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エース
人が死ぬ。それは当たり前の事であり、ある意味摂理であり、また平等な権利でもある。奪うと云う行為そのものを否定する輩も多いが、私ないしは彼、或いは彼女か、はたまたアイツから言わせてもらえれば、その事象と結果は同じである。ただ観測される状況に主観的であるが故の同義的な誤謬や解釈が入るので、それぞれの違った見解が存在してしまうだけに過ぎない。
しかし、エンターテイメントであるからこそ、誰もが幸せになる作品を作って然るべきであるのではないのだろうか。誰も死なない、誰も傷つかない、皆が幸福になり、また消費者である読者や視聴者も心地良くさせるのが、ある意味究極のエンターテイメントではないのだろうか。
○エース
年号が変わると云う事は日本の支配者が変わると云う事に同じだった。しかし、敗戦を帰したこの国ではその支配者は象徴としての機能しか持ち合わせておらず、彼らに対する尊敬もまた単なる伝統行事のような――本質を欠いた形骸である、と思わせた戦後の経済成長の影でひとつの事件があった。
世間で三億円強奪事件と呼ばれる華麗な犯罪が行なわれていた一方で、とある港町で隠居生活を送っていた養蚕業と縫製業で財をなした老夫婦の遠縁の親族が殺害される。その資産家と個人的な交流こそある被害者親族であったが、あくまで知り合いと云う関係でしかなかった彼らは、当時揉めていた老夫婦の遺産相続に纏わる一連の事件・裁判とは無関係な立場であった。
事件発覚当初は少なからずの関わりがあると勘繰られ、遺産相続の問題でそれこそ骨肉の争いを続けていた直系親族達にも事情聴取が行なわれたが、彼らのアリバイは確実なものであり、また被害者親族に纏わる有力な情報も得られなかった。
被害者親族は――夫婦である男性Tと女性A、その子供である少年Kと少女Y、母方の親である女性H(KとYから見ると祖母に当たる)、と男性D(上に同じだが、Hの兄に当たる人物で家族はいない)で構成されていた。何れの被害者も、その細部に於いては幾つか不審な点があるものの、共通して惨殺された物であった。虐待の痕?と思われる傷もあったKとYだが、両者に関しては解体されていた為に全ての肢体を回収するのは不可能であった。
状況証拠と物的証拠から、事件は大まかな推測がなされ、以下のような時系列で持って展開したと結論付けられている。但し、あくまで結果であり、動機や手法、またそこ至るまでの事象が含まれていない事を先に述べておく。
内職こそしていたが、所謂専業主婦であった女性Aは事件当日の朝、男性Tを会社に、少年Kと少女Yを学校に送り出した後、寝室で床に伏せていた女性H(検死の結果、体内に残留していた薬の成分からHは軽い風邪を引いていたらしい)を撲殺した。凶器に使われたのはHの部屋に飾られていた流木(近所で拾ったらしい物)が使われた。老齢と云う事もあり、数発で殺害されたと思われるHの寝室の騒ぎを聞き付けて起床し、様子を伺いに来た男性Dに気付いたAはDを殴り倒し、首を絞め失神させる。
その後、どのような過程を経たのか不明で、Hの殺害後約4時間経過した11時くらいにDは同じように撲殺されている。用いられた凶器は居間に飾られていた木彫りの民芸品である。
しかし、その不明の4時間の間にAは洗濯物を干し、昼食?夕食?の準備だろうか近所の魚屋に顔を出し、家族6人分にしては多い量の魚を数種――アジやタイ、また鯨などを購入している。帰宅したAは殺害したHを浴槽に連れて行き、何故か湯を張り、そのまま放置する。
そして、直後Dを殺害し、Aはそのまま日常を過ごす。昼食後、Aは近所の主婦達と庭の垣根越しに約1時間の談笑に耽ると思い出したようにDをHの寝室から居間に運び、布団を掛けて放置する。
それからAは夕食の準備に取り掛かった事が確認されている。隣人が回覧板を運んできた際に調理している音と匂いがしたと云う事と、また事件発覚後の現場に夕食の支度があった事からそれは明白であろう(料理に掛かる手間を逆算して推測すると15時前後と思われる)。
16時前に帰宅した少年Kと少女Yを迎えたAはその場でKのみを殺害した。だが、不思議にもYはその後、宿題をしつつ間食をしたら事が確認された。当日に提出された宿題が熟され、また僅かに残ったYの胃袋に間食と思われるドライフルーツが残っていた事から判明している。
