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月食の奇跡
学校へ到着すると、一磨と花さんは支援学級【光組】の方へと歩いて行った。
一磨は今日の体育以外はそっちで過ごすようだ。
私は昨日も通っていたクラスだけれども、何故か久しぶりに校舎へ入るような気がする緊張感に包まれて夏組の方へと歩いて行った。とても懐かしい匂いがするこの校舎。そんな事を考えながらボーっと教室の出入口で突っ立っていると、急に後ろから勢いよくぶつかってくる輩がいた。
「痛いなあ。誰よ?」
倒れている男子を抱え起こそうとしたら、そこには央樹が倒れているではないか。すまなそうな顔で私を見つめて。
「あら央樹じゃない。元気だった?」
足を痛がるような素振りで立ち上がろうとしない央樹に私は思わず慌ててしまった。
「央樹、まだ痛いの? 言葉は話せる?」
何を訊いても頷くばかりで声を発してくれない。こっちでも央樹は怪我を負っていたのか? これが彼の運命だと思うと切なくて仕方がない。
とりあえず央樹を抱えて席まで連れて行こうとしたら、今度は彼が愉快な顔をして笑いだす。
「嘘だよ、月渚。騙されてやんの。俺はスッゲー元気だぜ」
その言葉に失笑と言うより、怒りしか込み上げて来なかった。この馬鹿はどこまで行ってもやっぱり馬鹿だ。怪我を心配した私の心配料を返せと言いたい。
「あんた、今度怪我しても、ぜーったい助けてやんないからね。そのまま、あの世でも行っちゃえば」
それを聞いた央樹は慌てて私の前で土下座をして謝りだした。大袈裟すぎてみっともない。
「頭を下げても無駄よ。恥ずかしいから止めてくれる。あんたとの旅はこれで終わり。バイバイ!」
「それは、ないって」
ちょっと悲しそうな顔をする央樹を見てたら昨日の事を思い出した。私の央樹へ対する素直な気持ちが込み上げてくる。昨日の活躍は央樹が最後まで花月の手を握り離さなかったのが功を奏したに違いない。それについては感謝の気持ちでいっぱいだったから。
「しゃあないな。今のは免除。昨日はありがとね。あんたのお陰で助かったの忘れてたよ。頼りになるスーパーヒーローさん」
ちょっと上乗せして褒めてやった。バカ央樹にはこれくらいが丁度いい。
「これからも月渚やクラスのみんなのために俺が悪から守ってやるぜ」
熱く燃える男のように声を高らかと上げて笑い出した。本当に単純な男だが、何処か頼もしい感じもする。少しだけ央樹に憧れのようなものを抱いてしまった自分もいて、何故か分からない複雑な心境だった。
そこへクラスの友達が数人、央樹の元へやって来た。
「スーパーヒーローさん。今日くらい一磨に優しくしてくださいよ。そこの夫婦漫才をしている奥さんも」
「は? 私はいつだって一磨に優しいわよ。優しくないのは、みんなの方でしょ?」
私は大声で怒鳴ってしまった。興奮するとついつい声を荒げてしまう。
「半年前、先生に怒られてから冷たくなったのは、お二人さんの方だぜ」
他の友達も口を揃えて私たちに進言してきた。やはり、相当私たちは一磨に対して冷たかったようで頭が下がる。
「でも二人のお陰で、あたいらも一磨君との関わり方が分かったよ。月渚が一磨君を構いたくなる気持ちも少しだけ分かってきたし。大人しくて、カッコいいもんね」
珍しく小春がそんなセリフを冗談のように言っていた。学級委員長の癖に、今まで一磨に対して関心が無さ過ぎたのが不思議なくらいだ。だが、今日の小春は少しだけ優しい。それに小春だけじゃなく、クラスのみんなも同じように優しいのだ。
この半年間、一番関心が無かったのは、むしろ私と央樹だったのだと仄めかすように。
「みんな……」
驚きのあまり、私は言葉に詰まった。まさかこちらの世界がこのように変化するなんて。クラスの友達がみんなで一磨と関わり、興味を持って接してくれたことが非常に嬉しい。みんなの意識も半年で変わった事に月食の奇跡を感じてしまう。
「月渚。一磨君がどうして物を散らかすか知ってる?」
小春は私にクイズを出すように訊いてきた。私はその答えを知っているけど、央樹は知らなそうなので簡単に彼にも理解できる程度で答えてみる。
「一磨は片付けられない性格もあるけど、一番は物が散らかってる方が何処に何があるか目で見て分かり、安心するからでしょ! 視覚優位の病気だからね」
「正解! さすが月渚だわ。やっと正気に戻ったみたいね」
小春は嬉しそうに微笑んだ。正気じゃなかった私はその質問になんて答えたのだろうか?
