今年二回目の皆既月食

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今年二回目の皆既月食

 花月の嘆願するような叫び声と共に、央樹がまた強く手を握り締めてきた。 「か……ず……ま」  目を大きく開けて顎を突き出した央樹の目線の先に背の高い人影が薄っすらと見えた。その人影は私たちを見つめて、こちらの方へと向かって歩いて来る。あの人影は(まさ)しく一磨本人だった。 「なんだ。みんなやっぱり来ていたんだ。誰かさっき僕を呼んだかい?」  三人とも口が開いて閉まらない。  この馬鹿一磨が何も考えずにここへ来てしまったようだ。 「ねえねえ、手を繋いで何をやってるのさ? 央樹、凄い。立てるようになったんだね」  私は空気の読めない一磨を睨みつけて、あっちへ行けと言う風に顎を動かした。 「月渚ちゃん。一磨君を本気で誘ったの? そんなの絶対に許さないから。お化けになって出て来てやる」 「誘ってない、誘ってない」  大きく首を横に振って否定した。私が誘うわけないではないか。でもお化けとしてまた現れてくれるのなら、歓迎してお菓子でも用意しますけど。 「みんな、僕を出し抜こうとしていたの分かってたよ」  一磨に悟られないように気をつけていたが、やはり気付かれていたようだ。 「一磨君。皆既月食の夜に外へ出たら駄目と言われてたでしょ? カーテン閉めて寝なさいって」 「その話、今日聞いたばかりだよ。今までそんなの一度も聞いた覚えないけど」 「え、どう言うこと?」  花月は驚いたような顔で一磨に()き返した。月読の血を引く健常な一磨が、この話を知らないはずがない。覚えが悪くて忘れてしまったのだろうか? 「母さんにもお祖父ちゃんにもそんな話言われた事ないけど。今回初めて家に帰ったら母さんからその話をされて驚いた。意味分かんないって」  意味が分からないのはこっちの方だ。月読の能力を持つ者なのに私たちより月読の事を何も知らないなんて。ここまでお馬鹿でよく今まで生きて来られたものだ。 「一磨君。あなた、緑色の勾玉がついたネックレス持ってるわよね」  花月は不思議そうに尋ねた。 「今は持ってないよ。家に置いてきた。首にあるの邪魔だし」 「え? あなた、それじゃあ何が起こるか分からないわよ。早く月食の光を受けないように公園の陰にでも隠れて」 「何言ってんの? 意味分かんないんですけど。五月にも綺麗な皆既月食を見たけど僕は平気だったし」  呆けた事を言う一磨は完全に私たちの前から離れる気がなさそうだった。花月は自分が消える事を忘れたように一磨を説得し続ける。一磨は少しお馬鹿な所もあるから月食を見ても何も考えていないのだろう。もしかすると月の兎と餅つきをしたいとか、無謀な願いを祈っていたのかもしれない。どちらにせよ彼が能力を使わなければ月読だってただの人間だ。  その瞬間、辺り一面が真っ暗になった。先ほどまで聴こえていた猫の鳴き声は消え、それと同時に甲高い耳鳴りが聴こえだす。  この音は以前、央樹のMRI検査に立ち会った時の音と似ているが、それよりもはるかにうるさい。私たちは何かに共鳴しているのか、それとも花月と月が共鳴しているだけかもしれないが。  もしかしたら一磨が能力を発動させたのかもしれないとさえ思ってしまったほどだった。  それにしても非常にうるさくて周りの声がよく聴こえない。その中でも平気で一磨が花月と何やら話している。二人はこの音の中でもお互いの声が聴こえるのだろうか?  耳を澄ませて私も二人の会話に耳を傾けた。 「これって僕の夢の中だよね」 「夢って何?」 「夢って、僕が元気に友達と遊んだり、勉強したり、サッカーしたりする夢さ」 「いつもしてる事でしょ? 一磨君、ごめんね。これは現実で、これからあたしは消えちゃうの」 「は? 意味分かんない。僕の夢なのに何で消えたりするんだよ」 「だから、これは夢じゃなくて現実なのよ。あたしたちには帰るべき所があるの!」 「帰るって? 夢から覚める時間ってこと?」 「お願いだから最後まであたしを困らせないで。一磨君にあたしの勾玉をあげるから。これ持って急いで隠れて。時間が無いの。私の言う事を聞いて」 「嫌だ。絶対に一緒にいる」  物凄く赤く輝き続ける勾玉に私たちは光の中へ溶けるように吸い込まれていった。おそらく吸い込まれているように感じただけで地面に足がついている感覚はまだ残っている。  そして花月の姿が半分見えなくなってきた。だけれども、まだ手を繋いでいる感覚は残っている。