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21.モブ役者は環境変化にとまどうばかり
あれから東城は、映画の撮影も佳境に入ってきているらしく、地方ロケが終わったものの今度はスタジオ撮りが忙しくなったらしい。
そのほかにも、地方ロケ中にたまってしまった、こっちでしかできないお仕事なんかもあって、当分会えそうになかった。
少し寂しい気もするけれど、お仕事だからしょうがない。
代わりにそのすき間を埋めるように、メッセージアプリだのなんだのでやりとりをしているから、さしあたって大きな問題はなかった。
あいかわらず僕のほうも舞台の稽古や、単発の映像のお仕事の合間に、深夜のコンビニでのバイトをつづけている。
東城とつりあう役者になってやるって奮起してからは、なるべく本職の役者としての仕事を優先していたから、さすがに前みたいに無茶なシフトを入れることはなくなっていたけれど。
実はちょっとだけ、そのやる気に引っぱられて評判もあがりつつあるようで、エキストラのつもりで参加した現場でも、チャンスがあれば積極的にセリフのある役にチャレンジさせてもらっていたりする。
おかげさまで本業もいそがしくなってきていて、深夜のコンビニバイトも、そろそろ潮時かもしれないなんて思っていた。
だから徐々にシフトを減らして、いずれは辞めるつもりだということは、店長兼オーナーには伝えている。
店長は僕の仕事に理解を示してくれているおかげで、シフトの融通も利かせてくれていたし、あえてほかのバイトにも僕の仕事を言いふらしたりしないし、信用できる人なのがありがたいことだった。
そんなわけで、これまではバイト中でも、その店長からの配慮とお店の立地だとか時間帯のおかげで、お客さんにもバイト仲間にも芸能人だからと絡まれることはなかったわけだ。
なのに、今日にかぎっては、そのあり得ないことが起きたんだ。
「お疲れさまです、レジ代わります」
シフトの切り替わるタイミングで、前のシフトの担当者に声をかけてカウンターに入っていく。
いつもなら、一刻も早く上がりたいとばかりに目も合わせずに無言で立ち去るはずの大学生風の彼は、しかし今日はなぜかそこから動かなかった。
「えーと……?」
なにか店長からの連絡事項でもあるんだろうか、それとも来るのが早すぎただろうかと壁の時計を見れば、時間は切り替わりの5分前で早すぎでもないし、遅くもないと思う。
「あ、あのっ!ひょっとして、まちがえてたらすいません!けど、この動画って、その……っ!」
そう言って差し出されたスマホの画面に映っていたのは、例の雪之丞さんとの殺陣をしている動画だった。
「え?あ……あぁ、はい、自分ですね」
「やっぱり!?」
面と向かってたずねられれば、今さらウソをつく必要もないわけだし、すなおに認めてうなずきかえす。
「オレの友だちからこれ、今バズってるヤツだって見せられたんすけど、顔見たらひょっとして……ってなって!」
興奮気味なその彼は、深夜だというのにテンションが高い。
店内にお客さんの姿は見えなかったし、まぁ少しくらいならいいか。
「そうだったんだ、でもよく気づいたね。ほら、僕なんて地味で無名だし」
たとえその動画を見たとしても、ここで働いているときの僕は、役者の『羽月眞也』ではなく、一般人の神谷葉月のつもりでいるせいで、地味だから気づきもしないと思っていた。
「そんな!だって神谷さんイケメンだし!むしろなんでこんなとこで働いてんだろ?って、バイト仲間でもウワサしてたくらいですから!」
……それは初耳だった。
ていうか、イケメンとか言われたの、はじめてだぞ??
「ふつうに売れない役者なんてやってると、バイトでもしなきゃ、やってけないからね」
「いや、でもあの動画はめちゃくちゃカッコよかったですよ!!」
なんとも情けないことだと肩を落とせば、むしろキラキラとした目で見つめられる。
「それで、あの、サインとか、お願いしてもいいですかっ!?」
「えぇっ?!」
差し出されたのは、よくある四角い色紙とサインペンだった。
自分のなかではコンビニのバイト中は役者のスイッチがオフになっていたから、なんというかはずかしかったけれど、まぁ、ためらうほどのものでもないよな?
サッと書いて返せば、やたらと感激された。
「ありがとうございます!あのっ、応援してます!!」
最後には握手を求められ、色紙を大事そうに抱きしめながら、バイト仲間の彼はバックヤードへともどっていく。
「うーん……なんだろ、めずらしいこともあるもんだな……」
まぁ、殺陣の相手の雪之丞さんにしても、それを拡散させる要因になった矢住くんにしても、有名人だもんな。
いろんな人があの動画を見ていたとしても、おかしくはないか。
僕のことを役者だと知らなかったとしても、さすがに直接顔を合わせるバイト仲間だったら、同一人物だと気づくことも十分あり得るわけだ。
世間で人気のある『大衆演劇界の貴公子』といっしょに、そこに見知った顔があったら、そりゃおどろくよな。
たまたま今のバイト仲間の彼は大学生で、ネットの動画をよく見る世代だから気づいただけで、正直うちのお店のメインのお客さんたちじゃ、そうそう見てはいないと思う。
───なんて思っていたのに、実際にはそうでもなかったんだ。
日付が変わり、終電もなくなるころ、その集団はやってきた。
この時間のお客といったら、疲れ果てた社畜の皆さんメインのこのお店にしては、めずらしく若い女の子たちの団体だ。
店内をうかがうようなしぐさを見せていた彼女たちは、カウンターの内側にいる僕を目にすると、入口付近で立ち止まり、ヒソヒソと話をしている。
なんだろう、やたらとこちらを気にいしているような気配がするというか、ぶっちゃけすごいガン見されているような視線を感じる。
その無遠慮な視線は、あんまり気持ちのいいものではなかったけれど、下手に反応をするのも自意識過剰みたいではずかしいしな……。
ていうか、目的はなんだろう、探しものでもあるんだろうか?
