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一時限目
学校へ到着すると、さっそく一磨は支援学級【光組】の方へと歩いて行った。病気の彼は英語や理科、美術、体育の授業だけ副学級の【夏組】に戻ってくる。それも私の席の隣に。それを喜ぶべきか悲しむべきか分からないけれど、少なくとも同じクラスの央樹だけは、そんな私たちを揶揄って楽しんでいた。私はそれが非常に嫌だったのだけれど。
先生や学級委員長の小春ちゃんからは私と央樹の喧嘩を【夫婦漫才】と言いっているくらい、央樹の言葉に怒りを込めて乗ってしまう自分がいた。言われっぱなしは癪なのでついつい言い返してしまうのが、傍から見てると漫才のツッコミのようで可笑しいらしい。
「おはよう。小春ちゃん」
「おう、月渚。珍しくあたいを名前で呼んでくれたね」
「まあね」
そう答えると、小春の方に軽く手を振って席に着いた。やっと一磨との朝の業務が終わったかと思うと疲れがドッと溢れてくる。毎日の日課で慣れているとは言え、どこか気を遣っていたのだろう。そんな私は空梅雨の兆しを見せる青空を眺めながら「せめて雨でも降ればいいのに」と、ボンヤリ窓の外を眺めていた。
今日も天気予報は晴れなので雨が降る予兆は微塵もない。外では少し早いセミの鳴き声が聴こえてくるほどだった。夏と間違えて土から出てきたセミが少しばかり気の毒に見えた。いったい彼らは、これから何日くらい生きていられるのだろうかと少しばかり心配になる。
せめて彼らも、儚い生涯を楽しく過ごせたら幸せだろうにと。
セミの心配をしながら自分はどうなのだろうかと、ぼんやり毎日の平和な生活を振り返ってみた。特別変化のない私生活は、これぞ平和で平凡というお手本のようなものだった。身体を動かすのは好きだけれど部活は面倒だからやっていない。読書は好きだけれども、友達と遊ぶのが第一優先だ。そんな、のらりくらりと暮らしている自分とセミを比較するのは申し訳ない気分でいっぱいになる。
平凡な生活は素晴らしい人生だとは思うけれども、やっぱりつまらない人生だなと改めて溜め息を漏らした。毎日の生活に潤いなどは感じない。本当に楽しいのか、幸せなのかさえも感じないのだ。こんな毎日を過ごしていたら、自分は腐女子にでもなるんじゃないかと、まだ見ぬ未来に不安を感じてしまった。
「こんな時に天気予報を覆す雨でも降れば、私の気持ちも晴れるというのに」と空をまた眺めて。
窓際に空いた席が二つあり、そこの机に反射した光が眩しいくらい良い天気で、私の想いを太陽があざ笑っているようだった。所詮、私の願いなど脆く儚いものなのだ。
「……手さん、天手月渚さん。もう授業始まってますよ」
先生から唐突に声を掛けられた私はビクッと驚いて一磨のように肩を上下に揺らしてしまった。不覚にもボケっとし過ぎて、授業の開始に気付けなかったのだ。周囲の友達が笑っている声に私は思わず恥ずかしくなり、頬を赤くして俯いてしまった。
「さあて、今日から二十五周年式典の準備をするぞ!」
先生がそんな話をし始めた。確か今年は月見山中学校創立二十五周年だと前々から言われていたような気がする。そのためのイベントを各自で考えて来るようにと言われていたような。
学校が考えるイベントなんて、どうせ眠くなるようなモノばかりだろうから、やらなければいいのにとさえ思っていたほどだった。
「二年夏組は正門に飾る看板造りだ。大きい看板に目立つようなアイデアを頼むぞ」
「はーい」
美術好きな生徒たちが何人か大きな声で返事をした。私もそれにつられて返事をする。
「あとは、学校全体で出来るイベントとクラスで出来るイベントは何かあるかな? なんなら自主製作みたいな物でも構わないから誰か意見くれ」
これがこの時間のメーンイベントだった。何をするのかあまり真剣に考えてこなかった私はノートを開けて落書きをしながら、何か面白いイベントができないかと悩んでみた。学校の先生が思いつかない、みんなで自主製作できる物は何なのかと思いを巡らせて。
時間が経てども周りからそれほど面白そうな意見は飛び出して来なかった。暫くの間、授業が停滞する。
「先生。俺もアイデアあるんすけど、いいっすか?」
そこへ勢い良く手を挙げたのが央樹だった。
「はい。佐野君どうぞ」
一気にクラスの目線が央樹の方へ注がれる。彼はクラスの人気者で男子からも女子からも好かれているから。彼が喋り出すと、みんな彼に注目するのだ。女子で央樹に盾突くのは、おそらく私くらいだろう。きっと私は、あのノーテンキでキラキラとした人生に彩のある奴が羨ましくて嫉妬しているのかもしれない。幼馴染の私たちなのにどうしてここまで彩が違うのかと神様を恨むほどだった。
「全体のイベントにクラス対抗サッカー選手権て、どうっすか?」
