イチゴに大きな穴

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イチゴに大きな穴

 私がレジ側にある袋詰めのスペースで自前のマイバックに買った物を詰めていたら、そこへ突然、近くからおばさんの怒鳴り声が響いてきた。その怒鳴り声に驚き、思わず何事かとそちらへ目をやる。野次馬根性に火が付いた私は(しばら)くそのおばさんに目を奪われてしまった。  おばさんの前でペコペコと頭を下げている私より少し年上くらいのお母さんが、子供の頭を抑えて一緒になって頭を下げさせて謝っているのが見えた。 「まったく。あんたって人は子供にどんな教育をしてるの?」 「どうもすいません。そのイチゴ買い取りますから許してください」 「ホント。今どきの親は(しつけ)がなってなくて困るわ」  何も言い返せない若い母親は半ベソになりながら精一杯謝っていた。その隣にいた六歳くらいの男の子はまだイチゴを触りたそうに手を伸ばしているけれど、必死でその子の母親がその動きを制止させている。  周りに他のお客さんもいるのに、みんな見て見ぬ振りをしているようだった。こういう一方的な言い争いに店員が仲裁に入ればいいのだけれども、あいにく店が混雑していて誰も気付いてくれない。  横目で小春を見ても、彼女も忙しそうに働いていた。 「もう、おばちゃんも許してあげなよ。あんなに謝ってんだからさ」  私は思わず口を挟んでしまった。いざこざに巻き込まれるのは好きではないけれど、イチゴに手を伸ばしている子供には興味がある。第一、見て見ぬ振りは一番嫌いなのだ。さっき一歩出遅れた車椅子の件もあるし、ここは私が何とかしてみようとおばさんに一歩踏み寄った。 「だってえ、イチゴを眺めてた坊やに『どう大きいでしょう?』と見せた途端に、こんなんよ。これって、あり得ないでしょ?」  真っ赤に艶めく大きなイチゴに思いっ切りクレーターのような穴が開けられている。なんと無様なイチゴだろうか。これでは売り物にはならないし、大きなイチゴも台無しだ。きっとこのおばさんは家で旦那さんや家族のみんなと食べるはずだっただろうに、お気の毒様。 「まさか、イチゴを握り潰そうとする子がいる? 信じらんないわ」 「本当にすいませんでした。この子は、まだイチゴの柔らかさも分からないもので」 「はあ? 馬鹿言いなさんな。そんな大きな子が分からないはずないでしょ! 赤ちゃんだってイチゴが柔らかいくらい分かるわよ」  まあまあ落ち着いて落ち着いてとおばさんに手をやり、これ以上はもめないようにと、そっと私のイチゴを差し出した。私はどうせヨーグルトにイチゴを載せるために買っただけなので、誰かと食べるつもりは毛頭ない。  それを見たおばさんは私のイチゴを奪い取るようにして袋に仕舞い、ブツブツ言いながら穴の開いたイチゴを置いていった。ただ、まだ何か言い足りないのか、じっとその親子を睨みつけて、悔しさを奥歯で噛み砕くようにして立ち止まっている。 「もう、そんなガキ、店に連れて来んな!」  我慢していたような口元だったのに、やはり最後は啖呵を切っていった短気なおばさんに、私は落ち込む母親の方を向いて「気にしない気にしない」と手を振ってみせた。  もうおばさんは立ち去ったのだから怖いものは何もないと。  ただ、おばさんの突発的な怒りは昔の自分にも当てはまるものがあったのを思い出した。予想もできない出来事が起こると、どうしても怒りが爆発してしまうのは誰しも同じで、昔の私も当然似たようなものだった。 「助けてくれて本当にありがとうございます。うちの子はちょっと障害がありまして……」 「ううん。大丈夫ですよ」  私はその母親の顔を見ながら、皆まで言わなくても大丈夫だと目で訴えた。 「あ、そのイチゴ買い取りますので、おいくらでした?」 「いいですよ。お気遣いなく」  そう言って私は穴の開いたイチゴをマイバックに仕舞ってしゃがみ込み、子供の目の高さに自分も目をやった。