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1.モブ役者はイケメン俳優に慕われる
都心の高層マンションの窓からは、オフィス街のビルからもれる光がまたたき、遠くには臨海方面の光も見える。
夜景として見るには、実にロマンチックな光景だった。
しかも窓は、天井から床までの全面ガラス張りで、さえぎるものはなにもなく、思う存分その夜景を楽しむことができる。
それでいて近くには同じ高さのマンションはなく、プライバシーを気にする必要はない。
そしてリビングも、30畳は下らないだろうという広さがあって、置かれた家具もシックなモノトーンでまとめられたオシャレなものばかりだ。
さらに電灯色の間接照明なんかも、効果的に壁に配置されていて、さらにそのオシャレさに拍車をかけていた。
こんな部屋に連れてこられたら、ふつうの女の子ならイチコロなんだろうなぁ……。
というか本当に広くて、たぶんこのリビングだけで、僕の住んでいるアパートの部屋の間取り全部入っちゃいそうだよな、なんて思う。
置いてあるテレビの画面の大きさだとか、その背後の石目調の飾り壁とか、いちいち映えてカッコいい。
もう、いかにもお金持ちっていうか、人気の芸能人が住んでそうというか。
「どう、羽月さん、ここからの景色は気に入った?あんまりふだんは、ここでのんびりしてることはないんだけど、せっかく今夜はゆっくりできそうだからって、一生懸命掃除してみました!」
窓の前に立つ僕の横に、スッと長身の人影が並んできた。
「なんていうか、『いかにも売れてる芸能人が住んでます』っていう感じだな、東城?」
思わずイヤミっぽい口調になってしまったのは、許してほしい。
あまりにも遠い、彼我の差を思い知らされたからだ。
この部屋の家主は、今お茶の間に人気のイケメン俳優で、若手のなかでも実力派と名高い東城湊斗だった。
背は高く均整のとれたからだつきをしており、端正な顔立ちに加えて親しみやすい笑顔もあいまって、ちびっ子から主婦、果てはお年寄りまで世代や性別を問わず絶大な人気を誇っている。
大手芸能事務所のオーディションを勝ち抜き、華々しいデビューを飾った彼は、以降特撮ドラマで1年に渡って主役のレッドを務めたり、連続ドラマや映画の主役を務めたりと、その仕事の経歴も華々しかった。
最近では俳優業だけでなく、バラエティーやMCにも引っ張りだこで、そのスタイルの良さを生かして、ファッションブランドの専属モデルなんていうのまで幅広く手掛けている。
もちろんそれだけ人気があれば、天狗になってもおかしくないのに、本人はいまだに体育会系のさわやかな好青年のままというのも、その人気を不動のものにする理由のひとつなんだろう。
女性向け雑誌の人気の特集『抱かれたい男ランキング』では、常に上位にランクインする大人気タレントだった。
それにひきかえ、僕──羽月眞也は弱小プロダクション所属の、万年脇役ばかりの売れない役者にすぎない。
どんな役にだってなることができる俳優という仕事も好きだし、なにより演じることが大好きだ。
わりに合わない仕事だとしても、やめることはできなくて。
その演じることが好きだという情熱や、どんな役でも演じ分けるための演技力だって、誰にも負けていないくらいの気概は持っていたとしても、現実は残酷だった。
片やこんなマンションで暮らせるほどに稼ぐ大人気俳優、片や本業だけでは食べていけずにいまだにバイトをつづけている僕。
人気にしても、所属事務所にしても天と地ほどの差があって、釣り合うどころか接点すらも見つからなさそうにも思えてくる。
正直なところ、演技力に関してだけならば、僕と東城の実力差はそこまでないと思うし、なんなら僕だって負けてないとさえ思う。
でも世間での人気の差は、圧倒的でもはや埋めようがなかった。
それは東城が持つ『華』が、僕にはないからだ。
