幸せの願い

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幸せの願い

 それから更に四年が経ったと言うのに病院も地域の雰囲気もあまり変わらなかった。小さな変化を私や花さんで積み重ねて来ているのに、今日もスーパーで嫌なおばさんに出会ってしまい憂鬱な気分になる。世の人たちに一磨のような人を理解してもらおうとするのは所詮無理な話なのだろうか。  小春も小春で一磨に対して言葉を選ぶようにはなったものの、心の何処かで偏見を抱いている。変わったと思ったのは一時だけ。どうしてもこの偏見は払拭(ふっしょく)できないようだ。 「月渚。お前、ボーっと月を眺めて何考えてんの?」  傍に座っていた央樹が長い時間、物思いに(ふけ)っていた私を心配するように声を掛けてくれた。 「いや、別に」 「別にじゃねえだろ。いつまでボーっとしてんだよ」 「ちょっと昔を思い出しただけよ。あれ以来、花月の声も聴こえないなあって」  それを聞いて央樹は少し落ち込んだ顔を見せた。 「俺、最近、花月の声を聞いたぜ」 「え? ホントにホント? 信じらんない」  央樹がいつものように冗談でも言ったかと思うくらい信じられない話だった。花さんと央樹はたまに意気投合する時もあるので、多分それを利用して花月の声まで聴いたのだろうが、そんな単純な理由で彼女の声が聴けるなんて羨ましい限りだ。 「で、どんなお喋りをしたの? また、何処かへ連れてく算段とかしてないわよね。君は何を想ってるの? なーんて」 「さあな。今度は月渚だけ置いてきぼりかもよ」 「いやだ。何処か行くなら私も連れてって。お願いだから、どんな想いか教えてよ」 「俺もそればっかりは言えねえな。それより、そろそろみんなが来る頃だぜ」  央樹が遠くの方から歩いて来る灯りを持った人たちにスマホのライトを照らして合図を送っていた。よくよく見ると花さんに連れられて一磨や月乃ちゃんまで一緒について来ている。  今日は月食なのにここへ来るなんて本当にまた何かするつもりだろうか? 「花さん。待って待って。もうすぐ完全に月が影に入っちゃうよ。早く、みんな隠れて」  一人で焦っている私に月乃ちゃんが楽しそうに抱きついてきた。そして突拍子もないセリフを口にする。 「月渚! お前を喰ってやるー」 「きゃー!」  思わず月乃ちゃんのドスの効いた声に驚き、私は地べたに伏せてしまった。  あれ? このセリフは……  何処かで聞き覚えのあるセリフに耳を疑い、顔を起こして目の前にいる月乃ちゃんを見た。紛れもなく【五月亭】で会った月乃ちゃん本人が目の前に立っている。  月乃ちゃんに花月のマネをさせるなんて花さんも質が悪すぎると思い、花さんを睨みつけると素知らぬ顔でこちらに向かってきた。  そうして花さんと一磨で私の手を握り、そっと起こしてくれた。 「月渚ちゃん。大丈夫?」  花さんが優しく声を掛けてくれた。一磨も花さんと同じように優しい笑顔で髪に付いた葉を落としてくれた。 「大丈夫じゃないですよ。月乃ちゃんに変なセリフ、教えないでください」  少し腹を立てたフリをして頬を膨らます私に、花さんは軽く首を横に振った。 「何も教えてないけど。それより月渚ちゃん。今日の月見山はね、皆既月食じゃないのよ」  そう呟いた。 「今日は大丈夫なんだ。大丈夫!」  一磨も一緒になって私に教えてくれた。 「ええ! だってテレビでも皆既月食、取り上げてたよ」 「それは、あれよ。あの独立した国や日本の一部が皆既月食って言ってただけ」  その言葉に思わず頭の中で理科の授業が始まった。確かに皆既月食になる地域は地球の半分だけであり、そこに入らなければ部分月食になると教わったような気がする。ならば今、月見山で見えている月食は部分月食と言うわけか。 「それでね。お久しぶり、月渚ちゃん」  今度は優しい声で月乃ちゃんが改めて挨拶をしてきた。夕方、喫茶店で会ったばかりなのに「お久しぶり」とは(いささ)か滑稽である。 「さっき会ったばかりじゃない。