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いつもと同じ朝
いつもと同じ朝。いつもと同じ朝食といつもと同じヨーグルト。それに、いつもと同じ朝のニュースがテレビで流れていた。最近有名になった名も無き小国の反政府運動ニュース。
そうして、いつもと同じ時間に一磨を迎えに行く。
央樹の事も心配だけれどもおそらく元気にやっているだろうと思い、足早に一磨の家へと向かった。
ピンポーン。
いつもと同じインターホンの音がする。
「はーい、月渚ちゃん。いつもありがとうね」
一磨の母親が玄関から勢いよく飛び出してきた。その隣には月乃ちゃんも手を振って笑顔を振りまいている。
「一磨、いますか?」
「いるけど、今朝は具合が悪そうでモタモタしてるのよ。ちょっと玄関でお茶でも飲んで待ってて」
「いえいえ。お構いなく」
そう言うと一磨の母親はキッチンの方へ戻って行った。いつも気を遣ってくれる優しい人だ。
「ルー姉ちゃん。嚙み嚙み神様来るまでムンちゃんと遊ぼ!」
「噛み噛み神様……」
とても懐かしいあだ名を聞いたような気がした。この呼び名は正に一磨が病気である証であり、昨日までいた世界とは違うと教えてくれたようなものだった。
そんな事はお構いなしに月乃ちゃんがおままごと道具を玄関に広げ出す。それを避けるように忙しく一磨の父親が通り過ぎていった。そして大声で一磨の母親に何かを話し掛けた。
なんだろう?
「はーなー! 昨日も例のハガキが届いてたよ。変な苗字は書くなとレイちゃんに言っといて」
また、変な苗字で書いてくるお手紙好きのお友達か。毎度毎度、このご時世に手紙を書いて寄こすなんてなかなか素晴らしい人だけれども、だからと言って苗字くらいは、ちゃんと書けばいいのに。
あれ? そう言えばさっき一磨の父親は奥さんの事をなんて呼んだっけ?
確か……
「お待たせしました。お茶をどうぞ」
「あ、ありがとうございます……花さん?」
その瞬間、一磨の母親は私の額に額をつけて来て鼻まで押し付けてくるように顔を寄せ、一呼吸置いて囁いてきた。
「早々にバレちゃったわね。お帰りなさい」
花さんは小さな声で私だけに聞こえるように、そう言った。
私は思わず「わー」と言う叫び声をあげて、涙が同時に溢れて止まらなくなってしまった。
なんだろう、この感動は。昨日の事なのに、遠い昔に別れた好きな相手との再会みたいだ。涙が零れて仕方がない。
「ママ。ルー姉ちゃん泣かしたー」
月乃ちゃんが騒ぎ始めたけれど、それを気にすることなく花さんは私を見つめてきた。
「月渚ちゃん。今まで本当にありがとう」
花さんも瞳を潤ませている。そして優しく頭を撫でてくれた。以前、花月に撫でられた温もりと同じように。
涙を流しながら私はコートのポケットに手を入れて、そっと手紙を取り出した。
「これ、花月さんから花さんへ」
「手紙ね。ありがとう。でも大丈夫よ。花月も帰って来て深い眠りに就いたから」
「え、この家で寝てるんですか? 私、会いたいです」
「それは無理よ。だって……」
花さんは自分の胸に手を当てて「この中で寝ているのよ」と呟いた。
胸には緑色に光った翡翠石の勾玉が輝いている。
花月は一磨の母親だったんだ。一磨の母親の思念だったのだと。
だからあんなに一磨の事も知っているし、私たちやオレオおじさんの事も知っていたんだ。双子のトリックアートも本人が二人いただけで、二十五年前の花月は本当の姿の思念体。昨日まで喋っていた花月は花さんの思念体が二十五年前を想像して形作られただけだったのか。年齢的にもあっているし、確かにタイムトラベルのような時間を超える神技など何もしていない。
花月は何ひとつ嘘を言っていなかったんだ。涙を拭いて改めて花さんを目で追いかけた。花さんに花月の面影を探すように。また目を覚ましてここへ現れてくれと願いながら。
