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18.イケメン俳優が相方に昇格した日
たぶん、演技以外で人前で泣いたのなんて、大人になってからは、これがはじめてなんじゃないだろうか?
そう思うと、ひとしきり泣いて落ちついてくると、今度はめちゃくちゃはずかしくてたまらなくなってきた。
なんていうか、顔が上げられない。
あいかわらず僕のことを抱きしめたままの東城に甘えて、その腕のなかでおとなしくしていた。
まぁ、変に意識してしまって、おたがいにめちゃくちゃドキドキしているんだけど。
でもたまには、こういう甘やかであいまいな時間をすごすのも悪くないと思う。
たとえばキスをするとか、そういうふれあいの仕方だけじゃなくて、ただ抱きあうだけでも、それだけで満たされるものはある。
どうしてもおたがいに忙しいと、たまにしか会えないならと、必死にその穴埋めをするようにガッついてしまいそうになるけど、こういうスローテンポでいられるのもいい。
だって、そのほうがこれから先も、おたがいにずっといっしょに生きていこうとしているような気がするから。
あわてないでも、まだこれからもチャンスなんていくらでもあるんだって、そう思えるからかもしれない。
ひょっとしたら、東城は物足りないと感じているのかもしれないけど、僕にとっては、急かされないのがとても心地よかった。
そりゃ、僕にだって東城が好きだって気持ちはあるけれど、いざキス以上のことをすると考えたら、どうしていいかわからなくなるんだ。
やっぱり覚悟を決めるには、もう少し時間がほしかった。
僕だって、きちんとした大人なのに。
そんな、初恋の中学生でもあるまいし、とも思う。
ついでにおなじ男だからこそ、そういう欲を抑えることが、どれだけ大変なことかだって、ちゃんと理解しているつもりだった。
でも、そうは思っていても、最後の一歩が踏み出せない。
だからこそ、申し訳ない気持ちもあるんだけど、勇気を出せるかというのとは、また別の問題だった。
もちろん、いつかはちゃんと考えなきゃいけないことだってわかってるけど、今はまだこんなあいまいな時間をあたえてくれる東城に、甘えてしまっていた。
そう考えると、ホント僕には先輩の威厳なんて、もうないんじゃないのかな?
なにしろさっきまで東城にすがって、声をあげて泣いてしまったわけだし。
必死に理由をつけて気づかないふりをつづけていたけれど、それくらい僕にとってのあの降板劇は、ショックだったんだ。
そりゃ僕の代わりに悠之助役に指名された矢住くんは、中高生を中心に若者に大人気のアイドルで、知名度では圧倒的な開きがあるのはわかっているけれど。
知名度どころか、本人も東城や宮古さん並みに華のある、しかも殺陣初心者とはいえ、動ける人だった。
ついでに言えば、そんな華のあるタレントさんだからこそ、己の持つ明るさを生かして、わざとムードメーカーに徹していた悠之助というキャラクターの本質は、矢住くんこそふさわしかったわけだ。
もはやそこに、疑いの余地はない。
だから興行的な理由だとか、キャラクターの本質をどれだけとらえているのかといった点でも僕のほうが劣っていたから、降板にも納得できると思っていた。
だけどあたまでは理解していたところで、結局は刺さったトゲのように、いつまでも心の底では納得しかねていたんだろう。
それこそ東城と飲んだときに口にしてしまったけど、悠之助というキャラクターを演じたい、どういう演技プランで行こうかとか、そういうのを考えるのも楽しかったし、やっぱり大きな舞台でしっかりと名前のある役で出られることもうれしかったんだ。
それが───泡のように、消えてしまった。
手に入りそうだと思ったものを失うことは、手に入らないとあきらめていたものを失うよりも、よほどこたえるものだ。
───なんだ、結局僕はただ、くやしかっただけじゃないか。
だけど変に意地っぱりな僕は、その喪失感をすなおに泣きわめいて、発散させることもできなかったんだ。
