十二年前 十四歳の月渚

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十二年前 十四歳の月渚

 時は中学二年の五月下旬まで(さかのぼ)る。ちょうど十二年前の出来事だ。 「月渚。何イライラしてんだよ。これでも食って、ちょっと休め」  サッカー部の練習に行く途中だった央樹が何故だか今日、小さな飴玉をくれた。私が図書室でイライラしながら探し物をしている時に、たまたま廊下ですれ違った彼が珍しく私にソーダー味の飴玉をくれたのだ。ソーダー味の飴玉はとても綺麗な透き通る水色をしていてキラキラと輝いている。私はそういう飴玉が大好きで素直に受け取ってしまったけれども、本来は学校にお菓子など持って来ては駄目だったはず。 「先生に怒られちゃうよ」 「平気平気。そん時は月渚も共犯だから」  手を振って去る央樹は何処か嬉しそうな顔をしていた。そんな私もバレなきゃいいやという気持ちが込み上げてきて貰った飴玉を口に頬張りニンマリとした。きっと私も央樹のように嬉しそうな顔をしていたのだろう。  桜並木がある自宅から中学校までの通学路。春に桜の花が満開だった木々たちは、今ではすっかり緑豊かな大樹へと変わっていた。一般的に世間の人たちは可憐で色鮮やかな白桃色の桜が大好きなようで、春になると花見客でその通りは多いに賑わう。だけれどもその賑わいは非常に儚いものだ。桜の花弁(はなびら)が散ってしまうと、今まで何も無かったかのような静けさがまた訪れる。誰もその大樹が何の木かも忘れてしまったかのように。  だけれども私はこの緑豊かでドスンと構えた重量感がある威風堂々とした桜も大好きで見惚れてしまうのだ。誰も見向きもしなくなった新緑の青々とした桜を私は自分だけのもののように独り占めして眺めている。桜は暑さを凌ぐ木陰を作ってくれたり、小雨程度なら濡れないように私を守ってくれたりもするから、男らしくて頼もしい。そう考えると春の桜はまるで女のようだ。木々には性別などまったく関係ないのに。ひとり口を細めて笑ってしまった。  月見山中学校二年夏組(なつぐみ)の私はまだ十四歳のヒヨッコで、世界のニュースなどには縁がなく地元のニュースでさえもあまり関心がなかった。ただただ遊びたい盛りの女子であり、少しだけ読書が好きになってきた今日この頃だった。  小学生の頃より髪を長く伸ばした私は少し癖っ気のある跳ねた髪を隠すように毎日毎日髪形を変えていた。シュシュやリボンやピン止めを駆使してお洒落にするのが日課だった、どこにでもいる女子中学生の楽しみを満喫していたのだ。  少し普通の女子と違うとすれば【お月様フェチ】というところだろうか。  この月見山は一年を通してよく月が綺麗に見える街。お月様を題材にした童話や子守歌をよく聴いて育ったものだ。お菓子も月に(なぞら)えたものが多く、よくそれを口にする。マスコット人形やお土産物もすべてお月様だ。だから必然とお月様に関心を持ってしまう子供も多い。私もその一人であり、いつの間にか周囲からは【月オタク】と言われるようになっていた。  皆既月食を明日に控えた今日。図書室からようやく見つけ出し借りてきた本がある。それは【新月読命伝説(しんつくよみでんせつ)】と書かれた本で、どうやら【ツクヨミ】に関する伝承がいくつも記されているものだった。小学生の頃に【古事記】や【日本書紀】を読んだ私は、あまり存在感のない【ツクヨミ】という神様に興味を惹かれ、たまたま図書室で以前見掛けたこの本をまた探して手に取ってみたのだ。  本にはそれまでの書籍と同じような逸話がいくつも書かれてあったが、一部思いもよらない話も書かれていた。それは皆既月食に関する記述だった。  そこを図書室で読んでいると日が暮れてしまいそうだったので、急いで自宅へ帰り、早くベッドで横になりながら読みたいと思った。