五月亭で」  私が月乃ちゃんにそう言うと月乃ちゃんは静かに首を振って否定した。 「月乃じゃないの。あたしは花月」 「ええ!」  思わず私は公園中に響くくらい大きな声で驚いてしまった。こんな話を聞いたら冷静ではいられなくなる。 「花ちゃん。花ちゃん。花ちゃーん!」  嬉しさのあまり、そのまま勢いに任せて花月に抱きついてしまった。 「落ち着いて、落ち着いて。あたし、あんまり時間ないから」  そう言うと花月は私の肩を握り、呼吸が落ち着くまで待ってくれた。 「でも花ちゃん。どうやってここにいるの?」 「それは……月食の前だけ自分と同じ想いを持った人に会いに行ける話、知ってるよね?」 「うん……お主は何を想うだっけ?」 「そうそう。それを使って、月乃の中へ入らせてもらったの。ムンちゃんにも協力してもらってね」  それって月乃ちゃんも昔から能力を持っていたというわけか。おままごとの時に出てくるムンちゃんは、幼い月乃ちゃんの中に眠る月読の能力だったのだとも改めて知った。  驚きと嬉しさに何とも言えない歪んだ表情になる。笑いが込み上げて来るやら、涙が零れ落ちるやら、とうてい人には見せられない顔になってしまった。 「それで今日はね、あたしたちと同じ想いを持った人に会いに来たってわけよ」  そう言うと花月は私ではなく央樹の方へ歩み寄った。央樹は今日ここで花月が来るのを知っていたようで、中学の時のように腕を挙げてぶつけ合っている。 「影入家や央樹君の願いは同じなのに、月渚ちゃんだけはいっつも違うのね」  残念そうに見つめてくる花月に「どんな想いなのか」と尋ねてみたものの、応えてくれなかった。おそらく、それも月弓一族のルールなのだろうか。  そこへ一磨が私の傍へやって来て、とても小さな声で()いてきた。 「月渚! 幸せかい? 幸せになって」  一磨が私の幸せを願っているの? 私は今まで不幸せな人生だと思っていなかったので幸せなのかと思っていたが、そんな風に()かれると分からなくなってしまった。  ちょっと思案していると夜空にセミが羽ばたく音がした。儚い時間を懸命に生きていると私に伝えるように。 「月渚ちゃん。もう一磨の心配ばかりしなくていいよ。あなたが思っている以上に一磨も成長したから大丈夫」  花さんが私の心を覗くように見つめ、大きな声で言い放った。 「でも、まだ何も変わってない」 「ううん。ゆっくりとだけど、ちゃんと世の中は変わってるわ。だから、ちょっとは自分の幸せも探してみて」  もう十分だと言うように、花さんは私を抱きしめて頭を優しく撫でてくれた。 「せっかくの青春を一磨のためにずっと使ってくれて、ありがとう」と、花さんは付け加えて。  その瞬間、張りつめていた心が弾けたように楽になり、目頭からまた涙が落ちていた。それを見ていた花月も同じように涙を零して私に微笑む。  そんな花月は涙を拭って、私の手と央樹の手を掴み「以前のように輪になって」と。  懐かしい感触を両の手と手に感じる。 「月渚ちゃん。この手の温もり覚えてる?」 「うん」 「じゃあ。今、月渚ちゃんは何を想ってるのかな?」  昔、月食で感じた時のような心に訴えかける静かな言葉で花月は()いてきた。私の思い出に話し掛けるように。  私がこの温もりを忘れるはずがない。央樹のとても強い握りと花月の柔らかい掌は今でも何処かで求めていた優しさだったから。あの時、最後までずっと握ってくれていた央樹の手の温もりは今も心の支えになっている。これからも、ずっとこの先もだ。  その時、心の奥底に熱いものを感じた。何かに抱かれるような大いなる力を感じ、これが花月によるものなのか、央樹の手の感触なのか分からないほどだった。 「花月さん、ありがとう。もういいよ」  央樹が何故だか花月に礼を言っている。 「少しだけ月渚ちゃんの心と共鳴できたかしら?」 「うん。今なら俺も言えそうだよ」  花月と話していた央樹は何やら真剣な眼差しで、今度は私の方に向いてきた。先ほど心の奥底で熱くなったものが更に熱さを増していく。  