サッカー部に所属しているだけある央樹の意見だ。あのスポーツ馬鹿が考えそうなイベントである。ただ、央樹は自主製作の概念を越えて非常に面白い意見を言うものだと少し感心させられた。スポーツなら身体を動かせてイベントに取り組めるし、眠くもならなそうだ。そんなスポーツ馬鹿の考えに私の発想力が劣るなんて、本当に私は腐っているようだ。自分の考えを持たず流されっぱなしの人生に少しばかり自己嫌悪に陥ってしまう。
「さて、クラス対抗とはどんなサッカーをするんですかね?」
先生が意地悪そうな質問を央樹に投げ掛けた。クラス対抗なんだからクラスの男子が十一人を交代しながら参加させるだけでいいじゃないか。女子は体育館でバスケットボールかバレーボールでもやればいい。男女ともスポーツができて楽しそう。
そんな私の考えなど無視するように央樹が意見を述べた。
「サッカーは男女共みんな参加で。そんで先生や一磨も混ぜてやっちゃおうって考えだけど、どうかな?」
誰も予想していなかった言葉にクラス内でどよめきが起こった。少なくとも私が思っていたスポーツ大会とは違うものになりそうだ。男女共にサッカーをするまでは良いが、先生と一磨が入ってくるとは別問題のような気がする。
「それは面白そうですね。是非、先生も参加させてください」
先生は央樹の意見を素直に喜んでいた。喜んでいないのはクラスメイトたちだけ。
「俺は反対だぜ。影入はサッカーできんし、そんなんで勝てるわけないじゃん」
クラスのやんちゃ坊主が真っ先に異を唱えた。央樹とは仲がいい奴なのに一磨の話となると人が変わってしまう。一磨を毛嫌いしているのが、あからさまだ。
「あたいも嫌だわ。ルールも分からない人がチームにいても上手くいかないって」
真面目な学級委員長の小春もルールを理由に反対してきた。ルールを知っていても運動音痴なくせして、一磨の参加に異を唱えるなんて信じられない。どちらがピッチに立っても同じようなものではないか。それを考えていると小春に対して苛立ちが募ってきた。
「小春だって一磨と似たようなもんなのに、ルールどうので反対すんな!」
思った言葉をついつい吐いてしまった。小春も唐突な反撃に私を睨みつけてきたけれど、私は一磨の事となると熱くなる性分なので別に怖くなかった。
「月渚と一磨は仲いいから。庇ってるんでしょ?」
「こいつら、いっつも、ラブラブ登校してるもんな」
完全にクラスのみんなから馬鹿にされている。別に好きで一緒に通っている訳ではないのに、そんな言い方はないだろ? そんなに私たちがラブラブに見えるかって言うの? 腹は立つが、言い返せないままグッと唾を飲み込み我慢した。
「まあまあ、まあまあ。影入君もクラスの一員なんですから」
先生が喧嘩腰の私を制止させて小春にも注意した。小春は一磨を馬鹿にしたわけではないようだけれども、フェアプレーが出来ないのではと危惧していただけだった。それを汲み取り、私からも央樹に一言述べさせてもらった。
「確かに小春の言いたいことも分かるけど。央樹、いったいどうやって一磨にサッカーを教えるの?」
素直な意見を尋ねてみた。
「何とかなるんじゃねえ」
央樹らしい馬鹿で浅はかな意見が返ってきた。こういう言葉を聞く度に、央樹の楽観的過ぎるほどの脳味噌をぶん殴りたくなってしまう。
「何とかならないの知ってるよね? ちゃんと、もっと真剣に考えなさいよ」
「そうだそうだ」
私の意見を後押しするような声援が返ってきたのは嬉しいけれど、これでは一磨を私が否定しているようなものになってしまった。
「夫婦漫才は後にして、何か佐野君からも良い方法を挙げてください」
先生が冗談交じりに央樹からの意見を求めた。クラス中が【夫婦漫才】という言葉で笑いが溢れ返っている。
「大丈夫だって、みんな。俺がマンツーマンで一磨にサッカー教えるからさ。やろうぜ」
央樹は自信満々な態度で言い放った。彼は彼なりに一磨に教えられる自信があるようだ。確かにサッカー部でもエースの彼は他の誰よりも教えるのが上手かもしれない。
「あとさ。光組の連中はみんな、他のクラスと副学してるから立場は一緒だって。第一、おばさん先生だっていっぱいいるんだから、うちの先生や一磨の方がまだマシだってえの」
それを聞いた先生は苦笑いしていた。おばさん先生よりかは上手いだろうけど、若い男の先生よりかは下手そうなのが伺えたからだ。だけれども、先生と一緒にサッカーができるなんて思ってもみなかったから、私は素直にその提案を嬉しく思った。
「他に意見が無いなら、今度の職員会議で夏組から佐野君のサッカーを推薦しておくとしよう」
先生も少し乗り気な感じで央樹に合図を送っていた。そんな央樹は私の方を向いてドヤ顔をしながらピースサインを送ってきた。勝ち誇った顔が実に憎たらしい。
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