そんな私は桜並木をゆっくり歩くのを止めて、緩やかなカーブが続く自宅までの道のりを猛ダッシュで駆け抜けていった。  ここら辺一帯は登下校時間になると車が通れないように交通規制が設けられているため、みんな好き勝手に歩いて帰れるのが嬉しい。だから私も今日は道の真ん中を思いっ切り走って帰っていった。 「ただいま」  玄関のカギを開けて大きな声で挨拶をしたものの、誰の返事も聴こえてこなかった。家に入ると、母の姿はどこにも見当たらない。どうやら何処かへ出掛けているようだ。ふとダイニングテーブルを見ると、そこに書置きされた手紙が無造作に置かれてあるのに気付いた。  同窓会で帰りが遅くなるから、冷蔵庫のおかずをチンして食べてください。  母より  そうか。同窓会があるような事を前から言っていたような気がする。ただ、今日がその日だったとは知らなかった。  私は自室へ行き急いで制服を脱ぎ捨ててから、ラフな格好に着替えた。毎日暑い日が続くため、白のTシャツと短パン姿で家の中をウロウロする。少し胸が大きくなり始めた私はTシャツが盛り上がっているのを鏡で見ながら、そこに映っているもう一人の私に「少しは大人になったかしら?」と胸に手を置き、尋ねてみた。  大人になれば何でもできるんじゃないかと思っていた当時の自分が、とても気恥ずかしい。  台所でタッパーに入っていた煮物をチンした私はそのまま他のお惣菜と一緒にトレーに載せた。ついでに、おにぎりとお茶も用意してから二階の自室へ引き籠る。  母親が留守ならば、心行くまで横になりながら読書ができると思ったからだ。そんな時間を平日に味わえるなんて思ってもみなかった私は非常に嬉しくなっていた。  暑い自室の窓を全開にして涼しい風を部屋いっぱいに取り込み、私は先程の本を開いてみる。 「よーし、続き続き!」  張り切って図書室で読んだページまで捲り次の皆既月食についての記述に目を奪われた。  古来より皆既月食は日食と同様に恐れられた天体ショーだと描かれてあった。日食は空が暗くなるが、皆既月食は月が赤くなるので【赤い月】とか【血の月】とか言われていた。これは今でも変わらない。  昔の人たちは妖怪や魔物がいると信じていたようで、このような不吉な夜に外出するのは危険だと言われていたようだ。当時の夜道には街灯もなく暗いので当然と言えば当然だろう。私だって街灯のない暗い夜道で【赤い月】など見たくもないと思うのだから。  その本の一節に不思議な伝承が書かれていた。高貴な者は皆既月食の光を遮り、絶対に見たりしないと言うものだ。もしも【赤い月】を見てしまったのなら、そのまま魔物に恐ろしい声で話し掛けられ魂を喰われると言う。なんともオカルトチックな逸話だった。 「主は何を想ふ」  こんな感じの言葉が例として、そこには描かれていた。  これも妖怪や魔物の伝承を発展させて描かれているだけかもしれないけれど、何か心に引っ掛かるものがあった。  その本の記述によると、大きな朝廷や文明が変革する際には必ず皆既月食が絡んでいたと言うのだ。ホントのようで嘘のような逸話だけれども、これは少し夢があって信じてみたくもなる。皆既月食が妖怪か魔物によって時代に変革を(もたら)していると言うのなら、月は太陽よりもお節介屋さんだ。【ツクヨミ】の神様はそんな魔物を放置しているなんて、まるで手下にして自分の代わりに働かせているようにも思えて仕方がなかった。  私も皆既月食が近づいてくると何処からか少女のような声が聴こえてくる時もあるので、きっとそんな夢物語を信じてしまうのだろう。夢(うつ)ろな私はいつもそれが本物の声なのか、夢で聴いた誰かの声なのか分からないままだった。  今日その本を読んでから何とも言えない胸騒ぎがチクチクと胸の中を突き刺さり、どうしようもなく震えが止まらなくなってしまったが、そんな魔物はあり得ないだろうと自分に言い聞かせて誤魔化した。少なくとも本に書かれてあるような恐ろしい声ではないので、これとは違い妄想から来る疲れなのではないかと自分なりに解釈して。  