というよりも、その『華』を持てるものは、芸能人のなかでも、ほんのひとにぎりしかいない。
そこにいるだけで画面が明るくなり、人々の視線や注目を集めることができる。
東城は、そんな圧倒的なかがやきを持てる人物なんだ。
それがくやしくて、うらやましくて、はらわたがねじ切れそうなくらいの嫉妬をおぼえたこともある。
僕が俳優を目指すきっかけになった、幼いころに見た戦隊もののヒーローだって、どれだけ僕が努力をしても勝ち得なかったその役だって、東城はあっさりと主役を射止めて見せたわけで。
今でも当時の荒れた気持ちを思い出すと、胃のあたりが灼きつくような痛みを感じることがあった。
だけど、そう言いつつも、不思議と東城からは目がはなせなかった。
かくいう僕も、これまでの東城の出ている作品は、欠かさずチェックしている。
そりゃ、毎回本人から『○○の役が決まりました!』なんてうれしそうに報告を受けてたら、見ないわけにもいかなかっただろうけど、それだってチラ見するだけでもよかったはずだ。
けれど、僕は毎回きちんと録画までして見ていた。
人によっては、『毎回、なにをやっても東城湊斗がにじみ出る』なんて嫌う人がいるかもしれない。
けれどそれは、それだけ役を自らに引き寄せられているからこその評価だと思う。
どんな役をやっても、東城の持つキャラクター性がにじむとしても、そのドラマはヒットし、視聴率は稼げるのなら、それはもうひとつの才能だ。
画面の中央に存在するのにふさわしい存在、不動の0番位置に立つべき人物なんて、芸能界広しといえども、そうはいない。
たとえ文句を言いつつも、その人たちは結局東城を見ているわけで、そうせざるを得ないだけの魅力が、東城湊斗という俳優には備わっているからだった。
東城を見ているたびに、タレントというのはまさに『才能』なのだと思い知る。
ちなみに2年前、ド素人同然だった東城の、デビュー時に彼の主演ドラマでW主演を務め、その監督とともに必死に東城に演技の稽古を付けたのが僕だった。
おかげで人気者となった今でも、こうして自宅に招かれるくらいには、東城は僕に懐いている。
というか、ついでに言うとそれだけの関係とも言い切れなかった。
なぜなら───。
「すべては羽月さんに認めてもらうためだけに、ガムシャラにがんばったんです!こうして触れられる日が来るのを、心待ちにして」
「っ!」
スルリと背後から腕をまわされ、ギュッと抱きしめられる。
フワリと鼻をくすぐるのは、東城がつけている香水だろうか?
背中に感じるのは、彼の体温だ。
とたんに心臓が跳びはね、心拍数があがっていく。
あぁもうなんだよ、これだからイケメン俳優はやることなすこと絵になるっていうか、される側の身にもなれってんだ!
ついでに言うと、お前はいい声すぎんだよ!
するりと耳になじんで、染みてくる。
カァッと体温が上がってくるような錯覚に陥り、頬が赤く染まっていく。
「照れる羽月さんも、かわいくて好き」
耳もとでささやかれれば、よけいにはずかしさは増してくる。
これこそが、先日僕たちの関係の変化した点だった。
なんなら僕は先日、東城から『愛している』だの『ベタ惚れしてる』だのと、はずかしい愛の告白を受けたばかりだった。
だけど、現実は容赦なく僕に突き刺さる。
目の前の窓ガラスに写るのは、中肉中背で、これといって取り柄もなさそうな、冴えない見た目のモブ役者でしかない。
それどころか、このところの忙しさにかまけて食事をおろそかにしていたからか痩せがちというか、東城と比べたら、とても貧相なからだつきにも見える。
なのに東城は、まるでドラマのなかのヒロインのように、大事なものを抱きしめるような、そんなやさしい触れ方で僕を抱きしめてくる。
そんなことをされたら、こちらの心臓がもちそうになかった。
バカ東城、僕をときめかせてどうするんだよ!
