それから八年後

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それから八年後

 それから八年が経ち、私は新社会人になった。  もう昔のように微睡(まどろみ)の中で話し掛けてくる少女は何処にもいない。花月の願いと私の願いが重ならなくなったから、おそらく出会わなくなったのだろう。それだけいろんな経験をして、みんな大人になったというわけだ。  私は八年前に夢描いていた作業療法士というリハビリの先生や小児科の医師になるのではなく、診療放射線技師になるべく東京の大学を卒業した。  今は月美山総合病院の放射線科に勤めている。まだまだ新人で先輩から教わる事ばかりだけれども、私にはひとつだけ昔ながらの譲れない志があった。  中学生の頃からずっと抱いていた、外国人や言葉の通じない人への対応だ。それを悩みながら自分なりに解決方法を見出す。  ずっとずっと語学の勉強をしてオレオおじさんや花さんの助けを借り、海外留学までさせてもらった。もう央樹に馬鹿にされる事もないくらいに、そこで英語を上達させたのだ。我ながら苦手な語学を克服できて誇らしい。  そのうち外国人が日本へ来て困る施設のひとつに、病院を掲げているのを知った。病院のさまざまな検査や手続き、文字の多い掲示物、同意書など、外国人にとってはとても難しい文面ばかり。それを知り、花さんも似たような事を言っていたような気がしたのを思い出した。 「頭の病気を持った者にとっても病院は特殊で通い難いんだよ。検査や採血などが突然あったりで予定が狂ってパニックになり易いの」  花さんもよくそうやってボヤいては絵カードを持って病院に掲示していた。  そんなに外国人や頭の病気を持った者が病院の検査に不安を抱いているのなら、いっそう私が検査をする技師になれば、少しは彼らの助けになるのではないかと思ったのが、今の職業のキッカケだった。  私なりに考えて、急患に役立ち、見えない病気を画像として見えるようにする診療放射線技師が一番良いのではと思い、この道を選んだのだ。  後悔はない。  むしろこの職種は視覚支援の極みだと思っている。  それに病院にいれば、一磨が病気になっても私なりに傍にいて力になってやれるのも嬉しい。  そんな一磨も立派な大人になりグループホームに入って、正規職員として仕事をしている。背が高くてカッコイイ一磨は職場仲間から大人気らしく、花さんもそれを喜んでいた。昔から温厚な一磨は頭の病気があっても受け入れてもらい易いようだ。やんちゃな央樹とは大違い。  央樹は央樹で体育会系のままスポーツ推薦でサッカー名門の大学まで進学した。そのお陰で私と一磨は彼の試合を応援にも行けたし、三人で昔を懐かしんだ時もある。  卒業後の央樹は体育の先生になり、地域の車椅子スポーツ大会にも貢献しているという噂を耳にした。たまにしか会っていないので、何処までが本当の話なのか分からないのだが。いつも彼の話を話し半分で聞き流している。  そして花さんは【お日様とお月様の会】というNPO団体を立ち上げて、障害を持つ者たちの支援やら、その家族や兄弟のメンタルヘルス、啓発活動や学習会など多岐に渡り奮闘していた。ただ、そのNPO団体のシンボルマークが月美山中学校創立二十五周年記念式典の看板に描かれたものと同じ【お月様が団子を食べながら太陽さんと手を繋いでいる絵】で、それをいつ見ても笑ってしまう。  私と央樹と一磨しか知らない懐かしい絵だ。この絵を嬉しそうに描いていた花月を思い出す。  花さんと同様に私も多岐に渡って仕事をしていた。  診療放射線技師というのは胸腹や骨折した骨のエックス線写真を撮影するだけでなく、乳房の検査であるマンモグラフィやCT検査、MRI検査、超音波検査、カテーテル検査、バリウム検査、PET検査、放射線治療等さまざまある。  その上、この職種は全診療科の依頼を受けて検査や治療にあたるため、いろいろな知識が必要なのだ。他の職種と違い、特定の知識だけを深く知っていれば良いというわけにいかないので、日々研鑽が続く。これを例えるのであれば、サッカーの時に全方位に目を向けてパスを送っていた央樹のような仕事に似ていた。  新人の私もたまにMRI検査に従事する。  MRI検査の音を聴くと昔を思い出すが怖いという印象はなく、あの時の手の温もりだけ思い出された。  そんなある日、一磨のような頭の病気を抱えた男の子が検査を受けにやって来た。周りの技師は言葉の通じない子に対して検査をするなら短時間だけ抑制するか、薬で眠らせようと考える。 「統合失調症があるので、出来る範囲で検査してください。無理なら出来たところまでで中止していいんで」  医師からの言葉もこんなものだ。  それに対して技師も「んじゃあ、癇癪(かんしゃく)起こされんように、適当にすんぞ。撮像時間、短めにな」 「ブレない画像が取れりゃあ、いいんだよ。チャッチャと終わらせようぜ」 「ところで統合失調症ってなんだ?」 