万華鏡の一日

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 目が覚めた時、辺りはまだ暗かった。胸のあたりがざわついて、真夜中だというのに頭は冴えていた。それでも、自分が子供の頃を過ごした部屋で布団の中にいるということに気がつくまで、少し時間がかかった。なにせそれは、何十年ぶりに見た場所だった。  なぜここにいるのだろう―そのことに疑問を持つよりも前に、布団から抜け出した老人は、立ち上がったはずの自分の目線がいつもより一段も二段も低いことに気がついた。驚いて頬を腕を触る。それは乾いてしわがれた、いつもの皮膚の感触とは違う、柔らかくて張りのある肌だった。 「もしかして・・・」  夢であることを疑うよりもまず、少年の体に戻っていることに老人は高揚していた。  すぐさま机のもとに駆け寄ると、引き出しの中から万華鏡を取り出した。眠る前、ひとしきり遊んだ後は、必ずそこにしまっていたことを老人は忘れていなかった。手に取った万華鏡の艶のある革は、まだあまり手になじまない。すべてが元に戻ったのだ―老人もとい少年はそう確信した。それならば―少年の体は考えるよりも先に動いていた。  少年は夜の通りを駆け抜けていた。寝静まった街と夜空に浮かぶ星たちが、次々と目線の端で移り変わっていく。握りしめた万華鏡の外皮をじんわりと汗が滑る。地面を蹴るたび体はぐんと前に進み、暖かい夜に吹き抜けていく風が心地よかった。久しぶりのようで、慣れ親しんだようでもある不思議な感覚だ。  友人の部屋の位置はわかっている。家の裏手に回り、こっそり窓を叩いた。いつもやっていた手順だった。しばらくして出てきた友人は始め怯えたようすであったが、少年であることがわかると、その顔に笑みが広がっていった。 「最後にお別れの挨拶がしたくて」  少年は息を切らせ、喉を詰まらせながら言った。
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