殺害したKを台所に運んだAは料理に使用した包丁でそのままKの一部を解体し、その肉片をゴミ袋に捨てている。そして浴槽に運び、今度は鍬で四肢を切断。左腕以外は自宅内の汲み取り式便所に遺棄されていたが、左腕は見つかっていない。
恐らく解体が終ったと思われる18時頃にKは自らの咽を切断し、自殺する。宿題を終えたYは自殺した母を発見し、次いでTとHとDを見つけ、何故かDとAの位置を入れ替えている。現場には引き摺ったような跡が見つかっているので確かであり、またYひとりで行なわれた事も確実である。
その作業に1時間弱掛かった事がKの遺体の損傷具合から判明している。死後硬直の程度から、また位置を入れ替えてから傷を付けたと云う事実から逆算した結果の推測である。
それから間もなくて帰宅した男性TにYは殺害され、直後解体されている。しかし、その解体程度が尋常ではない為に、Yは下腹部と一部四肢の破片を残すだけで、身体の約6割が見つかっていない。
Yの解体にかなりの時間を掛けたらしいTは、翌日の朝に自らの頭部を破壊し、自害する。この破壊と云うのは文字通り破壊であり、損傷ではない。Tは猟友会に所属しており、所持していた散弾銃で自らの頭部を打ち抜き自殺を図った。
以上が経過であるが、この陰惨で異常であったこの事件はその性質を鑑みた結果報道規制が施された。地方ニュースとしてとある家族が死んだ程度の報道はされたが、一日として消えた程度である。三億円強奪事件が世間を賑わしていた所為もあるが、この家族が当時でも珍しい村八分のような扱いを受けていた事がなによりもこの事件の秘匿性を増す要因となっていた。
男性Dがその原因らしいが、それ以外の家族には何ら問題もなく、交流も普通に行なわれていたそうだ。ただ、ここに記したように彼らは被害者家族である事を忘れてはいけない。この如何にもミステリー染みた展開は、当時の警察が適当且つ杜撰な捜査をした結果に作られたものから推測されたフィクションのようなものだからだ。明らかに他者の介入があったと思われる殺害現場の状況から、この家族が何者かに――・・・集団と思われる何かに殺害されたのは想像に難しくない。
しかし、仮に真犯人がいたとしても既に時効は成立しているし、事件も異常な心中として片付けられているので、これ以上の捜査は行なわれていない。証拠不足と事実の歪曲があるとしか思えないこの事件の真相が何であるのか?と考えるのは全くもって無駄である。ただ、エンターテイメントとしては面白いのかもしれない。
◇
【動機と凶器に至り】と云う歯切れの悪い題名を持つサスペンスミステリー?は文庫化されるに伴い幾つか書き足される事となった。このサスペンスは、劇中作が多く使われ、その事件について視聴者である主人公達が推理を重ねていくと云う二重構造を取っているが特徴である。ただ主人公達の視線を通して物語(劇中作)が進むので、客観的なト書きと、二人の主人公の主観の混じったト書きが混じるので読み手はかなりの困惑と混乱を抱いてしまう。簡単に言えば、意図的に内容が破綻させてあるのだ。
例えばある事件が描かれる。この時、トリックが分かったと云う主人公がどちらかにいた場合(勿論、そのトリックが正しいとは限らない)、彼の主観で劇中作が進んでいくので、彼にとって不必要な情報(読み手にとって必要な客観的な証拠や状況)が欠けるように物語が進む。しかし、トリックの分からない一方の主人公との遣り取りや、意見交換、主観の変更などもあるのでかなり読みにくい。
複数の短編で分割された事件を描いた所謂オムニバス方式とは云え、ひとつの短編内で共通した描き方をしない上に、そのオムニバスで表されているであろう真の事件は詳細はなく結果しか綴っていない。その為、この作品は賛否両論が多かった。駄作、異常などと悪評も多い。そう云った反応を予め想定していたのか著者は『意図的に破綻させているのは消費される物語には何時だって真実はない。だが、現実の事件には根拠とリアリティがないと云う皮肉を混めて、作品を描きたかった』と後書きで釈明の文を掲載している。