その中で一磨が花月とまだ何か喋っていた。 「帰るって、どこへ帰るのさ?」 「一磨君には関係ない場所よ」 「ついて行っていいかな?」 「駄目よ。あまりわがまま言わないで。まるで元の世界にいる一磨のように、あたしを困らせないで……」  その瞬間、花月の姿が赤い光と白い光に包まれて、ほとんど形を失ってしまった。(わず)かに手や勾玉の付いたネックレスだけが見えている。  ただ、先ほどまで何もかも焼き尽くすような赤い光だけで怖かったのに、今は以前に感じた白い光も私たちを優しく包んでくれていた。その温かさは丁度、花月の手の温もりのような感覚だった。 「一磨君、危ない。あたしの勾玉を受け取って!」  花月は私の手を思いっ切り振り払い、首に掛けていた勾玉の付いたネックレスを一磨に投げ渡した。 『ツクヨミなんて、消えなさい』  突然また知らない人の声が聴こえた。この時を待っていたかのような絶妙なタイミングで。たまに聴こえたこの声がウケモチだったのかと、はじめて気が付いたが今はそれどころではなかった。 「ウケはツクヨミと同じ(あやま)ちはしないから安心して。それよりあたし、消えちゃう……」 「待って、花ちゃん!」  その瞬間に花月の姿が見えなくなり、私は急いで一磨の手を握り締めた。誰かの手を握っていないと、この耳鳴りと赤い光と白い光の渦に何処かへ飛ばされそうな気がして。  央樹はそれでも頑張って私と花月の手をしっかり握りしめてくれているようだった。更に強く握り続ける央樹の握力は「絶対に離さない」と言わんばかりの心の強さを感じたほどに。 「一磨、聞こえる?」 「きこ……よ」 「お願いだから、花月の手を握って離さないで」  その言葉に、一磨は光の中を何度も手を振り回して必死で花月の腕を探すように動かしていたけれども、一磨の手にあるネックレスと赤く光る勾玉だけが揺れているだけだった。 「お願い、月読の輪よ。もう一度だけ花ちゃんの姿を現して。彼女を私たちに見せてよ!」  その瞬間、赤色と緑色の光が勾玉から発せられて赤い光の中から花月の姿が(わず)かながら見えてきた。その姿を白い光と緑色の光が包もうとする。 「か……さん、僕に掴まれ!」  瞬時に一磨は勾玉を花月の方に投げ捨て腕を勢いよく伸ばし、花月の手を握り締めた。  勾玉は花月の光に包まれるように胸元で緑色に光り輝いている。まるで月食の能力を失ったかのように。  私の手にも何かを掴んだ感覚が伝わってきた。央樹と同じように、花月の手は一磨によって強く強く握りしめられて。 「お願い、私たちの気持ちよ。繋がって」  閃光のような眩しい赤色と白色の光が交差するように輝いていく。そして共鳴するような耳鳴り音は更に大きくなっていった。  段々と周りの風景が揺れているように見えた。私が揺れているのか、周りが揺れているのか分からないほど。そうしてだんだん赤い光は消えていき白い光だけが私たちを包むように集束していった。  この光の中で一磨の手の温もりを一段と感じる。やはり、彼が何かの能力を使ってくれたのだろうか?  それとも花月の能力や月読の輪の能力が働いているのだろうか?  もう足元に地面が感じられない。身体が浮いているような感覚だけが残る。  急にまた初めて体験した五月のような睡魔が襲ってきた。強烈に意識が遠のいていく。そして私の心か意識かを何かが掴んで離してくれない。いや掴んで離さないのは、(むし)ろみんなと繋いだ手の感触だったのかもしれないと。  そしてこの優しい白い光はきっと花月なのだろうと。  そう思うと涙が自然と零れ落ちてきた。とても優しい温もりなのに、もうお別れなのかと思うような寂しい気持ちが胸の中を騒めかせる。  唐突に、誰かの声も聴こえた。 「か……さん……僕は傍にいるよ。僕と一緒に……う」  一磨がこの中でも何か話し掛けているようだ。何も見えない。何も聴こえない。この状況で(わず)かながら一磨の声は響いていた。彼にはまだきっと花月の姿が見えているのかもしれない。こんなに眩しく、こんなにうるさい耳鳴りの中で。私の意識がどんどんと遠のいていくというのに。 「僕は傍にいるよ」  そう。その言葉が耳に残ったまま、私は眠りに就いてしまった。深い深い闇の中に。 「月渚ちゃん、ありがとう」 「央樹君も、ありがとね」 「一磨君もずっと傍にいてくれて本当にありがとう」  もう聴こえないはずの花月の言葉が最期に聴こえたような気がした。  それは白い光と共に……
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