たぶん僕にとっては、どんな役であっても完ぺきに演じることができるのが、僕にとっての役者としてのプライドのようなものだったから。
たとえ売れない万年モブ役者だったとしても、その技術だけはだれにも負けないって、そんな気持ちでいた。
だからどんな仕打ちを受けようと、僕のプライドはそんなことでは傷つかないって思っていたのに。
でもそのプライドにも、明確に足りていない技術があったんだ。
僕にとっては、それがなによりもくやしくて、はずかしかった。
なんなら降板された事実よりも、よっぽどこたえたのかもしれない。
だって僕がずっと『華』と呼んでいたのは、『いかに自分をよく魅せるかという技術』にすぎなかったんだ。
雪之丞さんに教えられたそれは、僕にとっては目から鱗が落ちるような経験だった。
そういうわけで、そんなことにも気づいていなかった自分が情けなくて、はずかしくて、よけいに泣けなくなっていた。
なんてことない、こんなものは単なる自縄自縛にすぎない。
そのことに気づかされたのは、こうして東城が僕をどこまでも甘やかして、受け止めてくれたおかげだった。
東城の胸で思う存分泣けたから、あんなに苦しかったはずの胸のなかも、今はスッキリとしていた。
それこそ、降りつづいていた雨が上がったみたいな感覚だ。
なんなら空は晴れ渡り、虹まで出ているくらいかもしれない。
それくらい、胸のつかえがなくなっている。
「なんか、情けないところ見せちゃったな。ごめん、東城の夢を壊すみたいで申し訳ないというか……」
東城の前では決して弱音を吐かないところがカッコいいとか、前に言われたけど、本当の僕は全然カッコよくなんかない。
「……それって、そんだけ羽月さんが俺に気を許してくれてるって、そういうことですよね?」
「え?」
情けなさに肩を落とす僕に、東城が問いかける。
「俺は羽月さんに頼られてるってことが、なによりもうれしいことに感じます。だって羽月さんは、人を頼るのは苦手でしょ?それでも俺に対しては、こうして寄りかかってくれた……ひとりの人間として認められたような気がして、めちゃくちゃうれしいですよ!」
非常に晴れやかな笑顔で、そう言われた。
───なんでお前は、そんなに僕をよろこばせるようなことを言うの?
そんなこと言われたら、もっと甘えたくなるだろ?!
なのに東城は、まだ僕を甘やかそうとしてくる。
「だいたい、好きな人に頼られたら、めっちゃうれしくないですか?まして羽月さんは、俺にとってはこの世界に入ってから、ずっと導いてくれた人なんですよ!?そんなすごい人に頼られる存在になれたんだって思うと、よろこびしかないでから」
それだ、僕のことを好きだというのは、ただの刷り込みみたいなものなんじゃないかって、不安になるんだよ。
「だからなんだか最近、矢住とか宮古さんだとかまで羽月さんのこと『師匠』とか言い出してて、いつのまにか俺以外にも弟子が増えてるし、心中穏やかじゃないっていうか!」
「あれ、ひょっとして東城もあの殺陣の動画見たとか……?」
雪之丞さんのところの、スタッフさんが撮ってくれたアレだ。
それを矢住くんがコメントつきで引用したことで、一気に拡散されたんだっけ。
それを見た宮古さんも、僕の一番弟子は自分だとか言い出してきて、気がついたらふたりが姉弟のようにめちゃくちゃ仲良くなってるし、あれはあれで大変だったな……。
「見ました!そんでもって、めっちゃ惚れ直しましたよ!!なんなんですか、羽月さんのあのくちびるなめる姿とか、すんごい色気あるし、殺陣だって、前にも増して一段とキレが良くなってるし!」
「そう、かな……?」
東城に誉められるのは、やっぱりだれに言われるよりもうれしい。
「だから、俺の羽月さんがカッコいいっていうのは、前からずっと言ってることなんで、それに気づいてくれるファンが増えるのは、単純にうれしかったですけど!でもなんか相手役の月城さんにまで狙われたんじゃないかって、心配なあまりに夜も眠れませんでしたから!!」
声を荒らげ、顔を赤くして訴えられた。
「……そうなんだ?」
なんていうか意外というか、あれ、ひょっとして僕たちはおなじようなことで悩んでたのかな?
