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23.切れ者マネージャーはブチキレています
なぜだか僕のバイトのシフト情報がネット上に流出し、バイト上がりの時間にあわせて来たファンとおぼしき女の子たちに囲まれたとき、その人垣を割ってさっそうとあらわれたのは後藤さんだった。
東城のところのチーフマネージャーさんが、どうしてここに??
「お疲れさまです、羽月さん。お迎えに上がりました」
「えっ……?なんで、ここに……っ?!」
別に東城といっしょの現場のお仕事なんて入ってなかったというか、ぶっちゃけこの後は午後まで仕事は入ってないから自宅に帰るだけのはずなのに。
「えぇ、詳しいことは車内でお話しします。まずはどうぞ」
割れた人垣の奥には、なんだか高級そうなメタリックブルーの乗用車が停められている。
その後部座席のドアを開けた状態で招かれ、あわてて駆け寄った。
「皆さま、日頃から羽月を応援していただきまして、誠にありがとうございます。こちらのお店で働くのも本日がラストとなりますので、どうぞこれからは本業のお仕事のほうを応援いただけますと幸いです。今まで以上に皆さまの目に触れられるよう、精進して参りますので……」
まだなにも伝えていないうちから、こちらの動向を理解している後藤さんに舌を巻く。
「えっと、皆さん、応援ありがとうございます!」
深々とあたまを下げる後藤さんに合わせてあたまを下げて、黄色い声援をBGMに車に乗り込む。
そして後藤さんが運転席に乗り込んで、車は静かに発進した。
最後までファンの子たちは、多少はしゃいだ感じはするものの、行儀よく待機の姿勢をくずさなかった。
ひょっとして、後藤さんがまとめてくれたのかな?
「あの、ひょっとして後藤さんが、あのファンの子たちを……?」
「マネージャーたるもの、そのくらい当然ですよ。まずは羽月さん、お疲れさまでした。いきなりのことで、色々と心労もあったでしょう?」
こちらをねぎらう言葉とともにほほえみかけられ、ホッと詰めていた息を吐く。
「……正直、こんな風に囲まれることなんて今までなかったので、助かりました。ありがとうございます」
「いえ、いいんですよ。大事なタレントさんを守るのは、私たちマネージャーのお仕事なんですから」
やわらかい口調で話す後藤さんに、ますますホッと肩の力が抜けていった。
「でも僕はただの知り合いってだけで、事務所だってちがうのに、まさかこんな風に後藤さんがお迎えに来てくれるなんて、思ってもみませんでした。なんだか申し訳ないです……」
チラリと運転席に座る後藤さんの顔を盗み見て、小さくため息をつく。
心配性な東城が口を出したなら、あり得ないことではないものの、わざわざ車で迎えにこられるなんて想定外だったというか。
ありがたいけど、正直なところ『どうしてわざわざきてくれたんだろう?』という気持ちのほうが大きかった。
「………今回の件は、たまたま私が気がついて、東城経由であなたにお知らせしましたが、同時にそちらの『プロダクションしじま』さんにもご連絡を入れていたんです」
と、そこでいったん後藤さんは言葉を切る。
その声には、とまどいのような色がにじんでいる。
「それは、ありがとうございました。だったら余計に後藤さんにお越しいただいたのは、申し訳なかったです!」
本来ならこれは、うちのプロダクションが対応すべき案件のはずだ。
まして所属タレントの送迎とか、他社さんにお願いすることじゃない。
後藤さんの言うとおり、あらかじめ現場で一般人が押し寄せてくる見込みがあって、パニックが想定されるというのなら、なにかしらの対応を考えなくてはいけないし、所属のタレントへのフォローをするのは当然のことなんだろう。
残念ながら僕のところへは、事務所のだれからも連絡は入って来なかったんだけども。
