小春の相談

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小春の相談

 その唐突な言葉に少し怒りを覚えてしまった。何か友達を馬鹿にされたような、そんな怒りが沸々と腹の底から湧き起こってきたのだ。 「一磨のようって……一磨の何が問題なのよ。彼はあんたより、よっぽど立派に働いてるわ」  スーパーのパートである小春を馬鹿にしている訳ではないのだけれども、一磨を何かの病気のように扱われるのは憤慨だった。確かに彼は頭の病気を持って生れて来たけれど、彼は立派に生きている。誰よりも苦労しながら、社会人として独立した生活を営んでいるのだ。そんな一磨を馬鹿にする奴は例え小春だろうと許せなかった。 「ごめんごめん。別に一磨君を変な意味で抽象したわけじゃないの。ただ娘が心配だっただけ」 「あ、そう」  改めて小春は頭を下げてきた。私も一磨の話が出て少し興奮してしまったのは大人気なかったように思う。きっと私も小春と同じで、まだ一磨を特別視しているのかもしれない。 「月渚はその道の専門家みたいじゃない?」 「違います!」  速攻で彼女の言葉を否定した。何故かそういう言い方をされると馬鹿にされたような気がしてならなかった。なんでも少し知識があるだけで専門家扱いされてしまっては、たまったものではない。専門家と言われる人たちは、もっと探究心があり、日々その物事に発見や改善をしていく者たちを指す言葉だろう。それに比べて私の知識なんか、経験と数冊の本、それに一磨の母親からのご教授だけに過ぎないからだ。 「まあいいわ。皐月ちゃん、落ち着きがないんなら、物事の順番を絵カードで示して並べてあげたら?」 「絵カード?」 「スマホの絵文字みたいなやつ。スタンプみたいに絵と文字を並べてあげるのよ。さっきもトイレに貼ってあったよね。あれよ、あれ」  今も職場で使っている手法だ。病院で勤めている私は先の見通しがつかない患者に順番を明確に示すため、絵や文字の単語を紙に描いて順序を表す。言葉だけではなく、必ず文字か図柄も含めて表現するのだ。みんなが大好きなSNSと同じ感覚で。 「あとは何かに集中して聴こえていない時、それを一旦中断させて目を合わせてみてよ。さっき私がしたように」 「え? 同じようにやったよ」 「ううん。やってない。横からだと目が合ってないって」  皐月ちゃんの隣に座っている小春は確かに姿勢を屈めて話し掛けてはいたものの、皐月ちゃんの顔は母親の方を向いてはいなかった。集中力が過剰の子供に横から話し掛けても、まったく無駄であるのを小春は知らないようだ。本当に話を聞いてほしかったのなら、強引に頬を抑えてでも顔を自分の方へ向けさせなければ意味がないのに。 「やっぱ、月渚は凄いや」 「何が?」 「あたいも目から鱗だよ」  大した話をしたつもりはないけれど小春が喜んでくれたのなら私はいい。ハッキリ言って子育ての専門家でもない私があまり大きな口を叩けるほど立派な大人でもないのだから。 「皐月ちゃんの専門家は小春と旦那さんなんだからね。しっかり気付いてあげなよ」  きっと、この子は大丈夫だと私は心の何処かで思っていた。一磨の幼い時分とは全く違う。比べものにならないくらい親の話を聞いて相槌も打っているのだ。ちょっとくらい落ち着かなくても大人になれば段々と落ち着いて来るだろう。  丁度その時、七時のニュースが始まるチャイムが聴こえた。もうこれ以上、皐月ちゃんを喫茶店で遊ばせておくわけにはいかない。さっさと帰って小春に夕飯の準備をさせなければ。 「小春。家帰るよ」 「わかった、わかった」  重い腰を起こすようにゆっくりと席を立つ小春はウェイトレスに食べ切れなかったクッキーを袋に入れて帰りたいとビニール袋を頼んでいた。私は暫しの間、側にあったテレビにまた気を取られる。 「七時のニュースです。東南アジアに拠点を持つ【赤い月】を名乗る者たちが今夜の皆既月食に合わせて独立記念集会を行うと声明がありました。では現場からの中継です」 「え? 今日は皆既月食なの?」 「そうよ。日本でも月食が見られるみたいだけどね。確か夜の十時頃くらいかしら?」 「へえ。だったら私、月見山公園へ行って眺めて来ようっと」  久しぶりの皆既月食に心が躍るような気分だった。私は花月に出会ってから月食を眺めるのが好きになり、必ずと言っていいほど月食の時は公園で空を眺めている。 「女子の公園一人歩きは危ないって。夜の十時だよ」 「大丈夫、大丈夫。いつも月食を見に来る奴が他にもいるからさ」 「誰よ、誰?」  顔を近づけて来た小春に「秘密だよ」と人差し指を立てて口元に当てた。 「どうせ央樹君じゃないの?」  鋭い一言に少し頬が赤くなる。バレないように口を尖らせながら否定するものの返って怪しまれてしまい、耳まで熱くなり真っ赤になってしまった。 「月渚と央樹君は昔から仲良しさんだからね。お似合いだと思うんだけどなあ」  小春は私の耳の赤さを笑いながら央樹ネタを続けてきた。