「あれだよ。自閉症とかいう発達障害のことじゃねえ?! よく知らねえけど、これってタブーだったっけ?」  先輩たちのやる気の程度が伝わってくる。あまりにも杜撰(ずさん)な態度に呆れるほどだ。医師が許可しているのだから無理もないけれど、患者本人の気持ちなんて何も考えていない。  ただ、私は違う。  検査を始める前に廊下で待っているその子と家族に会いに行くのだ。そして笑顔で彼の傍まで行き、目の高さを合わせて真正面に座ってみる。 「こんにちは。私は天手月渚です。よろしくね」  こちらは相手の目が逸れないように身体を動かしながら目を合わせる。 「今日はこんな検査をするよ」  (おもむろ)に、私はラミネートされた大きな紙を彼に手渡した。  検査の流れに沿って絵が順番に書かれた絵カードだ。 「お姉さんと一緒に見ようか」  そう言って、順番に本人が納得するまで絵を見てもらう。怖がらないように、注意が他へ向かないようにと。 「こんな子供騙し……」  付き添いの親御さんはたいてい視覚支援を知らないから小言を零す。そして小馬鹿にしたような目で私を見つめてくるのだ。 「そんな絵ではうちの子、理解できません。意味が無いですから」  あまりにも検査前のこの時間が長いせいで、愚痴を零す親御さんもいるほどだ。大人になった私は、これくらいの愚痴ではもう怒らない。 「意味が無くても構いません。私は彼に安心して検査を受けてほしいだけですから」  これを見て一回で理解してもらおうとは思っていない。ただ怖くない、痛くない検査だと分かってほしいだけなのだ。病院は子供の検査の時に親も説得しなければならないので大変だけれども、主役である子供を(ないがし)ろにはできない。 「さあ、検査を始めましょう」  私は彼に微笑み掛けてみたが、まだ(うつむ)いたままだった。 「……怖い」  しゃがみ込むように彼はまた座って動かなくなる。 「そうかあ。まだ怖いね。また絵を見ようか。何度見てもいいからね。お姉さん、ずっと傍にいるから。痛い事もしないよ。絶対、約束する」  そうやって、エックス線写真やCT検査、MRI検査、超音波検査など、上手く検査をこなしていく。時間のかかるやり方だけれども、精神的に弱い彼らを安心させるために必要な時間なのだから仕方がない。  大抵、検査が終わると親御さんの表情も穏やかな顔に戻っていく。 「こんな風に検査を受けたのは初めてです。うちの子が最後まで泣かずに検査できました。ありがとうございます」 「喜んでもらえて嬉しいです。今、少しずつ絵カードを使った検査説明をする病院は増えてきていますから、安心してくださいね」 「いや、まだまだですよ。天手さんのような人、見たことないですから」  心の中で私も「まだまだだ」と思いながら、親御さんに相槌を打って笑顔で彼に手を振った。  職場や社会は誰でもできる配慮を誰もやらない。職種や立場は関係ないのに、忙しいやら関わりたくないやら言い訳をして。専門知識なんて必要ないんだ。問題は気持のありようだけなのに。  私はどんな人にもこの場所を嫌いになってもらいたくないから、これを続ける。小さくて些細な活動だけれども、きっと誰かに届くだろうと信じて。  絵カードは検査室の前にも掲示をして、文字だけの掲示物に花を添えた。一磨のように上手な絵は描けないけれど、分かり易くなっていて評判は上々だ。職員の中には絵が子供ぽいと馬鹿にする人もいるけれど、ピクトグラムに大人ぽい絵があるだろうか? と考えてしまう。そもそも大人ぽい絵とは何なのか意味が分からない。そこに差をつける意味はないと思うのだが。  患者の心理を考えていない人たちは自分の主観だけでケチをつけ、本質から目を逸らしている。患者は絵の良し悪しよりも描かれた内容を知りたいだけなのに。  ある意味、ケチをつけている人たちも十分、頭の病気だと言えよう。  そんなある日、お年寄りにも絵カードを見せてみた。 「おばあちゃん。検査に何か不安でもありますか?」 「初めてのCT検査で怖いのよ。いったい、これから何されるのかしら?」 「この絵カード見てください。ただ寝るだけで、検査終わりますから」 「検査前に看護師さんからいろいろ説明があって不安だったけど、ただ寝ているだけでいいんだね」 「はい。動かないで寝てるだけですよ」  高齢者が増える中、車椅子による身体的な介助を必要とする患者が多く、医療スタッフもそちらに接遇の注意が向いている。そんな中、私は視覚支援を使って高齢者の検査に対する理解度を向上させようと試みた。実際には高齢者だけでなく外国人にも。検査の理解ができれば、きっと協力的になってくれると思うから。協力的になってもらえれば、自ずと検査も向上すると信じて。  そうやって大人になっても私の想いは昔から変わらない。743385d7-103c-4713-a2c4-04f23187a1d9
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