「はいそこ!羽月さんへの手出し厳禁!!それと東城、この汚い部屋をここまでキレイに掃除したのは私です。そこのところ、まちがえないように!……あと、料理も完成しましたので、こちらへどうぞ」
とたんに、鋭い声が飛んでくる。
声の主は、後藤さんだった。
東城がデビューしたときから、ずっと担当をしてくれているマネージャーさんだ。
その後藤さんは今、スーツのジャケットを脱ぎ、シャツの袖をまくって、エプロンをしている。
「すみません、後藤さん、なんのお手伝いもできなくて……」
「いいんですよ、羽月さんは無理言ってお越しいただいた、大事なゲストなんですから」
あたまを下げれば、フッと表情をゆるめた後藤さんが、そんな風に言ってくれた。
東城に対しては、ときたま厳しいことを言っていることもあるけれど、僕に対しては、基本的にいつもやさしい。
後藤さんはいつもビシッとスーツを着こなしていて、メガネをかけていて、まさに『敏腕マネージャー』といった雰囲気の人だ。
「そうそう、今日は俺と羽月さんだけでの打ち上げみたいなものなんだし!今回の連ドラがうまくいったのも、みんな羽月さんのおかげなんだから!」
ニコニコと満面の笑みを浮かべる東城に肩を抱かれ、ダイニングへと押し出される。
今日は東城が、『恋愛ドラマの女王』と名高い若手実力派女優、宮古玲奈とともに主演を務めていた連続ドラマの最終回の放映日だった。
初回の放映を迎えるとすぐに人気を博し、事前評判のとおりに切なく甘いそのラブロマンスに、全国の視聴者はくぎづけになったという。
その宮古さんに今回の演技指導をしたのが、おこがましいことに僕だった。
どうやら宮古さんは、例の東城のデビュー作である深夜枠のドラマを見ていたらしく、彼女からは謎の信頼を寄せられ、そのときの僕の役名からとった『理緒たん先生』なんて呼ばれていた。
ここら辺、僕にはまったく理解が及ばないものの、彼女の人気を不動にした主演の恋愛ドラマの『この愛なき時代に生きる僕ら』のヒロインの演技は、どうやらそのときに僕が演じていた理緒の演技を参考にしたんだとかなんだとか言っていた気がする。
まぁ、健気受がどうとか、わけのわからないことも言っていたのはさておくとして。
そんなわけで、裏方として若干関わっていたこともあり、無事に撮影を終えて最終回を迎えられることを祝して、東城の自宅で打ち上げをしようなんて話になったのだった。
だってほら、さすがにスタッフさんたちとのクランクアップのときの打ち上げには、申し訳なくて参加なんてできなかったし。
ついでに僕には、コンビニのバイトのシフトがあったから。
ちょうどその宮古さんへの演技指導のせいで、元々決まっていたはずの深夜のシフトを何度も休ませてもらっていたこともあって、それ以上休むわけにはいかなかったというのもある。
ということで、おたがいの仕事のすき間を縫って、東城に招かれてここまで来ていたのだった。
そして夜景に見とれていた窓際をはなれ、ダイニングへと向かえば、そこはまるで、レストランのような様相を呈していた。
「え、すごい……これ全部後藤さんが?!」
食器がオシャレだとか、セッティングにこだわっているとかだけじゃなく、テーブルの上に並べられているのもまた、彩り豊かな料理の数々だった。
前菜2皿に、サラダにメインディッシュと、品数も豊富で、おいしそうな匂いがただよってくる。
おまけに、ナプキンが添えられたワインクーラーには、スパークリングワインが冷やしてあった。
……いや、個人で作るレベルじゃないだろ、これ。
なんか高級レストランとか、結婚式の披露宴とかで出てくるやつだ。
「実は私、凝り性なもので。東城には偏った食生活をさせまいと、栄養学を学ぶついでに料理教室に通っていたんです。そこで出会ったのが、今の妻なんですけど……」
さりげなくのろけを混ぜてくるあたり、家庭は円満なのだろうということが、うかがい知れる。
「さぁ、羽月さん、こちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
……あれ、でもこれ、気のせいかテーブルセッティングは二人分しかなくないか?
「羽月さんにはお世話になりましたし、本当なら手打ちのパスタなんてものも、ご用意したかったんですが、あまりお邪魔すると東城に怒られてしまいますからね」
エプロンをはずしながら、そんなことを言う後藤さんに、東城は向かいの席に腰かけ、むだに長い足を投げ出す。
「あたりまえだろ、せっかく羽月さんがうちに来てくれたんだから!少しでも、ふたりでいたいんだっつーの!」
え、ちょっと待って、まさか後藤さんはこのまま帰っちゃったりするのか……?
東城の家で、抑止力となる後藤さんを欠いた状態での、ふたりっきりでの食事。
それだけでもう、不安がせりあがってくる。
なんか、色々と大丈夫なのか、これ──!?
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