「おおかたそうだろうとは思っていたのですが、羽月さんがシフトに入られた段階で確認したところ、残念ながらなにひとつ対策は取られておりませんでした……」
……まぁ、そうだろうな。
うちの事務所における僕の立ち位置は、大勢いるモブ役者のひとりにすぎないんだから。
ついでに言えば、うちの所属のタレントたちは、いぶし銀な俳優が中心で、アイドル的な黄色い声援を受ける役者はほぼいない。
だからたぶん、ファンが押し寄せてくると言われても、どうしていいかわからなかっただけなんだろう。
僕にとっては仕方のないこととあきらめがつくことも、後藤さんにとって度しがたいことだったみたいだ。
後部座席からチラリと見える横顔が、鬼のような形相に変わっていく。
「あり得ないでしょう、そんな怠慢!?自社のタレントが危ない目に遭うかもしれないってのに、手をこまねいて動こうともしない事務所なんて!まして羽月さんは、過去にうちの東城のせいで、酷い目に遭っているっていうのに!」
今までは気をつかって、うちの事務所のことを悪く言わないようにしていたはずの後藤さんは、今や遠慮もなく声を荒らげていた。
「……仕方ないですよ、僕は別に稼ぎガシラでもなんでもないんですから……それにあれは、怪我ひとつしないで済んだことでしたし、なによりそちらでうまく片付けてくださったので……」
当時、インタビューを受けるたびに東城があまりにも僕のことばかり語っていたせいで、嫉妬に駆られたファンの子に刺されそうになったその件は、僕のなかではすでに過去の話に昇華されている。
でもそれを言い訳にして、極力目立たぬようにと僕はこの2年間、仕事をセーブしまくっていた。
ひょっとしたら、僕だっていろんな仕事を受けていれば、今ごろはもっと活躍していたのかもしれないけれど、つい派手な仕事を辞退してしまっていた。
───そう、ありていに言えば逃げたんだ。
東城の隣に立つのにふさわしい役者であると認めさせることも、ファンの子たちに納得してもらうための努力もせず、ただひたすらに息をひそめるように、極力目立たないようにって、そうやってすごしてきて。
だから今の僕は、うちの事務所内でも地味な役者のひとりにすぎなくて、当然と言えば当然だった。
そんな僕への期待や配慮がなくても仕方のないことだし、矢住くんにも言われたことだけど、僕自身が己の演技力を誇りに思っているくせに、それを全面に出そうとしてこなかったのは、やっぱりある種の怠慢なんだと思う。
そう考えたら、せっかく後藤さんが怒ってくれているのに、今のこの現状は自業自得な気もしてきて、かえって申し訳なささえ感じてきた。
後藤さんはこんなに、僕というモブ役者を買ってくれているというのに、どう報いたらいいんだろうか?
「すみません、私があなたの所属事務所を批判しても、同意も否定もしづらかったですよね?しかし……今回のことで私も心を決めました」
なんとなく後藤さんの口もとが笑っているような気がするのは、気のせいだろうか?
怒りながら笑っているというのは、少し怖い。
「羽月さんのような『金の卵』の価値も理解できないような事務所なら、それを我々が奪ってしまってもかまわないのではないか、と」
ニヤリ、と表現するのが正しいような、悪そうな笑みを浮かべて、後藤さんがそう口にする。
「え……『奪う』って……、えぇっ!?」
「えぇ、ですので、そちらのプロダクションしじまさんから、あなたの即日引き抜きをすることにいたしました」
はい?引き抜きだって?!
「そんな、急に言われても……」
「もちろん私も最初は、あなたのお気持ちが変わるまで待とうと思いました。でも昨日の対応を見て、早急な対応をすべき案件と判断して、先ほどこちらの幹部をすべて説き伏せて参りました!」
なんて行動力なんだよ、この人!?
