央樹の代弁

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央樹の代弁

 家を出る時間が近づいて来た。  これから起こる未知なる世界に対して、私は何を用意して持って行けばいいのか見当もつかない。ただ、ここで全てが失敗すれば、この世界に一生留まるのだろうと思い、この世界に対して未練のようなものは何もなかった。  半分は明日もこの世界にいるような気がして。  明日も普通に学校へ通うだけなのだから、一磨がどちらの一磨でも私の生活には何も支障がないと。そうやって、自分の事だけを考えていると何も怖いものはなかった。  私はただ、花月の事が心配なだけ。私たちを元の世界へ戻すために、何か無茶をしなければいいのだけれど。 「母さん。行ってくるね」 「行ってらっしゃい。気を付けてね」  最後の別れと感じないくらい、いつもの私たちだった。母は何も知らないし、私も何も変わらないのだから不思議ではない。  玄関を出て夜空を見上げると、眩しいくらいの大きな満月が見えた。それと、数えきれないくらいの小さな星々が夜空一面に広がっている。透き通るような空気に凛とした寒さ。そして冬の夜は周りをすべて凍らせているような感覚で身が引き締まる思いだった。  夜空を照らす明るい満月と星々は、灯りを持たなくても道を優しく照らしてくれている。その中でも、オリオン座が目の前に鎮座しているように大きく輝いて見えた。  こんなに美しい冬の夜空を眺めるのはいつ以来だろうか? 子供の頃の思い出はだいぶ忘れてしまったけれども、またいつか同じように思い出すのだろう。  央樹を迎えに行き玄関の呼び鈴を鳴らすと、央樹の母親が準備万端と言う顔で車椅子を押しながら玄関から出てきた。 「月渚ちゃん。いつも悪いわね」 「いえいえ。私はこういうの好きでやってるだけですから。気になさらず」 「ありがとう。央樹はこう見えて、月渚ちゃんのファンだから喜ぶわあ」 「え?」  そんな話は初耳だ。央樹はそんなこと冗談でも私に言った覚えはない。思わず車椅子に乗っている央樹を見るが、目を合わせてくれなかった。聴こえていないのか、聴こえていない振りをしているのか分からない。だけれども、私の心が少し跳ねているのを感じた。央樹に気に入られていると思うと私の心は少し嬉しいようだ。  さっきまで寒かった身体が、なんとなく火照ったような気がした。それくらい胸が熱くなった。  車椅子を押すのを央樹の母親から交代して、央樹の母親に「さよなら」を言い、花月の家へと向かった。その途中、何度も何度も央樹に顔を近づけるが、まったく目を合わせてくれない。タブレットをいじりだして私を無視しているのだ。 「央樹くん。私のファンならサインでも描いてあげましょうか?」  小馬鹿にするように央樹の肩を叩き話しかけた。どんな反応を見せてくれるのか楽しみにして。 「ば……か、るな」  央樹が頑張って喋ってくれた。馬鹿と私に言ったようだが、言葉を話せただけでも偉い。そんな央樹に思わず後ろから手を回して抱きしめてしまった。そして子供の頭を撫でるように央樹の頭を触り「偉い偉い」と花月が一磨にやるように声を掛ける。彼は私に触られるのが嫌なのか、照れているだけなのか分からないけれど、手で私を払いのけようとした。だが、それは無駄な抵抗で今の私には通じない。この際だから頬もぐちゃぐちゃに触ってやる。 「央樹、ありがとう。私も央樹のファンだよ」  恥ずかしい気持ちを心の奥に閉じ込めて、今の気持ちを彼に伝えた。この愛情の力で少しでも花月の助けになれば、それでいいと思ったからだ。  そんな央樹は(うつむ)いたままだったが、耳の先まで赤くなっているので照れているのが見て取れる  ◆◆。  花月は靴屋の前のベンチに座り、私たちが来るのを待ってくれていた。 「お待たせ」 「ううん。こちらこそ。今日、この日まで迷惑をかけてごめんね」  私は花月の言葉に首を横に振り、謝る必要はないと伝えた。 「今日は満月と月食だから、大いにお月見を楽しもうよ!」  空元気がバレバレな私であるけれども、央樹もそれに合わせてグーの手を夜空へ上げてくれた。  そうして三人で月美山公園へと向かった。この半年で何度この公園に足を運んだか分からないほど、たくさん来たような気がする。ここでの思い出は、きっと忘れられない思い出になるだろう。そう思いながら私は花月に話し掛けた。 「花ちゃん。手紙読んだよ」 「ありがとう」 「全部覚えたからね。明日には、おばさんに届けるね」 「ありがとう」 「花ちゃんはオレオおじさんの家にいるかな?」 「それはないわ。行っても無駄よ」 「じゃあ、どこにいるの? 私も記憶を無くした花ちゃんに会いたい。会って花ちゃんの記憶の欠片を私から教えてあげるんだ」 「お気持ちだけで充分です。ありがとう」  なんでこんなに花月を想っているのに、私に対してこんな風な言い方をしてくるんだと少しだけ腹が立った。もっと私を信用してほしいし、私を頼ってほしいのに。