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花月の正体
仁王立ちする央樹は鬼の形相のまま、じっと動かない。身体の痛みを我慢している彼の表情はだんだんとそれを隠すように、いつもの笑顔へと戻っていった。
「立った……ままで……いい」
央樹の振り絞る声は天にも届くような心の叫びだった。先ほどまで驚いた表情をしていた花月も感動したのか目を潤ませている。
「央樹君、ありがとう。あたしがここへ連れて来たばっかりに、こんな想いをさせてごめんね」
花月の言葉に央樹は首を横に振った。
「央樹君が一磨君の事を凄く理解してくれて嬉しかった。あたしは一磨君を理解してくれる友達が一人でもいいから、いてくれると嬉しいなと思っていたからね」
「私もいるよ。央樹以外に一磨の傍には私もいるよ。病気なんて関係ない。そんなの個性だ。私は一磨のいい所や優しさだって知ってる」
「月渚ちゃんは幼い頃から傍にいてくれて嬉しく思うわ。あなたがいたから一磨君は普通の中学校へ通えたのよ」
花月の喋る言葉は同じ年には見えない大人びたセリフだった。それに花月は一磨の事も私たちの事も昔から知っているような口ぶりをする。まるで私たちを空から見ていたみたいに。
「そうだ、花ちゃん。さっき歩いていた時に疑問が湧いたんだけど、訊いてもいいかな?」
「うん、なんでも答えるよ。もう会えないかもしれないから」
すっかり涙目が渇いた花月に思い切ってさっきの疑問をぶつけてみることに。
「あのね。私たちが月へ行けば人が消えて、町中がパニックになると言ったでしょ? その考えは正しいのかな?」
「それね、正しいと思うよ。月読は世界の調和を重んじてるから人が勝手に消えるなんて絶対しないわ。並行世界の秩序を破る事にもなるし」
「じゃあ、なんで花ちゃんは消えちゃうの? 誰かにここで殺されて死んじゃうってわけ?」
私がそう訊くと彼女は黙りこくってしまった。
「もしかして、ウケに殺されるの?」
「ううん。ウケはそんな過ちはしない」
「何でも答えてくれるんでしょ?」
私は花月に言い寄るが、黙ったまま何も話してくれなかった。どうしても、この謎が分からないから知りたいのに。きっと彼女には、まだ誰にも言えない隠し事があるに決まっているから。
「それは……今からきっと分かるわ。あたしの正体が」
「花ちゃんは何でも知っている物知りで、私たちや一磨の幼い頃も知ってる。そんで、二十五年前にも今の姿で現れた。もしかしてあなたは本当の天使か神様なの?」
それを聞いた花月が今日はじめて大笑いをした。
「違うって言ってるよね。神様なんているわけないでしょ!」
「だったら、何よ」
そう訊いた瞬間、夜空の明かりがだんだんと暗くなってきた。とうとう皆既月食が始まったのだ。もう冗談を言っている暇はない。
私は花月の手を急いで握りしめて、仁王立ちしている央樹の手にもう片方の花月の手を渡した。私と央樹も手を繋ぎ、丸く輪になって月を見上げる。そしてふと花月を見ると、胸元にある勾玉が今までにないほどの赤い光を帯びて輝きだした。皆既月食の赤い光を待ちわびるように。
花月は一旦手を離し、光を遮るように急いで服の奥へと勾玉をしまい込んだが、それを無視するかのように服の中から外へと服をすり抜けて赤い光が飛び出してきた。もう赤い光を誰も止める事などできないというように。
「花ちゃん。そのネックレスって必要なの? 邪魔だったら捨てちゃえば」
「これは月読の輪なの。これで能力を制御していると言っても過言ではないわ」
「そうなの?」
「更にこれはあたしの命であり、これを捨てたら、あたしがいったいどうなるか分からない」
「え、そんなあ」
「だけど、二人のためなら最後にこれを月へ飛ばし、二人だけでも共鳴させて、元の世界へ戻らせようと思ってるの」
「そんなの危ないって。私たちは元に戻れなくてもいいから、絶対に私の手を離さないで。月食の時間はそれほど長く続かないから、ここからは耐久戦よ!」
そう言って央樹と目を合わせてお互いに頷き、花月の両手をしっかりと握りしめた。「絶対に負けるもんか」と言葉を反芻しながら、見えない敵に向かって意地を見せる。
「無理なんだって。あたしの手を握っても」
花月は握られた手を握り返すように強く私たちの手を握り、目を真っ赤にして泣き始めた。
「何が無理なの? 私たちは、こう見えても体力と腕力には自信あるのよ」
「だから、そうじゃないの」
花月の流す涙が止まらない。こんな美しく強い女性を、身体を震わせて泣かせるなんて、この満月は非常に罪深い奴だ。そんな欠け始めた満月を見ながら、私は月を睨みつける。この三人でまともに動けるのは私だけ。いざとなったら鬼にでもなって、みんなを守ってやるんだから。
「もうすぐ私の身体が消えるわ。正確には私の心が消えちゃうの」
「じゃあ、身体は残るのね」
「ううん。身体も消えるわ」
「そんなのあり得ない」
言っている意味が分からなかった。私たちと同じで向こうの世界で願った心がこちらの叶えられた世界にいる自分に憑依しているだけだと聞いていたのに、そうではないというのだろうか?
