君は何を想う

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君は何を想う

 そんな私たちは次の授業の支度のために急いで涙を拭い、一磨を連れて支援学級を後にした。花さんは満足げな笑みを零し、歩きながら帰り支度をしている。 「花さん。今日の体育もついでに見学して行ってください」 「いいの? お邪魔じゃないかしら」 「元クラスメイトでしょ。私にとっては」 「ありがとう」 「実は今日のサッカー特別なんです」  私はその言葉を残して、みんなの所まで駆けていった。  この体育のために、みんなグラウンドで集合し先生を説得している。花さんは目立たないようにグラウンドの端で私たちを眺めてくれるようだ。  そうして(しばら)くすると、央樹と男子生徒数人が何か紙とテープを持ってグラウンドにやって来た。先生も央樹たちの話を早く()きたそうにソワソワしている。 「先生。お待たせしました」 「今日は佐野君が面白いサッカーを考案したと言うので、ちょっとやってみようと思う。では、先生にも分かるように説明してくれ」 「はい」  そう返事をすると、紙に汚い字で書かれたルールをみんなに見せた。即座に作ったので仕方がないのだが、あまりにも汚い文字で失笑してしまう。ただ、紙を見ると、そこには三つのサッカーと違うルールが書かれていた。  一、一磨はボールを手で持ってプレーをしてもいい。  二、手にあるボールを奪う時は、その相手も手を使って奪う事。足で蹴るのは反則ね。  三、一磨が攻めるゴールにシャガの絵を飾る事。 「ルール変更はこれだけです。あとはいつもと同じで」  これを聞いた先生はしかめっ面をして央樹に尋ねた。 「これではサッカーじゃないではないですか?」 「いいえ、サッカーです。サッカーと言うよりフットボールっていう感じかな」 「なるほど!」 「スポーツも今では病気に合わせて、いろんなルールがあるんすよ。例えば、視覚障害者用に目を隠して音だけを頼りにするサッカーとか、車椅子テニスのようにバウンドを二回まで許可するとか。俺は一磨にもできるルールを加えてサッカーした方がフェアだと思ったんだ。このルールでも俺たちの方が断然有利だし」  先生は央樹の意見に納得したようで大きく頷いていた。 「佐野君。以前の君より考えが素晴らしいよ。まるで、病気を持つ人の気持ちが分かっているようだ」  褒められた央樹は頭を掻きながら照れていた。私は車椅子で頑張っていた央樹を知っているので一緒になって嬉しくなる。一磨も心成しか嬉しそうだ。  そしてクラスのみんなも私たちと同じように、これからどんなサッカーが始まるのか楽しみで仕方がないような顔をしていた。新しいルールに則って、手でボールを奪う練習をするクラスメイトたち。どうやら一磨に手加減はしてくれなさそうだ。  それはそれで丁度いい。こちらも手加減なしで戦えるのだから。何としても一磨にボールを繋げて、この半年で成長した彼のサッカーを思い知らせてやる。  早速、そのルールで試合が開始された。今回も十六人制でのサッカーだ。  久しぶりにするサッカーだけれども、心が跳ねて跳ねて仕方がない。冬のサッカーは寒いけれども心の中は燃えに燃え上がっている。  ピ――!   先生のホイッスルでサッカーの試合開始が鳴らされた。  こちらの世界のみんなも相当練習していたのか、男女ともにサッカーが上手になっている。けれども、こちらも同じ条件で上達しているから関係ない。私もそう簡単に奪われやしないのだ。  央樹はいつもと同じように中盤でボールをキープして周りに正確なパスを送っていた。今日も司令塔に徹するようだ。なまった身体を動かすように積極的にボールを奪いに行っては左右に走りパスを繋げる。以前なら花月や一磨にボールをドンドン回していたけれども、今日はみんなを見ながら平等にパスを送っている。誰が上手いかパスを送りながら見極めているようだった。  何度かボールは一磨に回り、最初は手で持つことなく足で蹴って走っていた。これも練習の成果だろう。だけれども、どうしても上手くできないようで、すぐに相手にボールを取られてしまう。その時の一磨の表情が何とも言えず悔しそうだった。きっと、前のように身体が思うように動いてくれないのだろう。 「一磨。ボールを持っていいからね」  みんなが一磨に声を掛ける。一磨がボールを持っても、みんなは怒ったりしないからと付け加えて。 「もう一回行くよ。