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「お客様」
声をかけられてふり向くと、「申し訳ないのですが、相席でもかまいませんか?」と眉尻を下げて言われ、大丈夫ですと答える。もう食べ終わっていたので店を出てもよかったはずなのに、ここは随分と居心地がよくて、私はすっかり帰りたくなくなっていた。
「すみません、長居してしまって」
もう外は暗くなっている。来たときはついていなかったはずの店内のランプが等間隔でついていることに今さら気づいた。
「いいえ、いくらでもいてくださいね」
おばあさんの後ろから、男の人がやってきて、私の向かい側の席に座る。
「すみません」
男性は軽く頭を下げた。気にしていないという意味も込めて私は微笑む。
ちらりとあたりを見まわすとカウンター席がいくつか空いていた。もしかしたら予約席なのかもしれないし、今さらわざわざ言うことでもないと思い、私は追加で注文した珈琲に口をつける。
私は人見知りだし、新しいことにチャレンジするのは苦手なのに、知らない人と相席なんてしている自分に少しワクワクしていた。自暴自棄という言葉が近いのかもしれない。悠太を失った今、私にもう失うものはない気がしていた。
食事を終えた彼は優雅に紅茶を飲んでいた。華奢なティーカップを持つには彼の手のひらはいささか大きすぎるような気がした。
なんだか懐かしい感じがした。悠太の手のひらも大きかった。
「ここの食べ物、美味しいですね」
目の前の男性が言う。私は突然話かけられたことに驚きながらも、「ええ、そうですね。私も初めて来たのですが、気に入りました」と返す。
そういえばあのときも、映画館で話しかけてくれたのは悠太のほうだった。星を見に行くのが趣味だと言い「本物の星もいいものですよ」と言う彼に、私は映画で十分かな、と言ってしまったことを思い出して、気持ちが暗くなる。彼は「映画でも、実際の空でも、決して手の届かない距離だから素敵ですよね」と微笑んだ。あのとき私が違う反応をしていたら、未来は変わったのだろうか。
あ、と漏れた声で私は現実に引き戻される。男性の視線の先を見て、私は思わず目を見開いた。
「わ、」
星が、降っていた。
空一面を、次から次へと星が降っている。夜の暗闇のなかを、すうっと光が伸びて、あっさりと消えていく。
こんな景色が見たかったのだ。
映画を観ながら、いつかこんな景色を二人で見たいね、と言っていた。生きていれば、そんなチャンスはいくらでもあると思っていた。けれど、違ったのだ。
「綺麗ですね」
どうして、一緒にいるのが彼じゃないのだろう。あの日、無理にでも一緒に行っていたら、未来は今と違っていたのだろうか。
まるで花火のように、空一面を一瞬で駆け下りる星。四角い大きな窓で区切られた映画のワンシーンみたいで、でも、スクリーンで見るよりもずっと美しかった。
「映画みたいですね」
「そう、ですね」
そう言いながら、私は泣いていた。止めようと思っても、後から止めどなく涙があふれてくる。目の前の男性は泣いている私に首を傾げて「どうかしましたか」と言う。突然泣き出すなんて、変な奴だと思っているのだろう。
「でもやっぱり、映画じゃなくて、ちゃんと見に来て、よかったです」
私は途切れ途切れにゆっくりとそう言った。喉が焼けるように熱い。しゃくり上げて泣く私に、目の前の彼はなにも言わなかった。
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