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第二章 流れ星
時刻は二十三時を過ぎていた。
純平は、淘汰山の山道を、相棒のバイク(大型二輪)で走り抜けていた。もちろん舗装された道路ではあるが、この時間となると対向車もなく、自身のバイクから発するライトの光のみで心寂しかった。
別に、学の言っていたことを信じているわけではない。ただの興味本位で、その展望台に向かっているのである。
つまり、深夜のツーリングだ。
一本道なので迷うことはない。気がつけば目の前に建物が見えてきた。暗いので、黒い塊のように見える。
駐車場入り口付近で、バイクから下りると、自身の光を頼りに、バイクを押しながら歩いていった。光が照らす先に目をやると、黄色いロープが何十にも巻かれていて、立ち入り禁止という標識もぶら下がっていた。
純平は少し後悔をした。異様な雰囲気を感じて、怖くなってしまったのである。だが、せっかくここまで来たのだ。とりあえず行ける所まで行こう。
目の前の黄色いロープは、ぐるぐる巻きになっていただけなので、手にはめていたグローブのままつかむと、思ったより簡単に解くことができた。
駐車場にバイクを停めて、展望ができる先まで歩いていく。柵のそばに寄ると、純平は感慨にふけた。
なんてきれいなんだろう。
目を奪うほど、夜空には一面に星が広がっていて、漆黒の闇を照らす、幻想の世界にいるようだった。
純平はグローブを外すと、ポケットからライターと煙草を取り出した。一本口にくわえ、左手で覆いながらライターをつける。
吸った煙が気管を通って、肺に到達した。
今日は来てよかったなと思った。
そうだった、忘れちゃいけない。願いごとをしなくては。
結局、学の言っていたことを信じている自分自身に、笑ってしまった。
煙草を指に挟みながら、手を合わせて、夜空を仰ぐ。
すると、赤く光る二つの星が並んで流れた。
「流れ星だ!」
思わずうれしくて声を上げると、純平は目をつぶってお願いごとをした。
「彼女ができますように!」
数秒経って、もういいかなと目を開ける。
再び挟んだ煙草を口にくわえ、ゆっくりと煙を吸い込んだ。
この煙草が吸い終わったら帰ろうと、ふっと夜空を見上げる。
えっと思った。
流れていった赤く光る二つの流れ星が、下方で止まっているのである。
見間違いではないと思う。その流れ星は他の星と違い、赤みがかかっていて目立っていたからだ。
流れ星って、流れて消えてしまうものだと思っていたが、そのまま夜空に残るものなのだなと思った。
再度煙草を口にくわえる。
その赤く光る流れ星をぼうっと見ていると、信じられない光景が起きて、煙草を口から落としそうになった。
流れた逆の方向、上方に移動しているのである。いや、それだけではない。上ったと思ったら再び下がる。それを何度も繰り返していた。
こんなことってあるのか……。
しばらく目を丸くしながら見つめていると、ぴたっと動きが止まった。
そして突然、その流れ星がだんだんと大きくなっていく。
こっちに向かって落下しているのではないか。
怖くなり、純平は目を離さず後ずさりしていった。
「あ――――っ!」
「えっ?」
赤く光る二つの流れ星が、ますます大きくなるにつれて、遠くから女の声も聞こえてきたのである。
純平は視線を下ろして、自身の耳に意識を集中させた。
その声は、空の方から聞こえてくるようだ。
「あ――――――っ!!」
再度夜空を見上げたとき、恐怖から腰を抜かしそうになった。
赤みを帯びた二つの流れ星のように見えていたものは、女の瞳だったのだ。絶叫する女の頭部がこちらに向かって飛んで来る。その頭部は、えらの辺りがやせこけていて、テレビでよく見る宇宙人のようだった。
ちくしょう、やばいとわかっているのに足が動かない。
「ア――――――――――――!!!!」
なんて大きな口なのだろう。苦痛な叫びをあげているようにも見えた。
純平は歯を食いしばって、右手で挟んだ煙草の先端を、左腕に強く押しつけた。痛みで肩の力が入る。だが、まだ足は、蛇に見込まれた蛙のように、硬直したままだった。さらに最悪なことは、煙草の先端がつぶれてしまい、火が消えてしまったのである。
どうする、どうする。
そう考えている間にも、女の声が次第に大きくなっていく。
ポケットに手を入れてライターを取り出した。目を閉じながら深く深呼吸をする。もうこうするしかない。目を開けると、ホイールを回してライターをつけた。先端から炎が立ち上がる。
左腕を自身の顔の前に持っていくと、ゆっくり下の方からライターの炎であぶった。
「いってぇー!」
のけぞりながら苦痛な声を上げた。
とたん、すっと下半身が軽くなり足が動かせるようになった。
バイクを停めた駐車場まで一気に走る。女の声が背後から聞こえるが、絶対に振り返ることはしなかった。
バイクにまたがり、キーを入れてアクセルを回す。
つい先ほどまで登山していた山道を、無我夢中で下山していた。逃げることで頭がいっぱいで、かなりのスピードが出ていたと思う。
女の声が小さくなっていく。加速するバイクのスピードについて行けないようだ。これなら逃げ切れる……。
純平は、あっと思った。
すぐ先に左カーブが差し迫っていたのだ。
やばいと思ったときには既に遅かった。とっさにできたことは、もう間に合わないとわかっていながらも、ブレーキをかけ続けること、そしてこれから起きることにたいする身構えだった。
「……うっ」
気がつくと、うつ伏せになっていた。
両手でヘルメットを外す。左頬を地面につけたまま、口にたまった生唾を吐き出した。
口もとがゆるんで安堵する。不思議なことに大事故は免れたようだ。
両手に力をいれて体の向きを変える。地面に座ると、片膝を立てながら、ひしゃげたガードレールのそばで横転している相棒を見つめていた。
「いってぇ」
緊張がゆるむと両腕から急に痛みが出てきた。グローブを外した手でさすってみる。手にはべっとりと血がついていた。半袖Tシャツで乗ってしまった報いだろう。
立ち上がってバイクに近づき、引き起こした。またがってヘルメットをかぶる。
早く帰りたい……。
左のミラーは変な方向に曲がってしまい、戻せなくなってしまったが、右のミラーはなんとか使えそうでほっとした。
ミラーの角度を合わせ終え、ギアを入れてアクセルを回す。
バイクが動き出し始めると、右肩の方から気配を感じた。
えっと思うと、無意識に、純平は振り返った。
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