一磨は手を使って」  私の所へ来たボールを遠くにいる一磨へ大きく蹴り飛ばした。相変わらず下手くそなパスは一磨の頭上を大きく通り過ぎようとした。  その瞬間、一磨は大きくジャンプをして両手を空高く伸ばしボールをキャッチした。背の高い一磨と競れる相手はどこにもいない。それを抱えるようにしてディフェンスを次々と交わしシャガの花の絵を飾ったゴールへ走って行った。 「あと少しでゴールだ。行けー」  央樹が大声で叫ぶ。私も同じように叫んでいた。  その時突然、一磨は足が縺れてフラフラと倒れ込んでしまった。あともう少しという所で、なかなか立ち上がろうとしない。またも彼の病気が邪魔をしているようだった。  キーパーが前に走り出して他の選手も集まってくる。  これは非常にまずい。  もう無理だと思った瞬間、遠くから一磨を応援する声が響いてきた。どんな音よりも通るその声は、昨日まで聞いていた声のトーンとまったく同じで。 「一磨! 倒れても立つの。シャガのように立って。立って前に進め!」  この声、このセリフ、この熱意、私には花月の声援のように聴こえた。花月と花さんが一緒になって応援しているように聴こえたのだ。  一磨もその声に反応するようにゆっくりと立ち上がり、ゴールの方を見つめていた。いつも大好きな母親のために、辛い時も悲しい時も表情をひとつ変えず一磨は前を向いている。私はいつも一磨の傍にいたからその直向(ひたむ)きさをよく知っているのだ。  味方の友達からも一磨を応援する声が聴こえてきた。 「立て、進め。一磨!」  起き上がった一磨はボールが地面に落ちたままだったけれども拾う事はせず、ドリブルをして少し前へ進み相手の選手を一人交わしてから、右足を後ろに蹴り上げて思い切りボールを蹴り飛ばした。  ボールは相手のディフェンスを越えてキーパーの手に当たったものの、そのまま勢いよくゴールに突き刺さりネットを揺らした。今まで練習してきたシュートと同じように。  ピッピ――。 「ゴール!」  一磨のゴールに大歓声が沸き起こる。味方も相手方も大喜びだ。教室の窓から眺めていた他のクラスの生徒たちから、歓声と拍手が沸き起こっている。みんな一磨の素晴らしいゴールに驚いたようで、称賛した歓喜の声が響き渡った。  ふと遠くを眺めると、グラウンドの隅で倒れるように座り込み手で涙を拭う花さんの姿も見えた。その姿は遠くからだと花月のようにも見える。  花さんにとっては初めて一磨がゴールを決める姿を見た瞬間なのだろう。きっと花月が花さんの中で踊っているに違いない。  そんな花さんに「これが成長した一磨だよ!」と、心の中で私は叫んでいた。 「一磨! 俺たちとうとうやったぜ!」 「おうきー」  珍しく一磨も大きな声で央樹の名を叫んでいる。  央樹は一磨の方へ駆け寄り、いつもと同じようにハイタッチをしてから左腕をガッツポーズするようにお互いにぶつけ合っていた。 「覚えてたんだ。一磨は本当に私たちの傍にずっといたんだね」  そのガッツポーズをぶつけ合う仕草を見て、私は嬉しさのあまり花さんの傍へ駆け寄り一緒になって大粒の涙を流して喜んだ。何かやっと四人で成し遂げたような一体感を感じ、戻って来られた実感も改めて湧き起こってきたから。  一磨と央樹が手を繋ぎ、私たちの方を向いて手を上げた。私と花さんも手を繋ぎ、彼らの方を向いて手を上げる。涙で濡れた顔や手は陽光に照らされ輝きを増し、キラキラと光を放って。 「花さん。一磨はずっと私たちの友達だよ。誰が何と言おうと、一磨は私の親友だから」 「ありがとう……本当にありがとう」  お互いに涙が止まらない。今までの思い出が溢れてくるように、涙が溢れてくる。そんな私を花さんは全部包み込むように優しく頭を撫でてくれた。ほのかに香る花月の匂いに包まれて。  いつまでも私は忘れない。  一磨の病気があろうが無かろうが、私たちと同じ夢を彼が抱いている事を。私たちと何ひとつ変わらない明日を望んでいる事を。  そして私は言いたい。  この病気は決して私たちへ向けられているものではなく、本人が生活をしにくいだけの病気であり、個性であると。私たちがほんの少し相手を理解し、関心を持って配慮を加えていければ、共に楽しく生きていけるって事を。  だから私たちが変わらなくちゃならないんだ。どんな病気をも個性だと思える世の中へ。
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