今日は皆既月食の前日。つまり十四夜(じゅうしや)だ。月にはそれぞれに名前があり、【お月様フェチ】の私はそれを全部覚えていた。確か今日は幾望(きぼう)小望月(こもちづき)と言われている。明日はちなみに満月(まんげつ)十五夜(じゅうごや)望月(もちづき)盈月(えいげつ)円月(えんげつ)月輪(げつりん)など丸を強調したものばかり。だけれども、これらの名称は私にとって(おもむき)がある呼称に思えて仕方がなかった。  そのうえ明日の満月は特別で二十五年ぶりのスーパーブルーブラッドムーンという皆既月食が拝めるらしかった。とてもお月様が大きく見えて血のような【赤い月】が見られるらしく、テレビのマスコミは大賑わいで事前解説をするくらい。 「世界が注目してる天体ショーなんだから見なくちゃ損損!」  私も明日が楽しみで前日から胸の高鳴りが止まらない。どれだけ多くの人が夜空の満月を拝むか分からない皆既月食に胸がはち切れそうな思いだった。第一、こんなところで先程の伝承に出てくる魔物が現れるのなら、どれだけ多くの魂が喰われるのだろうか? そんな非現実的な事はあり得ないし、そんな悲惨なニュースなど過去に一度も聞いた覚えがない。 「月食を見たら喰われるなんてバカバカしい。そんなの信じられるかってんだ」  私は思わず三日月の形をした抱き枕に噛みついてしまった。喰われるくらいなら喰ってやるという勢いで。  そうしておにぎりを頬張りながら段々と夜も更けてきた月を今日も寝ながらぼんやりと窓越しに眺めていた。十四夜のお月様はとても丸く、十五夜と何処が違うのかと思わせるくらい明るかった。  そんな明るい月を見ながら一日を振り返る。いつも通り、大した出来事もなかった私はウトウトしながら央樹に貰ったソーダーの飴玉を思い出して。 「お月様もこんなキラキラした水色だったら可愛いのに。一磨なら私の気持ち分かってくれるかな?」  変な想像をしている時は自然と一磨の顔も思い出してしまうものだった。彼の想像力は私を遥かに超えた領域にあると思い込んでいたから。そんな風な世界を夢見ていると、私はいつの間にか眠り込んでしまっていた。  微睡(まどろみ)の中、少女の声が聴こえてきた。聴こえるというよりは、心に響いてくるという感覚だ。感触も匂いも、その少女との距離感も分からない。ただ、私の胸に声だけが飛び込んで来て、そのまま心に入り込み、覗かれているような気がするだけだった。なんとも不思議な感覚に、また自分は疲れているのだと客観視する自分もそこにはいた。 「……あなたは、いったい何を想ってるの?」  いつもは何を話し掛けられているのか分からないボヤっとした言葉が聴こえてくるのに、今日はそれとは違っていた。はっきりと少女の声が聴こえてきたのだ。  頭の中が思わず真っ白になる。声のトーンからして魔物のようには思えないけれど、少なくとも母の声でもない。白くなった世界に、まるで天使が舞い降りたかのような温かくて優しい声が響き渡っていたのだ。 「私は……」  言葉が思い浮かばず喉の奥で詰まってしまった。そのまま呼吸できずに思いっ切り(むせ)た後、ハッと一気に目が覚めた。 「あれ? さっきのって夢? ねえ、あれって何なのよ!」  思わず窓から見えた大きな月に話し掛けてしまった。誰もその質問に返事をくれるわけでもないのに。  気が付くと、もうだいぶ夜更けのようで、一階から母がドタバタ歩いている音が響いてきた。同窓会からようやく帰ってきたようで、珍しく陽気に鼻歌を唄いながら何かを片付けている音がする。だいぶ楽しいお酒を飲んで来たらしい。  そんな私は夜風の寒さに震えながら窓とカーテンを閉めて改めて眠りに就いた。 「お月様。もう寝る邪魔はしないでよね」
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