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13.モブ役者はギャップが命です
雪之丞さんに頼まれて相手役を引き受けた殺陣の稽古動画が、なぜか矢住くんのファンのあいだで拡散されているらしい。
そう聞かされた瞬間によぎったのは、かつて東城の熱烈なファンから受けたバッシングだった。
別に僕がなにをしたというわけでもないはずなのに、東城が好意的に僕のことを褒めるたびに、そのファンからは穿った見方でやたらと悪意のこもったコメントをされる。
それこそ2年前に嫌というほど、そんなことを経験してからは、極力目立たないようにしていたのに……。
雪之丞さんは『大衆演劇界の貴公子』なんて呼ばれているけれど、その客層の女性客は、たしかに若い子もいるけれど、圧倒的に年配の女性が多い。
だから今回は、そこまでの心配をしなくてもよさそうだったから動画への出演を快諾したんだけど、それが矢住くんのファンにまで流れるとは想定してなかった。
あぁ、胃が痛い。
今度は矢住くんのファンに嫌われる日々になるんだろうかと思うと、なんならいっそ吐きそうだった。
それくらいのプレッシャーを感じていたのに、現実は僕の想像のななめ上を行くらしい。
僕の想像を裏切り、どうやらその動画は好評なんだそうだ。
まぁ、あの動画では直接矢住くんとからんでいるわけでもないし、ファンにとっては、さほど目くじらを立てるほどでもなければ、気になるものでもなかったんだろう。
だって僕は華なんてない、目立たない地味な存在なんだし。
大衆演劇界の貴公子と同じ画面にいれば、引き立て役になりこそすれ、目立つなんてあり得ない。
だから、きっとカッコいいなんて言われているのは、雪之丞さんのほうだろう。
「あー、なんかまた変なネガティブ発動してそうな顔してますけど、ボクのファンが褒めてるの、月城さんじゃなくて理緒さんですからね?」
頬をふくらませた矢住くんが、不満げな声をあげる。
「またまたご冗談を……あったところで、せいぜいごく一部でしょ?」
冗談だとして取り合わないでいたら、矢住くんが壁際に控えていた彼のマネージャーに目配せをする。
それだけで察したのか、マネージャーさんはタブレット端末を手に近寄ってくる。
「さすが、わかってるぅ~!ありがとね」
受け取りながらお礼を言い、なにやら操作をしていたと思ったら、そこには雪之丞さんが稽古動画を最初にアップしたときのコメント画面が出されていた。
『今のオレの稽古風景。こんな感じの殺陣やります。相手はひよっ子の代わりに、オレのかわいいシンヤがやってくれた。本番までには、これくらいうまくなれよ、ひよっ子?』
なんてコメントがされている。
「で、これがその動画。どうせ理緒さん、SNS関係やってないって言ってたし、ちゃんと見てないでしょ」
「う、うん……」
何度か撮りなおしをしていたみたいだったけど、最後はおたがいにバチッと決まった感覚があったから、雪之丞さんに聞かれても大丈夫だろうと思ってろくに確認していなかった。
でも、再生されたそれは、思った以上の緊迫感をともなうものに仕上がっていた。
そう、だってあれは悠之助が、雪之丞さん演じる敵のボスとはじめて遭遇して戦うところのシーンだ。
未知の敵、しかも明らかに強敵があらわれたわけで、いつもはムードメーカーとしておちゃらけている悠之助も、はじめて真面目な顔になると思ったから、そうしたんだ。
最初は、おたがいににらみ合いからはじまって、居合いのような抜刀術を見せてくる雪之丞さんのボスの一撃をギリギリでかわすところからはじまる。
うん?
思ったよりも、僕のほうにも画面が寄ってるな?