思わず、首をかしげそうになる。
「だって俺はずっと昔から好きだって言いつづけてるのに、羽月さんにとっての頼りない後輩でしかなくて、ここ数ヶ月でようやく意識してもらえるようになったばかりなんですよ!?だけどあの現場は、相田さんにしても月城さんにしても、みんな個性的でカッコいい人たちばかりじゃないですか!」
まぁ、たしかに、華のある役者さんたちばかりいる現場ではあるけれど。
「そんなすごい人たちに囲まれてたら、羽月さんにとって、俺よりもカッコいいと思う人があらわれるかもしれないし!」
「そんな、僕なんかを好きになる物好きなんて、東城くらいなもんだろ?だからそんな心配なんて、必要ないのに……」
そう思って口にしたのに、全然相手を安心させられなかったらしい。
「そういうところもふくめて、羽月さんは自覚してないのかもしれないですけど、本気で演技してるときの羽月さんはめちゃくちゃかがやいて見えるんで、だれが目をつけるかなんて、わかんないんですからね?!」
「そんなの、杞憂だってば……」
……まぁ、たぶん。
ていうか、矢住くんとおなじようなことを言うんだな。
「ある意味で、ものすごいニブい羽月さんだから安心なところもありますけど!でも周囲が放っておきませんから!だって、お願いされたら断れないタイプでしょ?俺のときみたいに、矢住とかの面倒を超見てあげてるんじゃないかって……それにそんなことされたら、ふつう惚れるしかないでしょ!!」
うーん、ものすごい熱弁をふるわれた。
なんだろう、相田さんや矢住くんにも心配されたし、僕はそんなに隙だらけに見えて、しかも東城のことを不安にさせてしまってるんだろうか?
これでも東城だけが特別枠だって自覚は、してるつもりなんだけどな。
「東城、悪い、もう一回ハグしてもらってもいいかな?」
「えっ!?そりゃ、していいなら、何度だってしますけど!」
そう言いながらも、そっと抱きしめてくれる東城に身をあずける。
うん、ドキドキはするけど、妙な安心感がある。
というか、このあったかさだとか、結構しっかりと鍛えているのがわかる厚い胸板だとか、そして嫌みのないほのかな香水の匂いだとか、そんなものに包まれていると、しあわせな気持ちがあふれてくる。
やっぱりこうして確認してみてもまちがいなく、それがお芝居のなかでないのなら、東城からのハグ以外、受け付けられない体質になっているとしか思えなかった。
それって、僕のなかで東城が、唯一無二の存在になっているからじゃないのかな?
「やっぱり、東城じゃなきゃダメだ」
「え……?」
そうつぶやいて顔をあげれば、きょとんとした顔の東城と目が合った。
「前に相田さんから冗談めかして、稽古場でハグされたことがあるんだけど……」
「っ!?」
そこまで言った時点で、相手の顔色が変わるのがわかった。
「でも安心しろよ、全然受けつけられなかったから。相田さんでもダメだった……とっさに嫌だって、突き飛ばしそうになったんだ」
「そう、なんですか……?」
ちょっと、なんでそこで意外そうな顔するんだよ。
「うん、東城以外ならだれでもおなじ、ダメなんだ」
相手の目を見たままに、きっぱりと告げる。
ぼくが不安にさせてるなんて、思ってもみなかったけど。
でもそれなら、東城の気持ちは痛いほど良くわかる。
だって僕もおなじように悩んで、眠れないくらいの不安に苛まれていたんだから、不安なんて感じてほしくない。
「僕にとって、本格的に演技の指導をしたのは東城がはじめてで、そういう意味では弟子のひとりなのかもしれないけど……今はこんなに頼れる存在になったんだから、ただの弟子のはずがないだろ?言っとくけど、人前で泣いたのなんて、東城の前しかないんだからな?!」
言っているうちに、どんどんはずかしくなっていく。
「それって……」
東城の問いかけに、コクリとうなずきかえす。
僕にとっては、この世でただひとり愛する人で、なにものにも替えがたい存在だ。
人はそういう存在を───『恋人』と呼ぶんじゃないのかな?
「東城は僕にとって、ただひとりしかいない……僕の『片割れ』だと思ってる」
ストレートに恋人と表現するのは照れくさくて、そう表現してしまったけれど、言っている意味は変わらない。
おかげで、はずかしさは止まらなくて、頬も真っ赤になっていることだろう。
「っ!!羽月さん!!」
そしてそのセリフに照れたのは、なにも僕だけじゃなかったようだ。
感極まったような東城にギュッと抱きしめられ、次の瞬間には、激しくキスをされていた。
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