彼女が央樹の昔話を話せば話すほど、私は何故だか高揚していく。  そんな私と央樹は幼馴染でありながら、今まで一度もお付き合いした事はなかった。たまには一緒にお酒を飲むくらいの間柄で、お互いの夢を語り合っては空を眺めている変わり者同士だった。小春には言えない秘密を除けば、たったそれだけを共有している間柄なのだ。 「もう小春ったら。央樹はいつだって女にモテモテで私とは別に何でもないんだから」 「ホントに? それにしても央樹君が誰かと付き合った、なんて話も聞かないけどね」  そう言えば私もそんな話を聞いた覚えはない。ただのスポーツ馬鹿が社会人になるまでいろいろなスポーツに励んでいた話を聞くくらいだ。今では高校で体育の先生をしているようだし、昔から全く変わらないスポーツ大好き青年だというくらいしか知らない。 「まあ央樹のような【お月様フェチ】がいれば、私も安全だあ」  誤魔化すように私は歩き出し、お会計をさっさと済ませた。当然、私の驕りは無いので、急いでクッキーを袋詰めした小春も私の後で会計を済ます。 「ごちそうさま。また来るね!」  小春はこの店の奥さんであるウェイトレスに会釈をしてから手を振っていた。皐月ちゃんも同じように手を振っているのがとても印象的で可愛らしかった。  私も軽く礼を言って、遠くに見える月乃ちゃんにも声を掛けた。 「嚙み嚙み神様によろしくね。今夜、十時だと伝えておいて!」 「はーい」  私は月乃ちゃんにだけ分かる言葉で伝えておいた。月乃ちゃんが昔から一磨を【カズ兄】と呼ぶ以外に用いていたあだ名であり、【嚙み嚙み神様】と馬鹿にしていたのを思い出して。それを言う月乃ちゃんがとても可愛らしくもあったので、私も月乃ちゃんと喋る時はしばしばそのあだ名で呼ばせてもらっていた。 「月渚の知り合いもいたんだ?」  今まで気づいていなかった小春が私の手を振った先を見つめて訊いてきた。 「友達の妹さん。ここでバイトしてるんだってさ」 「ふーん、可愛い人ね。もしかして央樹君の妹?」 「ううん。央樹に妹なんていないよ。別の【お月様フェチ】仲間のだよ」 「あら、他にも【月見馬鹿】がいたんだ」  呆れた顔の小春は、もうそれ以上何も訊いて来なかった。小春は一磨をよく思っていないのであまり詳しく紹介できなかったから、それの方が助かる。もしも月乃ちゃんが一磨の妹だと知ったら、小春はきっと偏見な眼差しで月乃ちゃんを見てしまうかもしれないから。 「ところであんたたち、いつまでそんな【月見馬鹿】してるの?」 「【月見馬鹿】とは失礼な。【お月様フェチ】だってば」 「どっちだって同じよ。それより、もうそろそろ結婚とか考えてないの?」  突然の小春が漏らしたその重たい言葉に、私は頭の中が真っ白になり硬直してしまった。央樹とは付き合ってもいないのに結婚なんて考えるはずもない。むしろ私の頭の中に結婚なんて言う文字は何処にもなかったので、そんな言葉を耳にするとは思いもよらなかった。 「馬鹿言わないの、小春。私にはまだまだやりたい事があるんだから」 「それって一磨君への想い?」  また鋭い所を突いてこられた。小春はよく人を観察しているから、私の夢がバレバレで心を覗かれているよう。そんな私は少し恥ずかしくなり、胸の前に鞄を抱えた。 「何だっていいでしょ!」 「央樹君も大変ね。一磨君が相手だなんて」  小春はクスッと笑って満月に指を差した。 「かぐや姫なら央樹君と一磨君のどちらを選ぶのかな? それとも、どちらも選べなくて月へ逃げちゃうのかな?」 「どういう意味よ!」  かぐや姫は逃げたんじゃない。私だって逃げも隠れもしないけれど、ただ仕事が満足するまで働きたいだけだ。病院で働く私には、どうしても完成させたいものがあるのだから。  それを知っている小春は私にこれ以上何を言っても、のれんに腕押しだと言うような嫌気な顔を見せてきた。 「じゃあ、公園へ行って来るね。また明日!」 「はいはい。央樹君によろしくね。たまにはスーパー来いよって言っといて」 「はいよ」  小春と別れた私は二人が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けた。小春のようにズバズバ言ってくれる友達もだいぶ少なくなり、私も小春と喋れて嬉しかったのだ。社会人になると、どんどんどんどん友達が減っていく事に少し寂しい気もするけれど、みんなそれぞれ忙しいのだから仕方がない。特に女子友達は結婚して遠くへ行っちゃう子もいるし、小春が近くに住んでいるだけでも大助かりだった。  それと、こんな私の趣味に付き合ってくれる人がもう一人だけ傍にいてくれるのにも神様に感謝だ。幼馴染、腐れ縁とはいえ、その人が公園のいつもの穴場スポットできっと待っていてくれている。今日はアイツと会って久しぶりに昔話に花を咲かせるのも悪くない。
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