しかし、出版社はその意外過ぎる読者の反応と、彼らに対する謝罪の意味を込めて著者に完全版を執筆させる事にした。勿論、その動機はセールスが伸びるのではないか?と云う編集室の判断もあったからだろう。
この作品は演出を通り越した意図的な誤謬と世界観の歪み、そして事実の欠如があるので、どうやっても推測を立てる事が出来ないので、完全版の執筆を命令された著者は作品のイメージを壊さない程度に、客観的事実を時系列にそって綴る記録を記述した特別編を書き加えたのだ。
「ま、オチは一緒らしいけど。」
先日、購入した【動機と凶器に至り】を既に読破した心は完全版?(疑問符はサブタイとして正式に決定されている)を心待ちにしていた友人の空に手渡した。
「でも、良く一日で読めるわね。」
文庫本を受け取った空は早々に中身を確認する。ハードカバー版に収録される事となった短編を雑誌掲載時に幾つか目を通していた彼女は目次にある題名の並びに注目する。と云ってもオリジナルの順序を覚えている訳ではなかったが、ただ書き足されたと云う特別編がどこに組み込まれているのか気になったのだ。後書きのように―――補足的にあるのか、それとも全体の中に組み込まれているのか。その些細な違いも演出である以上は、新たな謎の提示もあるかもしれない。
「空はどれを読んでだっけ?」
机に腰掛けていた心はふと外に視線を向ける。グランドを駆け回るサッカー部。その脇のトラックで準備体操がてら中距離走を熟す陸上部。体育館の向こう側に位置する野球場では既に叫び声に似た応援を掛け合うほどの練習が始まっている。高さが4メートルほどのネットに三方を囲まれた隣のコートではテニス部が試合をしている。近々対校試合があると聞いていた心。遠すぎる所為で女子部員のスコート姿が見られないのは残念だな、と表情を綻ばせる彼の足を空が小突いた。
「どこを見てるの?」
「テニス部。」
臆面もなく即答した心に空は「呆れたぁ」苦言を零す。
「試合が近いからスコートでやってるんだってね。」
どこかつっけんどんな調子の空に心は頷く。
「らしいね。」
「盗撮されて困ってるんだってよ。」
「ふーん。」
「他人事みたいに云うのね。」
「人聞きの悪い。俺はそんなリスキーな事はしないよ。」
両手を広げて無実を訴える心は態とおどけた様子を見せる。
「そんなに良いの?」
「何が?」
「何が?って・・・・・そのぉ――盗撮とかって話。」
女性として下ネタを話題にする事に躊躇いを覚えた空は少し口篭る。勿論、潔癖なまでに下ネタ嫌いな訳ではない。しかし、身近で起きている事件で、自分も被害に遭っているかも知れない時事ネタを口にするのはやはりどこか面白くないし、照れくさいし、腹立たしいと空は少し辟易する。
「嫌いじゃないけど――――やって良いとは思わないよ。現に犯罪だしね。」
そう言って笑った心は空に改めて質問する。【動機と凶器に至り】の短編の内―――季刊誌や月刊誌で掲載された事のある短編と、ハードカバー板に収録された作品の内何を読んだのか質問する心に、空は「切り替えが早いわね」と訝しむ。
「ま、良いけどさ。」気分を立て直す空は視線を少しだけ泳がせる。「―――・・・・・え~っとね。」
【動機と凶器に至り】の目次に視線を落としながら自分の頭の中の記憶と相談する空。心も目次に視線を向ける。
「確かここに載ってる【不実過程結果】と【現実的】は読んだかな?あと・・・・は、何だろう?テロの何かともう一個を読んだよ。」
「あぁアレね。」
心は指を立てるとそれを宙で回す。確か題名は【自己×ナイフ×実現】だった筈だ。どこかのサスペンスを盗作したような雰囲気のあった作品だったが、昭和中期に起きた実際の事件を参考にしている話だそうだ。初出しの季刊誌の後書きでそんな記述があったのを心は覚えていた。
「そうそう―――。それでもうひとつは何だっけ?ほら中学生の撲殺事件の奴。」
「エース?」
「そうそうそれそれ!」
声を上げた空はその内容を同時に思い出した。一番リアリティのあった作品で、昨今の少年犯罪を扱った面白い作品だった。ただ、主人公(この場合は劇中作の犯人)のアナログな思考に共感できなかったので、いまいち納得の出来ない結末だった。そんな感想を抱いた直後、ニュースで小学生による殺傷事件が起きた、と云う別の意味でその作品は鮮明に記憶に残っていた。だが、鮮明にと云っても場面の絵が漫画の見開きのコマのように強烈だったと云うだけだ。現に題名を覚えていなかったので彼女のそれは高が知れている。
