32の嘘

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32の嘘

 14から数えて01回目の嘘を吐いた時、彼女は両親を失った。  14から数えて06回目の嘘を吐いた時、彼女はほんの少しだけ母親の顔になった。  14から数えて07回目の嘘を吐いた時、彼女は遅い初恋に胸を焦がした。  14から数えて09回目の嘘を吐いた時、彼女は失恋した。  14から数えて11回目の嘘を吐いた時、彼女は今の旦那に出会った。  14から数えて12回目の嘘を吐いた時、彼女は教育の是非を知った。  14から数えて15回目の嘘を吐いた時、彼女は結婚した。  14から数えて16回目の嘘を吐いた時、彼女は、彼女の彼氏を知った。  14から数えて18回目の嘘を吐いた時、彼女は、彼女の、彼女の存在を知った。  14から数えて19回目の嘘を吐いた時、彼女は旦那の寝顔にキスをした。  14から数えて21回目の嘘を吐いた時、彼女は、彼女の、彼女の顔を初めて見た。  14から数えて23回目の嘘を吐いた時、彼女は、彼女の、彼女の親が蒸発した事を呪った。  14から数えて24回目の嘘を吐いた時、彼女は母親に追いついた。  14から数えて25回目の嘘を吐いた時、彼女は06回目の嘘を思い出した。  14から数えて28回目の嘘を吐いた時、彼女は漸く旦那の子供を妊娠した。  14から数えて29回目の嘘を吐いた時、彼女は旦那の子供を流産した。  一年に一度だけ嘘を吐く彼女のそれはApril Fool's Dayのような慣習に牽引された行為に近いものの、本質的には誕生を祝うケーキに飾られた灯火を消すような儚さも併せ持っていた。だが、その一方で自身の罪を理解していたのか、或いは嘘を絶対に吐くと云う行為に対する代償なのか―――彼女は誠実な生き方を心がけていた。虫さえも殺さず、誰かを妬む事もせず、只管に真っ直ぐな生き方をだ。  しかし、それで嘘を吐く事が許される訳もない。ましてや正当化される訳でもない。寧ろ一年に一回だけしか嘘を吐かないのだから、その代わりに誠実に生きているのだから、そのたった一回の嘘くらい見逃して欲しい、許して欲しい―――と、そんな他意が窺える分、彼女の生き方は誠実とは程遠いのかもしれない。  それでも繰り返される一年に一度だけの嘘。同じ日に、同じ相手に、同じ内容の嘘を告げる彼女が生まれたのは14歳の頃だった。黄昏と云う宵闇に紛れた幻と戯れたあの日から、彼女の人生は始まった。罪を積み重ねるように、繰り返される時の中で、彼女は今日も嘘を吐く。  だけど、14から数えて32回目の嘘を吐いた時、彼女は自分は幸せになれないのだと、やっと気づいた。そして迎えた14から数えて33回目の誕生日。彼女は、旦那と、娘と、娘の子供と共に、13本の蝋燭で飾られたケーキを取り囲みながら、既にいない両親の一方―――父親の年齢に自分が追いついた事を実感していた。  ケーキの蝋燭を吹き消すと云う慣習はとても不思議なものだった。どうして、消すのだろうか。時々、命の灯火なんて譬えられるそれを、消す・・・なんて・・・不思議な、行為なんだ。と彼女は思った。思うしかなかった。  「え・・・なぁに、母さん?」  白髪の増えた母の肩は何時もよりも小さく見える。心なしか震えるその身体の所為だろうか。娘は尋常ならざる、と云えなくもない母の――意を決したような表情に気づいた。固唾を呑んだ。何だろうか。何をそんなに溜め込んでいるのだろうか。  「おい、どうした?折角の祝いの席を」と堅苦しい言葉と共に緩めた口元に苦笑を浮かべた父が母親の顔を覗き込んだ。  「愛してたの。それに嘘はないの」と母は切り出した。どこに主語があるのかわからない語りだしに娘は一瞬戸惑ったが、そのベクトルが自分に向けられているのだと気づいたのは、顔を上げた母がこちらに哀れむような視線を送っていたのを感じたからだ。  「あ、ありがとう」  誕生日。お誕生日オメデトウ。それは誰に向けられた言葉のだろうか。”生んでくれてありがとう”なのか、それとも”育ってくれてありがとう”なのか。何れにしろ蝋燭の灯火を消す動機にはならないような気がした。  「・・・・・でもね」震える声は潤っている。寧ろ湿っている。泣いているの?「誕生日、オメデトウって言えないの。だから、本当は嘘を吐いてたの」  母親が告白しようとする内容がわからなかった娘はただ「――は、ハァ」と間の抜けた相槌を返すのが精一杯だ。  「だって、貴方は好きな人の子供だけど、愛した娘だけど、望まれた環境に生まれたわけではないんですもの」  彼女は嘘を吐くのに疲れていた。だから、14から数えて33回目の娘の誕生日に告白しようとしたのだ。譬えそれが33回目の嘘と思われようとも。  33回目の嘘は、33年振りの自白を促し、33年分の罪を曝け出した。それは33年余り生きてきた娘の生き方を、存在を、自我を否定する言葉だった。母の告白を聞いた娘は思わず零れた嗚咽に代わる言葉を見つけられないまま、ただただ息苦しさに詰まる喉を震わせる他にする事はなかった。  「14歳の夏。蒸し暑い和室で、私は父に犯されたの。翌年、貴方を生むのと同時に、両親を殺したの。私を甚振った父。庇ってくれなかった母を・・・・―――ね」  娘はそれこそ33回目の嘘だ。と04月01日に生まれた自分を取り巻く数多の冗談に呆れるしかなかった娘は「悪い冗談ね、今年のは」と母に噛み付いた。 (完)
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