なんだろう? この感覚は。  私は自分の気持ちが分からないまま、ただただ央樹と目を離せないで見つめていた。 「月渚。好きだよ。俺と一緒に幸せになろうぜ!」  突然の告白に心臓の鼓動が周りに聴こえているんじゃないかと思うほど跳ね上がっていった。誰かに真正面から言われたのは初めてで、体中が震えてしまい、自分では抑えきれない。そんな震えた私の手を央樹は絶対に離さないという力強さで握ってくれていた。昔、何処かへ飛ばされそうになっている私を抑えてくれたように。  そしてもう片方の手もいつの間にか央樹と繋がっていた。先ほどまで花月の柔らかい手があったはずなのに、いつの間にか彼女はその手を離して央樹の掌へと渡していたのだ。両手に央樹の温かさが伝わってくる。心の整理がつかない。  ふと我に返って気が付くと私は静かに頷いていた。 「勇気がなくて今までずっと言えんかった。十二年間、お前に相応しい男になろうと必死だったんだぜ」  何も央樹の言葉に言い返せないまま、また頷く。 「月渚。これからは二人で未来を創ろう」 「そうだよ、月渚ちゃん。央樹君も凄い人なんだから! 彼なりに頑張ってたの知ってたでしょ?」  花月が私の肩を叩いて央樹の方へと寄せた。 「うん」  それしか言葉が出なかった。  央樹なりに頑張っていたのは知っていたけれど、それは個人的なものだと思っていたから私には関係ないと、自分から目を逸らしていたのかもしれない。  自然とまた涙が頬を伝って落ちていく。今日はなんて涙脆い日なのだろうか。自分の幸せなんて考えていなかった私なのに、周りのみんなが私を想ってくれていたなんて思いもよらなかったからだ。 「良かった。今日は無理して来た甲斐があったよ。もうすぐ、あたし消えちゃうけど、央樹君と月渚ちゃん、お幸せに!」 「花ちゃん。ありがとう。また会いたいな」 「いつでも、あたしは傍にいるよ」  その言葉と共に月乃ちゃんの身体が光り輝き、花さんの胸元へとその輝きが戻っていった。倒れそうになる月乃ちゃんを花さんが慌てて抱え込む。  それを見ていた一磨が両手の指で大きな丸を描きだした。その丸に私と央樹も呼応するように、「(まる)!」と声を出し、同じように両手で丸を描いて。そんな三人の丸を見て、花さんは満面の笑みで月食を見上げていた。  ◆◆ 『十二年もかかったが、ようやく革命は成就した。成就できる世界へ来たんだから当然と言えば当然だろう。ちいと長くかかり過ぎたぜ。【赤い月】の者たちはみんな消えちゃったけど、多くの民の願いは叶った。では【赤い月】前日に殺されたツキヤマタクにも哀悼の意を込めて……ステファン・M・ルース』  どこからともなく、こんな放送が聴こえてきた。デモの時に消されたと噂された邦人の首謀者ツキヤマタクが実は皆既月食の前日にもう殺害されていたなんて、真実を知ると怖くなる。なのにデモで日本人のツキヤマが映っていたのは何故だろうか? これも【赤い月】の成せる業。あの口の悪い外国人の男モーント・ルースがツキヤマタクに化けていたのなら造作もないか。  そう言えばオレオおじさんも以前訳の分からない話をしてくれたっけ。モーントがツキヤマを超えるツキヤマだとか。皆既月食前日にリーダーを失ったモーントがみんなの願いが揺るがぬよう自分を犠牲にしてツキヤマタクを演じ切ったのなら心が痛む。  ああ、もうツクヨミの事を考えるのは止めだ止め。あまりにも突拍子過ぎてホント疲れてしまう。  そんな帰り際、今夜も白く輝く月光が私たちの帰り道を明るく照らしてくれていた。花月の優しい光と同じように。  そうして私の前に月食のような出来事が突然訪れた。  目の前の月が欠けていく。  気を失いそうになるほどの勢いで大きな赤い月が私の前に......  目の前が暗い中、優しい央樹の赤い顔とソーダ―の甘い香り。そして仄かに香るコーヒーのほろ苦さを口元に感じて、私もそっと目を閉じた。
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