「そうそうそれそれ!」空の口振りを真似た心は気持ちオクターブ上げる。「って云う割りには題名もろくに覚えてなかったね。」
「うっさいわね。」
唇を尖らせる空は視線を外す。【動機と凶器に至り】に収録されている最初の作品【独殺し(ひとごろし)】を開く。心は空の苛立ちが憤りに変わる前に退散する。机の横に立て掛けて置いた鞄から、通学路途中にあるコンビニで買った週刊誌を取り上げた心。最近はマンネリ化しているのか、それとも嗜好が変わったのか面白い作品が少ない。それでもついつい惰性で買ってしまう癖を止められない心は取り敢えず毎週読んでいる作品から目を通す。
「でもさ。」空が不意を突く。「これってそもそも破綻してたわよね。」
「何だよ、不躾だな。」
「だから、著者も言ってたけどそもそもこの作品って辻褄が合わないように作ったんでしょ。時系列に沿って何か得るものがあるの?」
全部を読んだんでしょ?と暗に示すような視線で心を睨みつけた空は閉じた文庫本に栞を挟んでいた。感想を聞きたいのだろうか?と心は尋ねる。
「何、感想を聞きたいのかよ。それってネタバレ希望?」
口角を上げた心に空は「バカ言ってるんじゃないの」と改めさせる。
「違うわよ。もっとオブラートに包んで言って。」
「結局、ネタバレだろ?」
「もう――私の気持ちを汲み取りなさい。」閉じた文庫本で心の膝を軽く叩いた空は溜め息混じりに続ける。「私はそれぞれの短編は読んでるけど、収録作品を通して見た事がないんだからね。触れず冒さず適当な表現で感想を―――って事。」
「何だ、その表現は?」
官能小説の一説でもあるまいし――と云う揶揄が浮かんだ心だったが、それを口にするのは自重した。
「お邪魔でしたでしょうか?」
放課後の教室には不釣合いな音が不意に聞こえ、空と心は教室の入り口に向き直る。そこには野球帽を目深に被った野球部員が立っていた。バットを肩に担ぎ、汗と土埃で汚れたその顔は歪んでいる。浅黒い健康的な顔の部員の背番号は13だ。談笑に耽っていた心と空の二人の間に割って入るのが失礼だと思ったのか、態々扉をノックしたらしい。しかし、当の二人は気遣われるような関係でもなかったので、逆に変に勘繰る部員の態度が気に入らず少しドスを利かせた口調で言った。
「そんなふうに見える?」
首を傾げて卑屈な笑みを作った空は入室に何ら問題も支障もないと告げる。
「何の用?」
一つ下だろうか?見た事のない人相の野球部員の彼に心は尋ねる。同級の野球部員が十数人いたが、クラスメイトをはじめとした数人しか知らないので当然と言えば当然だった。しかし、先ほどグランドを覗いた時はこんなにも汚れるような練習をしていなかったが?と心は視線を窓の外に向ける。
「あぁ―――ノック練習してるんだ。」
鬼監督の異名を持つ野球部担当の教諭の怒号が遠くから聞こえる。ボールを追いかけてグランドを走り回る部員達の苦労が見て取れる。
「パシリっすよ、パシリ。」教室の敷居を跨いだ部員は頭を下げる。「先輩に頼まれたんでちょっと抜けてきたんっすよ。」
部員は心と空に会釈をすると、まず教卓の方へと向かって行く。中にあるプリントや日誌を取るのかと思いきや、部員は教卓の後ろ――黒板を背にして立つと、教室全体を見渡す。窓際に座る心に視線を向けたか思うと、指を突き出して机の数を数え始める。
「誰かの席を探してるの?」
心が尋ねる。
「いや、斎さんって机なんすけど。」
「あぁ、斎の机は真ん中―――ここだよ。」
立ち上がった心は空の足を退かし、教室の真ん中に進む。7×6列で整然と並ぶ机を、窓際から二列目、前から4列目の机を叩いた心。
「そっちじゃなわよ。その隣。」
空が心の指摘を修正する。
「そうだっけ?」
「昼休みに場所を変えたのよ。」顎をしゃくり、隣の机―――脇にファイルケースが引っ下げられている机を示した空は言った。「ほら、その隣が巽さんでしょ。斎の好きな子だから、明が気を遣って交換したのよ。」
「えぇ!?」
心はそんな話は初耳だと驚いて声を上げる。
「明は知ってたの?」
「知らなかったのはアンタぐらいじゃない?」心を一笑した空は、部員を手招いて誘う。「んで、この机に何か用なの?」