てっきり画面固定で雪之丞さんのアップが中心になると思ってたのに、しかしその画面上では上半身を反らしながら刃を避ける僕の姿がアップになっていた。
でも、ちょっとうれしいな。
ここは突然あらわれた強敵に、悠之助が気を引き締める、その切り替わりが顔にも出ているという演技をしていたからだ。
冷や汗が頬を伝い、でもその相手の強さにワクワクする気持ちもわいてくるっていう、そんな絶妙な心理だ。
ペロリと舌でくちびるを舐める、その瞬間までしっかりと寄って撮られている。
でも次の瞬間、画面はふたたび引きにもどり、にらみ合うふたりの間に緊張感が走る。
そこから相手は怒涛の攻めに転じ、こちらは必死にさばいていくだけになる。
当然のように、画面は雪之丞さんのアップがつづき、僕はかろうじて画面のなかにいる程度だ。
だけどしっかりと余すとこなく、ふたりの動きは追えている。
さすがは殺陣の稽古動画を撮り慣れている、雪之丞さんのところのスタッフさんだ、と言うべきだろうか。
そして、わずかな隙をついて悠之助が刀を切り返せば、ボスは一瞬でヒラリと後方へと跳んで、距離を置いた。
このあとが、雪之丞さんの真骨頂だ。
刃を水平に持ち上げ、ニヤリと笑う雪之丞さんの不敵な笑みは、ゾクッとするほどにカッコいい。
ほら、これだよ!
こういう一瞬の表情が、たまらなく色気をまとうんだ。
さらには親指と人差し指だけを伸ばして、ほかの三指はにぎりこんだ状態で手のひらを上に向け、人差し指だけでこちらを挑発してくる姿は、いかにも余裕がありそうで、とても似合っている。
それに対して、今度は悠之助からの攻めのターンに入る。
と、それと同時に画面は、またもや悠之助寄りに切り替わる。
ひょっとして、あの何テイクも撮っていたのは、これを編集するためだったのかな?
画面のなかの僕がスッと身をかがめて、音もなく踏み込んでいく。
よし、十分にスピードは乗っている。
白刃が舞い、打ち合う刀のキラキラとした光が反射するこのシーンは、おたがいの速度や角度が合わないとダメなやつだ。
本番の舞台では切り結ぶときの音をSEで入れるから、本当に刃を当てているように見えるけれど、実際にはちがう。
角度をつけてそう見せているだけで、おたがいの刃は当たってはいない。
だからこそ、タイミングがあっていないと、無音のうちはカッコ悪いことになるわけだけど……。
うん、これは完ぺきだ。
おたがいの息が合っているし、なにより悪役らしい不敵さをはらんだ表情とはいえ、いい笑顔で刀を振るっている雪之丞さんの顔を見れば、僕の殺陣も合格点を出せているというのがわかる。
時間にしては1分にも満たない、わずか数十秒の動画だったけれど、つけられた手数はここだけでも30近くある。
殺陣師さんも見せ場のひとつだと言うここは、こうして少し切り取ったシーンだけでも、たしかに十分な迫力があった。
「どうです、カッコいいでしょう!?殺陣がすごいのは今さらだけど、それ以上にふたりとも、超いい顔してるし!」
「……そうだね、思った以上によく撮れてる」
まるで自慢をするかのように胸を張る矢住くんに、苦笑を返す。
正直なとこ、スマホで撮っていただけだし、ここまでのクオリティになるとは思ってなかったのもある。
あとはなにより、こっちは後ろ姿程度しか出ないんじゃないかと思っていたのに、思った以上にふつうに表情が見えるほどに出ていた。
「もー!このくちびる舐める悠之助が、めちゃくちゃエロくてカッコいいって人気なんですよ!?ボクも見た瞬間、めっちゃいいねボタンを連打しそうになりましたもん」
だから思わずそれに対して、コメントを返したらしい。
ブンブンと、グーににぎった両手を上下に振って語る矢住くんの姿は、妙に子どもっぽく見える。
「でもほら、本番じゃ、これをやるのは矢住くんだから」
「それなんですよ!まだ練習初期で、これですよ?!めちゃくちゃハードル上がってるじゃないですか!」
理緒さんがカッコよすぎるんですー!なんて怒られても、どう返していいのかわからない。