その子はあまり私とは目を合わせてくれないようで、思いっ切り横を向いて違う物を眺めている。  だったらと思い、鞄から私のお気に入りであるムニュムニュしたゴム製バナナのストラップを外して見せてみた。なんとなく餅やイチゴに近い肌触りと柔らかさがあるストラップはその子の目に留まり、その感触を嬉しそうに指で楽しんでいくれた。  そして暫くすると、その子にも表情が戻ってきて、弾けるような笑顔を私にも見せてくれた。 「それを君にあげるから、もうイチゴを潰しちゃあ駄目だよ」 「わーい」 「え、いいんですか?」  喜ぶ子供の傍で母親の方が戸惑った顔をしていたけれども、男の子はもう自分の玩具のように楽しそうな表情で触っていた。 「いいです、いいです。そんなのたくさん持ってますから」  少しだけ嘘をついた私はまた似たような物を買えばいいやと考えていた。この子が今ここで喜んでくれたのなら、これくらいのプレゼントは痛くも痒くもない。むしろ、この子の様子に気付けない、あの馬鹿なおばさんに腹が立ってしまうくらいだ。大人になって、こういう子供もいるという事実を知らないというのは罪のような気がしてならないけれども、それが当たり前な世の中なのかもしれないと思う自分もいた。  馬鹿なおばさんと思った私の方が本当は馬鹿なのかもしれないと。  花月ならこういう時、どう対処しただろうか?  私は、あの時の自分よりも少しは成長したのだろうか?  まだ私に頭を下げる母親に手をそっと差し伸べてギュッと力強く握手をした。 「そんな謝ってばかりだと疲れますよ。お母さんは悪くないんだから胸を張って」  そしてその手を離し、今度は男の子の頭を撫でて、この子にも同じように優しく語り掛けた。 「君も悪くないよ。悪かったのは何も知らないおばさんが君にイチゴを見せたこと。ただそれだけ……君はただ触りたかっただけなんだよね」  ゴム製バナナのストラップに(かじ)りつくその子は、その柔らかさを確認するように何度も何度もモグモグと口に入れていた。そのうち食べられないと知って口から出し、涎付きゴム製バナナを指で引っ張ったりしながら楽しそうに遊びだした。 「汚い汚い。齧っちゃ駄目って言ってるのに。ホント、うちの子ったら……」  半分怒りながら悲しそうな顔をする母親に、私は静かに首を振り、その感情を否定した。 「美味しい? 美味しくないよね、それ。危ないから飲み込んじゃ駄目よ」 「うん。ありがとう」  私はストラップを食べてしまっては危ないと思い声を掛けたら、少し高めの声でその子は返事をしてくれた。思わずその高めの声に私は心が癒された。思ったよりも人の話を聞いているし、それから噛まないように注意しているのが見て取れる。  一磨にも、こんな時代があったな……  この子を見ていると、未満時の頃から一緒に保育園へ通っていた一磨を思い出してしまう。この記憶も曖昧だけれども、そうとう寡黙だった彼が気になり一緒に手をつないでは遊具で遊んでいたっけ。お友達の砂山を平気で踏みつぶしたり、隣の子のおにぎりを握りつぶしては怒られたり、プールの時には一人だけ着替えないで入ろうとしたりと奇々怪々な行動をとってはみんなから疎まれていたような。だけど一人っ子の私からすれば手を焼く弟のようで可愛いかったな。  そんな同じような子供を幼い頃から見てきた私は、そのような子を育てている母親たちの気持ちも少し分かるようになってきた。子供の成長はそれぞれ違うのだから、それに合ったスタイルで子育てをしていけば良いし、もっと周りの大人も分かってやればいいのにと思ってしまう。  だけれども、この世の中は上手くいかないもので、みんながみんな同じ想いや優しさを抱いている訳ではないから無理もないけれども。他人に、もう少しだけ優しくなれる世界があればいいのにと思ってしまうのは、私のエゴなのかもしれない。
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