すみません、と机の間に身体を滑らせるように―――机の列に対して垂直にして進む部員は、自分の身体が汚れている事を自覚しているのか、出来るだけ接触しないように努めている。
「あぁ―――これっすか?」
部員は斎の机の中を覗くのに邪魔な椅子を退かそうする。背凭れに手を掛けようと腕を伸ばした部員はふと何かを気付いたのか突然身体を起こすと心の方に視線を寄越す。
「あのすいません。」
「何?」
「いや、このままだと汚れちまうかなって思いまして。」
両手を広げた部員はその汚れたユニフォームを見せる。確かに、と思う心だったが、それ以前にバットを持ってくるのは如何なものだろうか、と改めて部員の格好に疑問を抱いた。
「どれだけ急いでるの?」
空が心の疑問を代弁する。彼女も同じように不信感を抱いているようだ。しかし、その割に部員は悠々としている。急いでいると云う観はない。どちらかと云えば、先輩の用事を理由に休み口実が出来たのを嬉しく思っていると云った感じだろうか。
「いや、正直あんまり焦ってないです。」
飄々と応える部員は肩を竦める。
「だろうね。」失笑交じりに頷いた心は部員に代わり椅子を退かし、斎の机の中を覗きこむ。「それで探し物って?」
「は?」
部員は素っ頓狂な声を上げた。
「いや、先輩に何か頼まれたんでしょ。探し物を。」
「あぁ、いや、だからパシリで来たんすよ。ま、罰ゲームみたいなものっすか。」
「だから、斎の机に何か用があったんでしょ?探し物?忘れ物?それとも違うの?」
空が部員に詰め寄る。小柄な空よりも頭一つ分以上は高い身長の部員は、見上げるように覗き込む空から視線を外す。肩に担いだままのバットを揺らす部員は少し照れているようだ。
「月先輩に頼まれたんすよ。」
勘弁してくれ、降参ですと云った表情でそう語りだす部員。全く女性に免疫のない少年のような振る舞いを見せた部員に心は小さく吹き出す。
「月に?」
空は体勢を立て直すと、彼女の席の方へ一瞥を送る。心の席の前に位置する月の席。この真新しい机の並ぶ教室の中で、彼女の古臭く、汚れた観の机は目立つ。
「いやぁ、断れなかったと云うか――・・・・先に見返りを貰っちゃったと云うか・・・・。」
部員はバットを肩から下ろす。彼の内面を表すように手持ち無沙汰な様子で揺らされるバット。ボールを打った所為か、それとも何か違う物を打ったのか、はたまた何所かにぶつけたのか、バットの先端部分に近い所は窪み、塗装が剥がれている。少し錆らしきモノが露出するバットの観察も程々に視線を部員に戻した空は尋ねる。
「でも、月が斎の机に何の用?逆にわかんないんだけど。」
斎と月の関係の接点が見出せなかった空。
「それ以前にアイツ野球部と関わりがあったっけ?」
心は視線を天井に向けて、記憶を検索してみたが思い当たる節はない。
「いや、野球部とは無関係っす。」
バットで床を突付く部員。カツカツと云う音が静かな教室に響く。廊下の遠くからは吹奏楽部の調律する音が聞こえている。
「じゃぁ何でそんな格好を?」
そう尋ねた空はどうでも良い事だと気付いた。放課後の部活動中に抜け出したのならば当然の格好だったからだ。
「エースになって来いって。」
「エース?」
空は繰り返す。「そうです」と頷いた部員は改めてバットを担いだが、その先端を揺らしている。
「と云うか、斎の机は何だったんだ?」
斎の席を元通りにした心。彼女に向き直った部員は天井を見上げる。釣られるように空と心も視線を上げる。
「部屋の真ん中の方が見映えが良いって月先輩は言ってました。」
はぁ?と溜め息を零して呆れる心と空は首を傾げた。
「だから、斎さんって人の机がちょうど真ん中だから、ちょうど教室全体に広がるんじゃないかって。」
「だから、何しに来たの?」
そう言って部員を振り返った空の目の前にはバットがあった。歪んだバットの先端部分は、20センチ弱ほど。丸い物を殴り、それに反発した結果に歪んだらしい事が窺える。ちょうど人間の頭部を殴ったらそんな感じになるのだろうか。いや、人間の頭ってそんなに固いのだろうか。そう考える空の頭部目掛けて振り抜かれたバットは、教室に鈍い音を響かせ、部員の告白どおり辺りに満遍なく血飛沫を散らかした。
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