『やばーーい!!ボクの師匠がカッコよすぎる!!!まだまだひよっ子なボクは、早く月城さんから名前を覚えてもらえるような殺陣ができる役者になりたいです!』
矢住くんは雪之丞さんの投稿に対して、そんなコメントをつけてくれていた。
大丈夫、心配しないでも矢住くんならできるって思うからこそ、殺陣師さんもアクション監督も、そして総合演出を務める岸本監督もGOサインを出したんだ。
だからきちんと稽古に向き合って技術を身につければ、矢住くんにしかできない悠之助が演じられるはずだ。
相手はまぶしくてたまらない、今をときめくイケメンアイドルだ。
だから、しょせんモブ役者にすぎない僕なんて踏み台でしかないだろうに、こうして『師匠』と呼んでくれることは単純にうれしくもあった。
やりたいことはあたまに浮かんでいるのに、どう表現していいかわからなくて、知識と技術が足りないで苦しんでいた2年前の東城の姿ともかぶって見えた。
……ついでに言えば、弟がいたらこんな感じなのかな、なんて気もしてくる。
「うん、大丈夫。矢住くんならできるって信じてるから、だからいっしょに練習がんばろう?」
気がついたら、そのあたまをなでながら笑いかけていた。
一瞬ポカンとした表情をうかべた矢住くんは動きを止め、こちらをじっと見つめてくる。
と思ったら、じわじわとその頬が赤くなってきた。
「………………やっぱり、これで無自覚なんだから、マジでムカつく」
最終的に耳まで真っ赤にしてつぶやく姿に、どうやらまた僕は下手を打ったらしいと落ち込みそうになる。
「えっと、なんかごめん……?」
「別にいいですよ、理緒さんが素でそういう人だって、だんだんわかってきましたから。こんなのいつも浴びてたら、そりゃ東城さんも落とされますよね……」
あわててあやまれば、ため息とともにつぶやかれた。
えっ?
なんでそこで、いきなり東城の名前が出てくるんだろう?
それに『そういう人』って、どういう意味なんだろうか……。
「アレですよ、理緒さんはさっき自分のこと地味だって言ってましたけど、今の動画見たらわかるでしょ?本気で演技中の理緒さんは、それだけで本当はめっちゃ目立つんですよ!」
矢住くんが、ヤケを起こしたように、こぶしをにぎって力説してくる。
「でも最近の作品では、まったく目立たないんですもん!おかしいでしょ!?」
……それは、たぶん主役の演技があまりうまくなかったから、あえて引き立て役に徹していただけだ。
下手に目立つと、その主役のファンに怒られるから。
もうだいぶ乗り越えたつもりでいても、やっぱり2年前に東城の熱烈なファンから誹謗中傷を受けまくっていた当時を思い出すと、どうしても全力の演技をするのが怖い。
あたりさわりのない演技で、主役が一番目立つようにしていれば、文句は言われないんだ。
それはかつて東城にも指摘されたことがあったことだったけれど、いつしか僕のなかで呪いのような足枷になっていたものでもあった。
下手に目立つと叩かれる、だから目立っちゃいけないと、そう思い込んでいた。
「あぁ、そっか、そういうことか……」
例えるなら、ポロリと曇っていたレンズがはずれて視界がクリアになるような、そんな感覚。
またもや目からウロコが落ちる、それを身をもって味わわされた。
まったくもって、この座組みは僕の想像を越えてきてくれる、刺激的な場所だ。
大衆演劇界の貴公子・雪之丞さんに、人気絶頂のイケメンアイドル・矢住くん。
このふたりと出会わせてくれた岸本監督には、いくらお礼を言っても足りないくらいだ。
いつしか僕は、ただでさえ地味なこの顔をいいことに、自分の持てる力を生かすことを、それこそ罪のようなものだと思い込んでしまっていたのか。
ある意味で、それはとても傲慢なことだ。
「心当たりは、ありますよね?できるのにやらないのは、うちの事務所なら、いちばんやっちゃいけないことです!」
こちらを見る矢住くんの顔は、思った以上に真剣なものだった。
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