重厚な本と英語の授業

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重厚な本と英語の授業

 一時限目の特別授業が終わり、二時限目の国語は誰もが眠そうな顔をして静かに授業を聴いていた。  そして二時限目と三時限目の間の休み時間。この学校で昼の休み時間に次ぐ、少し長めの二十分休憩がやって来たのだ。  私は昨日借りた【月読命伝説】の本を返しに図書室へ向かった。  休み時間を女子同士で恋愛話に花を咲かせるのもいいが、このクラスにいると央樹の話題で女子たちは持ち切りになり、私のような央樹と口喧嘩ばかりしている奴は(うと)まれがちだった。たまには友達に合わせて恋話を喋る時もあるけれど、そうすると今度は央樹に好意を持った女子たちからライバル視されてしまうので困ってしまう。近所の幼馴染というだけなのに女子友達のアンテナはネットよりも情報通なので油断も隙も見せられない。どちらを選んでもアウトなら、一層の事そのネタに関わらないのが自分の身のためだった。  ただの幼馴染なのに……当時は、そんな風にしか思っていなかった。  こういう時は図書室へ逃げるのが一番。今日は皆既月食だし、それにちなんだ本が見つかれば、少しは面白くなるかもしれないと。  そうして図書室へ入ると低学年のクラスの子が大勢いた。何かを探して整理しているようだった。 「ねえ、君。ここでみんな何やってんの?」 「天手先輩、こんにちは。今日は僕たちのクラスで図書室にある二十五年前の本を洗い出してるんですよ」 「二十五周年記念に合わせて?」 「そうそう。どんな本があって、どんな本が流行(はや)ったかって」 「へえ、面白い事やってんね。なかなかいいアイデアかも」  メガネをかけた後輩の男子に親指を立ててナイスアイデアと称賛した。そこへ後輩の女子も近づいてきて私に重厚な本を一冊見せてくれた。 「天手先輩。また図書室に来ましたね。これなんて如何(いかが)ですか?」 「【月食(げっしょく)奇跡(きせき)】……大槻満(おおつきみつる)玲花(れいか)……」  表紙が本革で出来た重厚なその本は何の専門書かと思わせるくらい丁寧な作りになっていた。まるで「はてしない物語」に出てくる少年が持っていた本のような不思議な魅力が伝わってくる。 「これって何だと思います?」  後輩の女子は下から上目遣いでニヤニヤしながら()いてきたので私は少し思案した。どう見ても月食の専門書のように見えるのだが、もしかして違うのだろうか? 「んん。分かんないけど、月食に関する専門書か何か?」 「ブブー。違います」 「え?」 「これは二十五年前に発行された恋愛小説なんです」 「何、この重厚な本が恋愛小説?」  予想していなかった後輩の言葉に、思わず驚いた顔や口を手で隠すのを忘れ大きな声を張り上げて間抜け面を(さら)け出してしまった。いったい二十五年前の出版社は何を考えているのやら。こんな本革の表紙で出来た重厚な恋愛小説など生まれて今まで見た事がない。まさか恋愛指南書にでもなっているのだろうか?  瞬時に読んでみたいという欲求が湧いてきた。私は完全に獲物を狙った目つきになってしまっている。それを察した後輩の女子は私にその本をそっと手渡してくれた。 「どうぞ先輩。読みたくて、うずうずしている目ですよ。怖い怖い」 「いやあ。バレた?」 「バレバレですよ」 「せっかく今日は皆既月食だし、変わった本でもと思っていたのよ」  照れくさくなり頭を掻くが、片手で持っているこの重厚な本の重さに耐えられなくなり、慌てて両手で本を抱え込むように持ち直した。 「それ、どんな本なのか知らなかったんですけど、うちのクラスの先生が恋愛小説だって教えてくれたんですよ」 「そうなんだ。ありがとう。じゃあ借りるね」  次の授業の開始を知らせるチャイムが鳴ったので、後輩たちに手を振り教室の方へと戻っていった。  三時限目は英語の時間だ。  一磨が隣にやって来るぞ。急いで戻らなければ。いつも一磨が来る授業は気だけ焦りがちになってしまう。彼が来ると言うだけでクラスが少し騒めくのだ。他人行儀な友達の態度は私の心も騒めかせる。その落ち着かない心を鎮めるように、一呼吸深呼吸をしてから重厚な本を抱えて駆け足で夏組の方へと戻って行った。  