尊厳と葛藤

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尊厳と葛藤

【 電源を切るまでの間。遣り取り。尊厳。生と死。それは何か? 】  潔癖なまでに清浄な空気は、少女ではなく、少女を支える人工臓器の緻密さゆえに求められていた。白い部屋にコントラストを添える無機質な臓器の数々に生かされ続ける少女は自分にどんな価値があるのか考えていた。  主治医である彼は機器のメンテナンスに従事している。ギブスで固定された首をそのままに、男性の姿を注視していた少女はふと思い閃いた。  心臓の代わりに自分の全身に血液を送るバイオポンプは数世代前のオーディオのように、ポンプを回し続けている。心臓とは似ても似つかない―――無機的で、機械的で、単純な動作で生かされている自分の脆弱さに少女は苦笑を浮かべそうになる。  しかし、苦笑を揺るだけの表情筋はなく、それを表すまともな唇もない自分の顔では、どんな感情さえも軽薄なものだろう。何の為に生きているのか、悩むだけの容量を残している脳がこの瞬間ばかりは甚だ憎たらしい。  「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・先生、私を殺して下さい。」  呼吸を助け、咽に溜まる痰を取り出す為のチューブが少女の声を掠れさせた。吃音のような溜め息に振り返った医師は驚いたような表情をしている。  「―――――――冗談にしても医者である僕に云うべき台詞じゃないよ。」  医師は慌てた様子で苦笑を浮かべ、少女の絶望を一蹴した。  「冗談を言えるほど、私は余裕のある生き方が出来ません。」  電子音に置き換えられたような不快な声で少女の発声が出力される。  「・・・・・・・・だったら、尚更だよ。死ぬ――なんて簡単に口にして良いものじゃない。  「でも!」と少女は反論する。「でも、私は生きている証が欲しいんです。」  「生きている価値なんて、生きている限り、生きている以上はあるものだよ、大抵・・・・。」  医師はそう諭すもその視線は少女に向いていない。何本も掲げられている点滴の残量を確認しているようだ。  「こんな、こんな私にどんな価値があると云うんですか?」  少女は少し声を荒げた。しかし、声帯の動きをトレースし、発声するだけのシステムはどこまでも――空しく平坦なままだった。  「・・・・・・・・僕は、僕が君といる事がその価値じゃダメかい?」  医師は少女を見遣る。見る所もない、人間らしさの微塵も残していない少女の容姿を真っ直ぐに捉えた医師は続けた。  「僕は君を助けたい。絶対に・・・・・・・・・それに不可能じゃないだろう?」  ベッドに磔にされたような少女の腕。ベッドとシーツの間に手を忍び込ませた医師はそっと少女の肌に触れる。カサカサに乾燥している細い指先を絡める医師に少女は言った。  「こんな、こんな私を助けてくれる人がいますか?」  目脂で汚れた瞳から零れ落ちた皮脂の欠片。世辞にも涙とは言えない汚らしい姿に医師は思わず眉間に皺を刻んでしまう。何て醜く、何て哀れなのだろうか――――。しかし、どうしようもなく少女が愛しい医師は、僕がいるじゃないか、と告白する。  「僕がいるじゃないか。僕が君を助ける。僕はずっと君の傍にいる。だから、死ぬなんて―――・・・言わないで。」  少女の目の汚れを軽く指先で拭った医師は、僅かに残った彼女の肌も序に洗った。  「でも、先生?」嬉しい、と云う言葉を飲み込んだ少女は尋ねる。「私は生きてないんです。ただ、死んでいないだけ――・・・・・・生かされているだけなんです。」  「どうして、そんな事を云うの?」  医師は唇を噛み締めた。少女の絶望を慰めるだけの言葉がない。浅はかな同情の言葉は溢れるように出てくるのに、彼女の心を慈しみ、癒すだけの言葉は見つからない。ただ苦笑し、泣かないでいるのが精一杯の自分がどうしようもなく歯痒かった。  「私達をはじめ多くの生き物は活動を代償に、酸素を糧にしています。その先に酸化と云う老化が待っていようとも、代謝を続け、寿命を切り刻み続けています。でも、本質は死に落ちていく事でしょう?」  医師は少女を睨み返した。間違ってはいない。しかし、癒す事を、生かす事を生業とする自分がそれを認める事は出来ない。それこそ意義と価値を否定してしまう事になるからだ。  「だけど、人間はその傲慢さゆえに自らを死を選ぶ事が出来ます。」  少女が生きている事を代わりに告げる心電図のバイタルが大きく揺れる。少しだけ焦った医師は思わず身を乗り出した。  「先生―――・・・まだ、私が人間でいる内に・・・・人間の尊厳を奪って下さい。」  期せずして覆い被さるような形になった医師に懇願する少女は口元から涎を零した。  「選べる事しか出来ないんです。だから、まだその自由がある内に私を殺して下さい。」  心電図に視線に視線を直した医師は改めてそのバイタルを確認する。脈拍は少女の平静よりも若干高く、呼吸も早い。その数字は少女の生き方を定量化している。生きてはいない。生かされている。少女の気持ちが見て取れる医師だったが、やはり安楽死を認める事は出来なかった。  「ダメだよ・・・・・やっぱり。」  体勢を直した医師は椅子に腰掛けると気持ち顔を伏せった。  「私は無理矢理酸素と栄養を流し込まれ、消化された排泄物を回収されるだけの生き方には耐えられません。苦痛を感じる脳もなければ、私は幸せだったのに――――――どうして皆は私を生かそうとするのですか?両親だって、私がいない方が良いです。」  「そんな事はない!!」医師は感情的に言葉をぶつける。「どんな形であれ、子供が生きている事に不満を覚える親なんていないよっ?!」  「でも、私に投資する意味なんてありません。」  投資――なんて・・・と医師は表情を引き攣らせた。  「・・・・・・・君に生きていて欲しい―――。それじゃぁ、不満なのかい?」  医師はゆっくりと涙を零した。  「死の自己実現を許して下さい―――先生?」  バイタルが何故か急に弱くなり始める。医師は再び焦った。機器は順調に作動している。それぞれの人工心肺のメンテナンスをしたのはつい先ほどだ。問題があれば気付く筈だ。  「先生?私を殺して下さい。まだ、死を選べる自由が―――それを全う出来る猶予がある内に生きていた証を、自我を残させて下さい。」  少女の呟きは危篤状態を知らせる警戒音に掻き消されている。医師は人工心肺の機器を兎に角チェックした。しかし、問題はない。否、見つからない。焦っている。自分ひとりではダメだ。  「誰かっ!!誰か来てくれ!!」内線に緊急連絡しながら医師は危篤状態の原因を探した。「くそっ!!何だ?何が原因なんだ?!」  余裕がない事をわかっていても、医師は機器の動作を確認せずにはいられなかった。  「・・・・・・・・・・・・先生?私は機械ではないんです。」  医師は振り返った。  「私はメンテナンスで生かされるなんて嫌なんです。」  医師は言葉を失った。  「私の尊厳を最初に奪ったのは先生でしょ?」  医師は膝を折ってしまう。  「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だから、先生に殺して欲しいの。」  医師は床に肘を突くと、呆然とした様子で呟いた。  「そうか、そうだったのか――――――。」  ゆっくりと立ち上がった医師は、徐に少女の電源を切った。  One Scene   Cut 01    選べる事は幸せですか?
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