そして花さんはキッチンへ戻り、急いでハガキを持って戻ってきた。
「月渚ちゃん。このハガキ見る?」
「いいんですか?」
花さんが頷いたのでハガキを丁寧に受け取った。
月読花様
今夜はまた皆既月食の日が来ましたよ。
くれぐれもカーテンを開けて寝ないようにね。
少しおっちょこちょいな、わたしの可愛い天使の花月さん。
大槻玲花
「これって【月食の奇跡】を書いた人だ!」
「そうよ。もうあれからずっと彼女は皆既月食の日にハガキをくれるの。あたしに対する忠告と嫌がらせかしらね」
「とても優しい人ですよ。私も真似しようかな?」
「月渚ちゃんまで、あたしをいじめるの?」
「いじめますとも。もう、あんな想いはしたくないですから」
「絶対、もうあんな能力は使いません。肝に銘じます」
深々と頭を下げる花さんがとても愛おしく思えた。
年は離れているけれども友達と喋っているような感覚だ。いや、ただの友達ではなく花月という親友と喋っている感じがする。
「月渚ちゃん。今日はあたしも一磨と一緒に学校へ行くね。一磨もあたしも迷惑かけてたみたいだし、先生方に謝らなくちゃ」
「げっ! もしかして私も何かやらかしてたかも」
二人とも想像するだけで可笑しくなり、笑い出してしまった。
「お久しぶり、月渚ちゃん。朝から泣いたり笑ったり忙しいね。うちの奥さんなんて、昨日まで鬼のように一磨に冷たく当たってたけど、今日は見違えるように優しいお母さんに戻ったよ」
そう言って一磨の父親は会社へ行くために駅の方へと出掛けて行った。
やはり一磨への想いや願いがない人間は一磨に対して冷たかったんだ。花月が心配していたのがよく分かる。きっと私や央樹もクラスメイトと同じように冷たかったに違いない。
「そうだ。月渚ちゃんにもうひとついい事を教えてあげるね」
「なになに?」
「また図書室へ行って【月食の奇跡】を借りてみなさい。この世界とあちらの世界とで本の内容が少し違うから面白いと思うの。もしかしたら破れてたページも読めるかもね」
「そうなんですか? 考えてもみませんでした」
確かにこの世界の事を知らない違う世界の大槻さんがあちらの本を完成させたのなら、こちらの世界の大槻さんと考えも終わりも違うはず。それはそれで面白そうだ。
そんな事を考えていると、一磨がやっと準備できたようで姿を現した。無口でどちらを見ているのかわからない態度。いつもの病気を持った一磨が立っている。
彼は私たちのいない間、寂しく過ごしていたのだろうか? それを考えると申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
そうして四人で登校した。途中、花さんは近くの保育園へ寄って月乃ちゃんを預けてから学校へ向かうと言うので、それにも付き合って。
私や花さんから離れないように歩く一磨の姿は昔から変わらない。ただ今日は体調が悪いようで、気持ち悪い顔をよくしている。私も気持ち悪いので同じなのだが。
「おはよう、一磨。大丈夫?」
「……」
彼は首だけ縦に振った。どうやら大丈夫らしい。
「朝の挨拶は?」
「おはよう」
いつもの私たちの会話だ。懐かしすぎて嬉しい。このやり取りが私の生きがいのようなものだ。嬉しすぎて、思わず一磨の顔の前で両手を合わせ「〇《まる》」を作って見せた。
「そう言えば、どうしてこの世界に戻れたか花さんは知ってるんですか?」
最後まで分からなかった疑問を花さんにぶつけてみる。
「それは……花月の記憶によると自分が消えそうになった時に、一磨といろいろ言い合いになったらしいのよ」
「確かに」
「その一磨が最後に何て言ったか知ってる? 月渚ちゃん」
「ううん。よく聴こえませんでした。……花月さん、僕は傍にいるよとか?」
そう言うと花さんは首を横に振り否定した。
「母さん、僕に掴まれ! 母さん、ずっと僕は傍にいるよ。僕と一緒に帰ろう……だって」
