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待つ男たち
西郷と桂の会談場所は、海岸からほど近い料亭であった。
その料亭の二階から夕日に照らされた馬関海峡が見える。
「小五郎にい、やはり潮風と波の音はええのぉ」
肘掛け窓から突き出た高欄に半身だけ座らせた坂本竜馬が、桂小五郎をみて笑った。
桂は数日前初めて顔を会わせたばかりなのに、同時期に江戸で剣術修行をしていたというだけで、数回言葉を交わしただけなのに、桂のことを「小五郎兄ぃ」などと親しい呼び方をするこの土佐脱藩浪人を訝しそうに見ていた。
「小五郎兄ぃもコッチにきて潮風に当たればええがよ」
「僕は結構」
桂は来る予定を大幅に遅れている西郷に苛立ちながら、竜馬の仕草を何気なく眺め始めている自分に気がついた。
この脱藩浪人のなんとも言えないズボラな動きを見ていると、不思議と怒りが失せてくる。
「坂本くん、キミは相変わらず呑気だねぇ」
桂の問いに竜馬は惚けた顔を作り、もう一度笑って見せた。
「小五郎兄ぃ、人を待つときは呑気が一番がゼヨ、小次郎だってそれで負けたがゼヨ」
竜馬は料亭からほど近い、巌流島の決闘を引き合いに出すと右腕を刀のように何度か振り下ろして見せた。
すると拍子がスルスルッと開き、仲居が暖かい湯漬けを持って現れた。
「オウオウ済まぬ済まぬ、そこに置いておいてくれぬか」
竜馬はニコニコと笑いながら、湯漬けの置かれた盆に小走りに近づき、腰をおろした。
「なんだ、キミはこんな時に湯漬けなど頼んだのかい」
「へへっ、腹が減ってはなんとやらじゃキニ」
などといい、湯漬けの碗に箸をつけようとしたその時、仲居をはね除け下半身を海水と砂まみれの慎太郎が転げるように部屋に入ってきた。
その様子を見て、竜馬と桂は事の成り行きの全てが見え、桂は全身の骨を抜き取られたようにその場に崩れ落ち、竜馬は湯漬けを持ったまま複雑な表情で畳に額を付けるように誤る慎太郎の後頭部を見詰めていた。
「すまぬ・・・僕の僕の・・・至らんかった」
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