「月渚ちゃん、央樹君、ごめんなさい。あたしね、二人と違って本当は身体を持ってないの」
「え、なんですと?」
予想もしていなかった言葉に自分の耳を疑ってしまった。
「二人はこっちの世界へ来た時に、こっちにある自分の身体へ憑依したんだけど、月弓一族は月読の輪とその加護で守られていて、月食の光を帯びた月読の心を受け入れてくれないの。だから二十五年前も憑依できなかったあたしは、たまたま靴屋の前にいた少女を見て、それを模すように身体が出来上がったというわけ。一度できた身体はこの世界にそのまま定着するんだけど、次の月食までという期間限定なんだ」
「それじゃあ、この手の温もりは何よ」
「時期にこの温もりも消えるわ。あたしは単なる思念体だから」
「それって幽霊みたいなもの?」
「そうよ。月食の赤い光で命を授かった月読の亡霊。二人と違って身体を持たないあたしは、その想いしか記憶も持ち合わせていないんだ」
「ええ?」
「だけど月渚ちゃんたちは違う。身体に残っていたこっちの記憶も持ってる。だから、記憶も曖昧だし順応もできるの。でも、あたしには何もない」
私は思念体だという花月の手肌の感覚や温もりを感じながら「嘘だと言ってくれ」と心から願った。嘘ではないという事実を心の何処かで受け入れながらも。
「それでも関係ない。私はあなたに居てほしいの」
「ごめんなさい。月読だけズルいよね。みんなは死ぬまで帰れないかもしれないのに、月読だけその苦しみもなく消えてしまうなんて……」
「ううん」
「でもね。こんな大切な話を月弓のみんなも知らないなんて……不憫よね」
二回も経験した花月はとても辛そうにそう語った。だが私にはすべての謎が解けたような気がして、心の何処かで安堵していた。花月は思念体だからどんな姿にもなれる。だからこそウケモチから逃れることもできるのだと。花月が消失するのは月読の言う世界の調和のため。存在しない人間がいつまででもここにいてはならないと言う理由からだろうか。
ならば絶対にこれを止める事は出来ないのかも? そう思うと少し身体の力が抜けてしまった。
「る……な」
央樹が私に力を入れろと手を強く握りしめてきた。危ない危ない。うっかり手を離すところだった。
「月渚ちゃん、央樹君、今まで黙っててごめんね。本当に身勝手でわがままな能力でごめんね」
私は花月の謝る言葉に、ただただ首を横に振るばかりだった。央樹も同じように首を横に振っている。誰のせいでもない。みんな望んでここへ来たのだから。
「もう少しだけ時間がある。どうか一磨を想う誰か、私たちの想いに気付いて!」
瞳を閉じて涙が零れそうな自分を我慢して、私は祈った。
「あたし、最後に元の世界の一磨君に会いたい。会って、さよならを言いたい。だから、一瞬でいいから元の世界に帰りたいよう」
花月が大声で一磨の名を叫びだした。「会いたい会いたい」と泣き叫びながら一磨の名を口走る。花月を形作る想いが壊れ始めたように。
そうして段々段々と辺り一面暗くなっていき、皆既月食はもう誰にも止められない速さで欠けていった。
「元の世界のあたしが、もう一度あたしのような願いを作ってくれますように。かずまああああ」
花月の願いを込めた声は天を切るように夜空の彼方へと消えていった。
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