彼女を見ていると、今日のこの計画がすべて失敗するような空気を漂わせている。私と央樹はまだ諦めていないと言うのに。 「かづき! 顔を上げて私と央樹を見て」  元気がない(うつむ)いたままの花月に、こちらを見るように大声を上げた。そんな彼女は今でも泣き出しそうな瞳を潤ませながら、こちらを見てくる。 「私は絶対諦めない。最後の最後まで、あなたの手を離さないから」  ここで私が彼女の目から視線を逸らしたら彼女が自信を失うと思い、じっと一心に彼女の瞳を見つめ続けた。 「もしも月へ帰るような事があったら、私たちも花月と手を繋いで月へ行く。月食に私たちまで連れて行く能力があればだけど。絶対に手を離さないから」 「ありがとう。でも、絶対に無理よ」 「腕っぷしなら自信があるわ。月読は世の中の秩序やバランスを守る人なんでしょ? 私たちがいなくなったら、バランス崩れてパニックになっちゃうわね」  どうだ参ったかという顔で花月を見るものの、これを聞いた花月はただ深い溜め息をつくばかり。  私の発言は正しいと思うけれども、彼女にとっては意味がないようだ。だけれども、このセリフと共に私は、またひとつの疑問が頭を()ぎった。  溜め息をついている花月に、この疑問を投げかけるのは野暮かもしれないけれども、少し彼女が落ちついたら()いてみようと思う。  何度も何度も励ましの言葉を掛けながら歩いていると、気づけばいつもの小川の芝生広場に着いていた。花火の日は、この辺り一面とても暗くて隣の人の顔も見えないくらいだったが、今日は灯りが夜空一面から降り注いでいるため遠くまでよく見える。  あちらこちらに月食を楽しみに来た人たちもいて夜の公園は賑わっていたけれども、央樹の好きなこの場所には、人影はぜんぜん見られなかった。ただ、野良猫たちだけが(たむろ)してニャアニャア鳴いている。 「本当に、ここは穴場だね」 「他の人がいなくて助かるわ」  私と花月はこの広場を眺めながら呟いた。それを聞いた央樹は少し嬉しそうに微笑む。  そんな央樹がタブレットを私の前に出して、そこに書かれた文字を読むようにゼスチャーしてきた。これはおそらく、お別れ会から書いていた手紙か何かだろうか?  仕方がない。私が代表して、央樹の代わりに声を出して読んでやろう。彼が心を込めて書いた文章なのだから、花月の心にもきっと響くはず。少しでも心に響けば、花月は元気を取り戻してくれるのではないだろうかと。  花月さんと月渚へ  俺が大きな事故を起こしてしまい、みんなにいろいろ心配を掛けさせてしまってどうもすいませんでした。  母ちゃんから花月さんと月渚の活躍を聞いて、感謝の気持ちしかありません。  俺は意識を失っている間、ずっと同じ夢を見ていました。  それは、病気の一磨と一緒に楽しくサッカーをしている夢。夢の中で俺は元の世界へ戻って来られたとさえ錯覚するほどだった。もしもこんなんで元の世界へ戻れるのなら、みんな気を失えばいいのにとさえ、後で思ったほどだったよ。  ただ、夢の世界は楽しい事ばかりが続いて、少し現実離れしているのに気付いた。それに気付いた瞬間、目が覚めたんだ。  目を覚ますと目の前にいつもの一磨と花月さんと月渚がこちらを見て笑ってた。体中が痛くて声も出せず、手足も動かすことができず、意識も(まば)らな俺に、みんなの介助がとても嬉しかった。だけれどもその時、嬉しいのに嬉しい事を表現する術がなかったんだ。  その時ふと、この身体は一磨の身体なのかと思ったよ。それに、一磨だって病気はあるけど、心の中は俺と同じ十四歳の少年じゃないかと。  自由に生きたいのに、自由に身体が動かない。頭の中も自由じゃない。気持ちが表現できない。そんな身体で赤ちゃんから生きているって、誰よりも凄いなと思ったよ。俺なんて、まだ数カ月で負けそうな気分なのに。  一磨を見て、俺はまだまだ怪我を治せる自信が持てた。一磨とまた遊びたいから俺は必ず復活するぜ。  今日、月食が花月さんを奪い去ろうとするなら、俺が命に代えてでも君を離したりはしない。俺の一番大切な月渚もしっかり掴まえて、絶対に離さないから。  もう二人の悲しむ顔を俺は見たくない。  あ、嘘ついた。ごめん。俺は二人の悲しむ顔を見てなかったわ。  大切な二人を今日は俺が守ります。  これから奇跡を見せてやるから、しっかり見ておけ!  タブレットの手紙を私が読み終わったと同時に、央樹は腕に力を込めて車椅子の手すりを握り、両足を地面に強く叩きつけるようにしてゆっくりと立ち上がった。怪我をしてから一度も一人で立つことができなかったのに、今日立てるなんて奇跡のような出来事だ。  昔のテレビアニメで見た情景のように見えて少し可笑(おか)しくもなったが、これぞ奇跡という他なかった。 「央樹。立ってるよ。凄い!」 「央樹君」  二人して、目を丸くするように彼を上から下まで眺めてしまった。
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