。 「彼の者の犯した罪を 赦し給え 導き給え  此岸に於いて赦されざる罪を 彼岸に於いて救い給え  醜き我らを 悪より救いて 憐れみ給え」 「敵、接近中!数、凡そ300!」  シティが敵の人数を把握して報告する。 「死ぬ気で守れぇ!王国の未来がかかっているんだ!その為の精鋭部隊だろう!生きて帰れば英雄だ!」 「うおおおおお!!!!」  サナの声に呼応し、一斉に雄叫びをあげる。敵に場所が把握された今、もはや隠密行動を取る意味もない。シスター・アイズの隣に残ったサナを除き、全員が戦闘を開始する。 「嗚呼 主なる全能の神よ 聖寵を与え給え  我は主に仕える者 主に祈りを捧げる者 主を信じる者  天主よ 我らの為に祈り給え 我の言葉を受け入れ給え 歓びを与え給え  死を以て 彼らを救い給え」  剣と剣のぶつかる音が鳴り響く戦場の中、ただ主人に祈りを捧げるという異様な光景。シスター・アイズは体勢を変えずに目だけ開き、要塞を視界に捉える。自分を守る為に戦っている男たちの姿は、死んでいく命は、もうシスター・アイズの意識には入ってこない。 「煌めく天 希望の光 絶望の霞に裁きを」  突如として、空にあった雲が一切なくなり、要塞の上空に大きな光の輪が出現する。 「総員!生き残ることだけを考えろ!我々の勝利だ!」  それを見たサナが、そう宣言し、護衛隊の男たちの士気を底上げする。  一瞬の間を置き、シスター・アイズは最後の一言を口にする。 「―――救済執行」  シスター・アイズのその言葉と共に、大きな光輪から白い光が降り注ぐ。帝国の兵士たちが、まるで雑巾を絞るように捻じ切られて命を落としていく。触れた者たちの命を次々に奪っていく、絶望の光。 「ねぇ、サナ」 「なんでしょうか」 「……何故、人間はこうも醜いのでしょうか。同じ過ちを繰り返し、数多の命を奪い、憎しみに身を焦がれ、悲しみに引き裂かれる。……私にはそれが、理解できないのです」 「……」 「ねぇ、サナ」 「なんでしょうか」 「どうして―――人を殺すことはこんなに愉しいのでしょうか。こうして美しい光景を見ていると、私が私でなくなるようなのです。嗚呼、この快楽で狂ってしまいそうです」  頬を染めて、愉悦に浸りながら少女は人間の死を堪能する。 「神がそう望まれるから、ではないでしょうか」 「ふふふ、サナもそのような冗談が言えるようになったのですね」  楽しそうに笑うその姿は、至って普通の少女のものとなんら変わりない。 「貴方は、誰なのですか」  サナが少女にそう問いかける。 「ふふふ、誰でもいいでしょう?今はこの美しい光景を胸に焼き付けましょう?」 「……」  少女がじっと見つめるその先、要塞で次々に死んでいく人々。徐々に捻れていく最中の人間の悲痛な顔。少女は嬉しそうに見つめながら、こう呟いた。 「―――嗚呼、()の御加護があらんことを」
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