花さんは嬉しそうにそれを語った。花月も一緒に微笑んでいるように。
「一磨は花月の事を母親だって知ってたんですか?」
「そうみたい。日頃から一磨は外見で人を判断しないみたいだから、人の心の中が感じるらしいわ」
「それって、もしかして……」
「そのもしかしてだったの」
それを訊いて私はとても驚いた。最後の仲間はまさかの一磨本人だったなんて。病気じゃない一磨に会いに行ったはずの私たちが、病気の一磨も一緒に来ていたなんて思いもよらなかったからだ。
一磨が花月に言った話では、花月の事を最初から母親と分かっていたようで、どのように声を掛けて良いのか分からなかったと言うのだ。だから最後まで一磨は【花月】とも【花ちゃん】とも呼ばなかったらしい。
ようやく完全に頭の中の謎がすべて解けたような気がした。
病気を持たない一磨の世界を望んだのは私と央樹と花さん、そして一磨本人だったんだということを。
あの時、一磨は月読の事を何も知らず能力の事も知らなかったのは当然だ。能力の無い一磨なら、皆既月食の中を自由に歩くこともできるから。一磨が私たちと一緒に来た仲間だから、彼と私たちは手を繋ぎ、意識の共有と共鳴現象が起こったのも頷ける。
私たちは最初から一磨以外の誰かが望んで来た世界だと勘違いしていたので、まったく彼を疑わなかったし、訊くこともなかった。いつも傍にいた一磨に気付けなかったなんて少し恥ずかしい。
「一磨。ありがとう!」
改めて一磨に頭を下げた。彼はいつも通り目を合わせてくれないが、なんとなく微笑んでいるように見える。もう彼は何も語ってはくれないけれど。
「一磨は全部、夢の中だと思ってたのかしらね。母親のあたしが子供だったから無理もないけど」
笑って話す花さんも本当の一磨の想いは今となっては分からないとボヤいていた。
考えてみると、あちらの一磨の少しお馬鹿な理由も分かるような気がする。もともと数学や国語をあまり勉強していない一磨が普通の教室にいても難しかっただろうに。頭の中の脳が正常に稼働して体も自由に動けるようになり、二つの世界の記憶があるとは言え、今までの足りない部分をカバーして生活していたと思うと彼の潜在能力の高さに驚かされてしまう。
ふと昨日までの一磨を思い返した。
「もしかして今の一磨って、絵を描く能力やサッカーが少し上達したかもしれないですね」
「あたしもそう思うわ。ちょっと期待してみようかしら」
花さんは花月のように一磨の周りを歩き回りながらお喋りをしていた。
そうして空き地を通り過ぎる時に私はシャガの花を思い出した。
今は冬なので咲いていないけれど、春になればまた綺麗な花を咲かせてくれるだろう。
「そう言えば、学校のシャガは花さんと旦那さんで植えたんですか? 仲がいいですね!」
「え? なんで月渚ちゃん知ってんの?」
不思議そうな顔をして私に訊いてきた。
「実はキャンプの夜中に、花さんと花月と旦那さんの話し声が聴こえまして」
「あたしの声大きいから。ごめんごめん。夜中に起こしちゃったみたいね」
「いえいえ」
軽く手を振り、盗み聞きをしていた事を平謝りした。
「そうなのよ。この学校のシャガはあたしが植えたのよ」
そう言って花さんは懐かしそうな顔で空を眺めていた。
「それと、あっちの世界のシャガはあっちの私と花月で植えたのよ」
「え? 花月とですか?」
心の中で飛ぶように驚いてしまった。てっきり旦那さんと植えたと思っていたのに、あの時の会話は花月を差していたなんて。二人は双子のように学校へ通い、シャガの花を勝手に校舎へ植えて喜んでいたんだ。その喜んでいる二人の姿が目に浮かぶ。きっと、彼女たちなら本当にたくさんの願いをあの花に託したのだろうと。
そして花月もシャガを見つけたから、あの時それを描きたいと言い出したのか。花月の数少ない記憶の断片として。
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