「ということで、これから羽月さんにはプロダクションしじまさんまでご同行いただき、その場で我々の事務所への移籍手続きをしていただきます。もちろん無茶を言うのですから、羽月さんの待遇については厚くするのをお約束させていただきます」
「………………………………」
もはやおどろきすぎて、言葉が出てこなかった。
「まぁ、あのような無気力な事務所のひとつやふたつ、我々にすれば、どうにでもなるんですけれども。しかし万が一にも、あなたに不利になるようなことをしでかさないともかぎりませんので、釘を刺しがてら直談判をしようと思いまして。すでにアポイントは取ってあります!」
ギュッと甲が白くなるほど、ステアリングをにぎりしめる後藤さんの意志は固そうだった。
たしかに、うちの事務所とそちらの事務所じゃ、まったくレベルがちがうと言うか。
片や業界最大手に近い大手事務所と、片や所属タレントの数も少ない弱小事務所だ。
はなから相手にならないのは、目に見えている。
「さぁ、腑抜けた輩を成敗してやりましょう!!」
「お、お手柔らかにおねがいします……」
怪気炎をあげる後藤さんの姿を前に、僕はそう言うのがやっとだった。
* * *
───そして、プロダクションしじま内ではいちばん立派な応接室へと通され、めったに会うこともない社長をはじめとする役員が勢ぞろいしたなかに僕たちはいた。
といっても、しょせんは弱小事務所、役員にしても3名ほどしかいない。
「……ということで、今の私は正当なるモリプロの代表者の代理権者として、お話しをしに参りました。こちらにいらっしゃる羽月眞也さんの、当社への移籍の契約を交わしていただきたいのです」
にこにこと愛想笑いを浮かべた後藤さんは、委任状を手に、志島社長へと決断を迫っている。
「そりゃ、当社としては所属のタレントをモリプロさんほどの大手にあずかっていただけるなら、文句もありませんけれど……」
「いえ、あずかりなんて、とんでもない!羽月さんに関するいかなる権利や義務をふくめ、今このときから当社で丸ごと引き取りたいと申しているのです」
業務提携でも貸し出しでもなく、完全なる移籍なのだと後藤さんは笑顔のままに主張する。
「しかし……羽月は以前、そちらのタレントさんのファンとのトラブルがありましたし、なにかご迷惑をおかけしてしまうのでは……」
煮え切らない態度を取る志島社長は、後藤さんの真意を図りそこねているのかもしれない。
うちの事務所にとっての僕は、その他大勢のひとりにすぎないけれど、わざわざ業界大手の事務所の、これまた敏腕マネージャーで知られる人物が引き抜きに来ているわけだ。
ならば気づいてないだけで、なにかしら僕には利用価値があるのかもしれないと、今さらながらに考えているなんてこともあり得るのかな?
「そちらについてはすでに解決済みで、問題ありません」
だけど後藤さんは、社長の懸念をバッサリと切り捨てる。
これでうちの社長は、のらりくらりとかわすこともできなくなったわけだ。
「こちらとしても、この羽月には期待をかけてきたわけで、そうやすやすと移籍を承諾するわけには……」
あぁ、やっぱり。
ご多分にもれずうちの社長は、もったいぶってゆさぶりをかけてきた。
僕の専属契約は1年更新で、ついでに言えばこの事務所内での地位なんて、大したことはない。
だからこの移籍をきっかけに、大手事務所にたいする多少のコネなり、貸しができればいいと思っているんだろう。
だけど後藤さんは、こちらの想定をはるかに越えてきた。
「えぇ、もちろん、こちらとしてもただで移籍を持ちかけるなんて、そんなケチなことはいたしませんよ?こちらの契約書にご署名、捺印いただけるのでしたら、移籍金をお支払いする心づもりがありますので」
そうして後藤さんの差し出した契約書と、それに添えられた小切手に印字された額面が目に入ってきた。
「「「はっ!?ちょ……え、い、1億円っ!!?」」」
「はあぁっ?!!」
うちの役員の声が一斉にそろい、思わず僕も声をあげる。
なに、その金額っ!?
僕のような、一介のモブ役者ごときの移籍のために、支払っていい金額じゃない。
一瞬にして血の気が引いていく感覚に、横に座る後藤さんの顔を見れば、涼しい顔でほほえみかけられた。
「ご、後藤さん……っ!待ってください、こんな金額……っ?!」
「羽月さんは、ひとまず黙っていてくださいね?」
人差し指を口もとにあて、パチリとウィンクする後藤さんに、めまいがしてくる。
どういうことなんだよ、これっ!!?
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