おそらく一磨を馬鹿にして以前の友達みたいに投げやりな返事をしていたのだろうか。でも、その答えに辿り着けた小春たちはもっと凄いと思った。本当に一磨の病気と向き合って、関わってくれた証拠だから。
私たちの願いやシャガの花へ込めた花さんの想いが友達にも伝わったような気がして、思わず私は小春たちに頭を下げていた。
「ごめんなさい」
ほぼ同時に私と央樹は謝っていた。この半年間の反省である。小春は不思議そうな顔を浮かべていたけれど、クラスのみんなはそんな私たちを笑ってくれた。そして顔を上げてクラスの壁を見ると、昨日と変わっていない壁の絵に違和感を覚えた。
「これって……」
「月渚、これも忘れたの? シャガの絵だよ。五月からみんなでたくさん描いて町中に配ったじゃない」
クラスメイトたちが口を揃えて教えてくれた。
それはそうなんだけど、どうしてこちらの世界に同じ物があるのか不思議で仕方なかった。
「そんな不思議な顔しないで。一磨君が大好きな花で、先生がシャガの花言葉を教えてくれたの。そしたら小春が町中に配ろうって」
並行世界と始まりは違うけれども、進む方向はある程度決まっているんだなと、その時改めて私は知った。
「サッカー選手権はどうなったっけ?」
またまた周りに訊く私は完全に記憶喪失の人間のよう。
「あれはボロ負けよ。あんなに男女とも練習したのに、一磨君がすぐにボールを持って走っちゃうから、反則ばかり取られちゃった。もう少しルールを分かってくれたら良かったのに……あたいもあんたみたいに忘れたいよ」
小春のボヤキを聞いて、私は少しホッとした。もしも、こちらの世界でも優勝していたら、央樹はきっと同じような事故に遭っていたかもしれない。それを回避できただけでも救われた気がしたからだ。
央樹も同じように考えていたのか、小春の話を聞いて胸を撫で下ろしていた。
そして央樹は大きな声でクラスのみんなに呼びかけた。
「今日の体育はサッカーをしようぜ。一磨を混ぜてやるぞ。俺に少しアイデアあるから、みんなも手伝ってくれ」
そう言うと仲のいい男子や央樹ファンの女子が彼の周りに集まって来た。一応、私も話に混ぜてもらう。そうして彼の話を聞くと、なんと昔の央樹では思いつかないような発想のサッカーを提案してきたので驚いてしまった。花月からアドバイスでも貰ったのかと思えるくらい、一磨を想っての配慮に言葉を失う。その提案を聞いたクラスのみんなは口々にボヤキ出した。
「そのアイデア、サッカー選手権の時に言えよな。凄く面白いと思うのに」
一磨を理解した友達だけある、鋭いツッコミだった。
「ごめん、今日、思いついたんだ」
照れくさそうに言う央樹にみんな拍手を送っていた。
そして私たちのクラスは新しいサッカーを早く試したく、みんなサッカーの話で盛り上がった。早く体育の授業が始まらないかと期待を込めて。
◆◆
そして、とうとう体育の授業が始まる前の休み時間がやってきた。私と央樹で一磨を呼びに支援学級の方へと足を運ぶ。
「失礼します。一磨いますか?」
「あら、佐野君に天手ちゃん、いらっしゃい」
支援学級の先生が私たちを優しく迎えてくれた。そこにはまだ花さんと一磨が残っている。何やら一磨の描いた絵を壁に飾る所のようだった。その絵を先生は大事に抱え込み、私たちにも披露してくれた。
「この絵、さっきの授業で影入君が描いたのよ。男女四人が手を繋いでお花の帽子を被ったお月様の前で踊っている絵。素晴らしいでしょう? 昨日は月食だったし、きっとこのクラスをイメージして描いてくれたんだわ」
先生はそう言うと大喜びでクラスの壁の真ん中に絵を飾り始めた。
それを見た私と央樹は大笑いしてしまったが、花さんは私たちと同じように笑うものの、もう目頭に涙を浮かべて今にも零れ落ちそうになっていた。
「素晴らしい絵をありがとう。一磨」
私は一磨に微笑みかける。
「俺はこの絵を絶対忘れないよ」
央樹は一磨の肩を思いっ切り強く叩いてギュッと抱きしめていた。
「覚えてたんだね。花と月を。お母さん、嬉しい!」
花さんは感動して潤んでいた瞳が決壊するように涙を零し始めた。
それぞれ胸の中に閉まった昨日の出来事をお互いに確認し合うように目を合わせ、ここにいられる幸せを噛み閉めた。すべては一磨のお陰であり、一磨がずっと傍にいてくれたから奇跡的に戻れたのだと。彼には感謝の気持ちしかない。
これが一磨の心を映した細密画なんだ。きっとそうに違いない。
以前のような細密画ではないけれども、心に残っている気持ちはこのような情景なんだと一磨を見てそう思った。
そんな私もいつの間にか我慢していた涙が自然に頬を伝って落ちていく。今まで辛かった思い出や一磨と自然に会話をして、楽しく過ごせた日々を思い出して。
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