思わず首をかしげれば、その動きひとつでも先方が微妙に盛り上がっている雰囲気だけは、なんとなく伝わってくる。
そうしてふと目が合ったひとりの子が、意を決したように、こちらへ近づいてきた。
「あのっ、すみません……っ!」
「はい、なんでしょう?」
声をかけられ、とっさに作り笑いで返したとたん、相手の頬に朱が差した。
「俳優の羽月眞也さんですよね?!あの殺陣の動画の……」
「え……はい、そう、ですけど……」
まさかの直球な質問にビックリしつつも、すなおにうなずき返せば、とたんに歓声をあげ、ほかの女の子たちも近づいてくる。
「あたしたち、あの動画見て、ファンになったんですー!カッコいいなって思って!」
「そうそう、羽月さんてヒロのお師匠さんなんでしょ?」
「あの動画、ヒロも言ってたとおり、なんかもうエロカッコイイっていうかー!」
口々に大声で話しかけてくる彼女たちに、面食らってしまって、とっさにどう返していいかわからなくなる。
だって、今まではこんな風に囲まれることなんてなかったし。
でもそれがなんであれ、僕のファンだと言ってもらえるのは、めちゃくちゃうれしい。
「それは、どうもありがとうございます」
思わずほころびそうになる頬を自重せず、そのままの笑顔で返した。
殺陣やアクションを褒められたり、カッコいいって言ってもらえるのは、やっぱりうれしいものだ。
……だけどなんだろう、そのセリフには裏がありそうに感じてしまった。
そう、なんていうか───本命ではなく、その前哨と思われているようなこの感覚は、かつて東城のファンから受けたことがあるものに似ている。
「っ、えっと……あのヒロが師匠と認めるとか、スゴいですよねー!」
「あ……、あの、握手してもらえませんか?」
「あ、あ、あ、アタシは、サインが欲しいなぁ!!」
うん……?
でもなんか、今の反応はちょっとちがうのかもしれない……?
若干彼女たちの頬に朱が差して動揺しているようにも見えるけど、そしてそれはわりと本心からのような気もするけど、理由がわからなかった。
だって彼女たちは、僕のファンじゃなくて矢住くんのファンなんだろ?
これでもプロの役者なんだから、相手のウソくらい見抜けるつもりだ。
口々に褒められていたときは、彼女たちのセリフからはどこか空虚な匂いがした。
本心から、そう言ってるわけじゃないことくらいは、さすがにわかる。
でもその後の照れ方は、本心からにも思えるから不思議だ。
「えっと、もしかして本当は矢住くんのファンだったりします?無理しないでも、聞きたいことがあれば、話せる範囲で話しますよ?」
もちろん今の僕はバイトとはいえ仕事中だから、サボりにならない程度しか話せないけども。
そう提案したとたんに、空気が変わった。
「えっ?!いやっ、あの、別にっ!」
「そ、そそ、そーですよ!私たちは羽月さんのファンになったっていうか……」
「そーですよ!アタシたち、そんな失礼なこと言ったつもりは……」
あからさまに動揺する姿を見れば、図星を指されたんだろうなということくらい、すぐにわかる。
でも僕は別に、失礼だとは思わなかった。
……まぁ、言うなればこういうのは、2年前の東城のときで慣れてたし。
「矢住くんは今、舞台のお稽古でいっしょの現場なんですけどね。最初は演技も殺陣もちょっと心配でしたけど、今はすごくがんばって上達してきてて、矢住くんにしかできない役になってきてます。だから舞台、楽しみにしていてくださいね?」
ひとまず、そうほほ笑みながら伝えたところで、レジにほかのお客さんがやってきた。
「すみません、お客さんがいらっしゃったので……」
そこでぺこりとあたまを下げれば、さわがしかった彼女たちはブンブンといきおいよくうなずいて、走るように店を出ていった。
その頬が真っ赤に染まっていたのは、想定外に矢住くんの話が聞けたからだろうか?
なんにしても、遅い時間だから彼女たちには気をつけて帰ってほしいな……なんて、心配になった。
「えー、お兄さん、芸能人なの?今の子たちと話してるの聞こえちゃってさぁ」
「えぇ、これでも一応、売れないなりに役者をやってるもので……」
お弁当とビールの缶を持ってきたサラリーマン風の男性に話しかけられ、愛想笑いで返せば、マジマジと顔をのぞきこまれる。
「ふぅん、たしかに言われてみるとイケメンだねぇ。つーか、芸能人だけあってキレイな肌してんなぁ。モテるでしょ~!」
「いえいえ、そんなことはないですよ」
今晩2度目のイケメンあつかいに、どうにも落ちつかない気持ちになりつつ、商品を入れた袋を渡せば、またもや握手を求められた。
うーん、なんだろう、今夜はめずらしいことがつづくもんだ。
ここでのバイトも長いけど、今まではここで働いている僕と、役者の羽月眞也とを結びつけてくる人なんていなかったのにな。
といいつつも、この日のシフトが終わるまで、ふだん見かけないようなお客さんが何人か来たことも、そしてその人たちがやたらとこちらの顔をガン見してくるのは、本当にナゾだった。
だけど、これはまだほんの序の口だったことに気づいたのは、次のバイトで入った日のことだった。
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