息を切らして戻ったクラスは賑やかで、その中を私は呼吸を整えながら自分の席へと戻り座った。既に隣には一磨が礼儀正しい姿勢で座っている。相変わらず無表情で無口、何処を見ているのか分からない視線で窓外をキョロキョロしているのだ。教科書も何処を開いていいのか分からない一磨は、何も開かずヌボーっと座っているだけの大人しい生徒だった。 「ハロー、エヴリワン。今日は三十二ページからスタートよ!」  クラスに入ってきた金髪のお姉さんが英語の先生で、陽気な声で教科書を開き流暢に英語で挨拶をしてきた。  私は慌てて教科書を捲っていくが一磨はまったく動く様子はなく、ただただ外を眺めていた。 「一磨。教科書の三十二ページだよ。開いてあげるから、ちょっと教科書貸して」  そう言って私は一磨の方へ席を近づけ彼の教科書を奪い取りページを開いて机の上に置いてあげた。 「ありがとうは?」 「ありがとう」  本当に感謝の気持ちがあるのか分からないけれども声を出して礼を言えただけでも良しとしよう。そう思いながらも、とにかく授業で話されている文章に集中して指差しながら一磨に教えてあげた。  英語の先生はアメリカから来た外国人の先生で、いつもリズミカルに音楽を奏でるような音読を聴かせてくれる。  とても聴き易くて心地いい音色だ。  一磨はいつもそのリズムに合わせて人差し指で教科書をトントンと叩いている。顔は外を向いているのに、その音だけはちゃんと聴いているようだった。教科書をはっきり見ているわけでもなく、ノートに書くわけでもなく、ただ先生の音読を聴いている彼の姿勢は(はた)から見ると不思議な感じだった。 「はい。では、先生の読んだ所をミス・ルナ・アマテも読んでみて」  たまに私は授業で当てられてしまう。これは仕方がない事なのだけれども、私は英語の音読が苦手で、先生のように流暢な音読は無理だった。恥ずかしながら、しどろもどろに読み始めた私は時々読み間違いながらも、しっかりと大きな声だけは出して先生に聴こえるように心掛けた。 「ミスるな。天手!」  央樹が茶化してくる声が聴こえた。クラスの全員がその声に大笑いしている。外国の先生も央樹の冗談が分かったのか一緒になって笑っていた。  私はまったく笑えない。もう恥ずかしいだけだ。あまりにも恥ずかし過ぎて下を向くと、言葉が詰まり声が出なくなってしまった。  その瞬間、隣の一磨が席を立ち、最初から先生の音読した文章をリズミカルに読み始めた。読んでいるというより暗記した文章を声に出しているだけのようにも見えた。  それもそのはず、一磨は一切教科書を見ないで音読していたからだ。音楽の授業もそうなのだが、リズムと歌詞を聴いただけで覚えられる彼は気に入った歌を一人で口ずさんでいる時も多い。 「ミスターカズマ・カゲイリに拍手」  先生は満面の笑みで一磨に微笑みかけて称賛した。クラス中が一磨の流暢な英語に大きな拍手を送っている。私は席に座り称賛を受けている一磨に頭を下げた。 「ありがとう。相変わらず英語上手だね」 「ありがとう。相変わらず……」  いつもの挨拶のように真似をしようとした一磨の言葉を私は制止させた。 「一磨は『どういたしまして』って言うんだよ。どういたしまして!」 「どういたしまして」  一磨が少し笑ったような顔を見せた気がして嬉しくなった。この笑顔を見る度に、私の心も少し癒される。彼がいつも妹や母親に見せている笑顔と同じだから。  そこへ私たちの会話を央樹がまた茶化すように口を挟んできた。 「一磨は月渚に相変わらず下手だねって言いたかったのかもよ。あはははは」  高笑いする央樹を睨みつけていると一磨も一緒になって高笑いし始めた。  あら、央樹の言った言葉って本当だったのかしら?  私は恥ずかしくなり、また(うつむ)いてしまった。一磨はみんなが笑うと一緒に笑う癖があるので、おそらくその笑いだと思うのだけれども、どちらにせよ恥をかいたのは私だけ。その後は授業が早く終わるのを心の中で祈りながら教科書とずっと睨めっこをしていた。  いつも央樹に揶揄(からか)われる私だが、央樹と一緒になってタイミングよく喋ったり笑ったりする一磨にも翻弄されてしまう。そんな自分に我ながら情けなくなってしまった。
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