もうひとつのプロローグ

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もうひとつのプロローグ

 月食前日の出来事。  東南アジアにある名も無き小国。そこは東アジア・ヨーロッパ連合が管轄する植民地であり、連合艦隊総司令キリルが独裁政権をする島国だった。石油を含む海洋資源に富んだこの小国は共産主義の重要な要になっている。  表向きは自由貿易を謳い世界中の要人たちを入国させ、豊穣と富と名声を(もたら)す夢の国になっているけれど、裏では全く違う顔があった。二年間の兵役制度と闇操作されたネット社会。それに一貫されたインターナショナルスクールと。それを巧みに利用して幼い子から洗脳するこの小国は一度落ちると抜けられないアリジゴクのような植民地自治区だった。  総司令キリルにとって世界の要人は人質のようなもので、その子供たちはスパイ養成員みたいなもの。  本当の自由を求める若者にとって、この名も無き小国は歪んだ世界の一端だった。  その歪んだ世界を正そうとする者たちが密かに集まる。 ◆  退屈なインターナショナルスクールの授業が終わり、寮へと帰宅する一人の男。その男は背が高く色白で、金色の短髪を立たせ風に靡かせて歩いていた。学校でも目立つ鋭い眼で相手を黙らせる男、ステファン・M・ルース、二十歳のドイツ人だ。この国で義務付けられた二年間の兵役制度を無事に終了しインターナショナルスクールに復学した学生だった。 「ステハン。今日はそこの屋台で飯でも食って帰ろうぜ」  黒髪を清潔感のある適度な長さに切り揃えた男がステファンに声を掛けた。黒真珠のような澄んだ瞳をした小麦色の彼は、とても実直な眼差しで誰の心の中にも入り込んでいく才を持ち合わせていた。ステファンとは違い優しい顔立ちが学生たちを魅了させる。  その男こそ、現地の学生たちや諸外国から来た外国人たちに人気のあるインターナショナルスクールの生徒会長、月山託(つきやまたく)という男だった。  二人は寮のルームメイトでとても仲が良かった。 「ツキヤマさあ。お前、日本人だからって発音悪すぎ。俺はステファンだっつうの」 「まあ、いいじゃないの。明日の夜にゃあ、僕たち別々の名使うんだからさ」 「それは俺たちじゃねえよ」  そう言うとステファンは胸から緑色に輝いた勾玉を取り出し、月山に突き出した。月山も同じように胸から同じ物を取り出して、じっと見つめている。 「明日の夜にゃあ、僕たちもお別れだね」 「いや。ずっと友達だっつうの。俺たちの想いはこれだけじゃねえし、関係ねえよ」  ステファンのセリフに二人して笑い出した。関係ないとは言いながらも、さも大有りだと言うように。 「それよりツキヤマ。今日は最後の準備があんぜ。みんな寮でお前の帰りを待ってんだから、早く帰んぞ」 「そうだったの? 今日くらい自由にしたら良かったのに」 「だから……あいつらもずっと自由だってえの」  寮の食堂へ行った二人を待っていたのは、寮の全生徒よりも多い1500人の仲間たちだった。表向きは通学生と寮学生の懇親会で大人の監視官が目を光らせる中、酒や煙草を彼らに見えるように振舞っていた。いつも寮母のようにいる監視官数名は顔馴染みのため、パーティーにもチョコチョコ顔を出しては酒や煙草を飲んでいくのが習慣になっている。特に、雇われ兵でもある監視官は学生よりも貧乏だったため、タダ酒、タダ煙草には目がなかった。それに金を掴ませれば何でも言う事も聞くし、席も外してくれた。  政府公認の監視官ですら、ここの学生にとっては道化に過ぎなかったのだ。  勾玉を持つ者にシャーロット・M・フォックスという栗色の癖っ毛をした女優のように美しいアメリカ系女子もいたが、彼女はどちらかというと場を和ませる癒し系女子だった。そしてルイーズとポールと言うフランス系のクロワッサン姉弟もいる。 「来たる明日、我々は皆既月食に向けて祈ろうと思う。我ら【赤い月】の誕生と仲間たちが願う新しい国造りのために」  月山が第一声を漏らすと一斉に群衆の声援が建物を揺らすような大声で響き渡った。 「静粛に!」  すかさずステファンが声を荒げる。 「今夜を持って、俺たちの集会は終わりだ。絶対に己の希望を捨てず、政府の犬共に悟られぬよう注意せよ」  そこまでステファンが話すと、皆が一斉に声を出さず、オーケーサインをするように親指と人差し指の先を付けて丸を描き、大きく天井に腕を伸ばした。 「革命でこの国を変えられるのは我々だけだ。例え【赤い月】が一人残らず殺されようとも、皆は臆する事はない。何年かかろうとも、絶対に我々の願いは成就する。それを信じて万進するのみ」  月山はここまで話すと胸に手を当てて「僕の心は君たちと同じものを見ている。それを信じてくれ」と。 「俺も同じだ。ステファン・M・ルースは誓うぞ。決して、お前たちを悲しませる世界なんて造らんから安心せい!」 「あたしも誓うわ。シャーロット・M・フォックスは、このMの名において正しい道を導きましょうぞ。例え汝らがこの闘いで命果てようとも、其方たちの魂は【赤い月】がお護りする」 「クロワッサン家もシャーロットと同じよ。グランのハイヌウェレ卿が邪魔して来ようとも、暗闇で彷徨える君たちの魂を明るく照らしちゃうんだから。うちに任せんしゃい」  ポールも姉の言葉に照れるような仕草で腕を上げた。  集まった仲間の中にはグランのハイヌウェレ卿が如何なる人物なのか知らず、意味が分からないという顔をしている者もいたので、それを補うようにポールからも説明された。  彼の言うには、大農家から成功したハイヌウェレという者が実業家に転じ、更には連合艦隊が治める政府に取り入れられたという話だった。反革命派として裏世界を仕切り、資金提供もしているという噂らしい。そのうえ、何故だか【赤い月】の動向には敏感で、奇跡の力を使う度に彼ら一族が邪魔をしてきたというのだ。その者たちは常にグランという穀物と戯れる猫の紋章を持っているのだという。別名、ウケモチの紋章を。  最後にステファンから念のための注意事項も話された。 「お前たちも承知の通り【赤い月】の胸元には赤い勾玉を持っている者が存在する」  そう言うと、彼は胸元から緑色に輝く勾玉の付いたネックレスを取り出した。 「俺のように緑の勾玉もあるから気を付けてくれ。ふたつの勾玉がある事については他言無用でお願いしたい」  集まった群衆が緑の勾玉を見て、うっとりとした顔をしていた。それもそのはず。緑色の勾玉こそ、願いを叶える神器として敬われていたからだ。 「こんなもんに大した力はねえ。それよりも困った時には赤い勾玉の保持者を探して、その者の力となれ。そいつが救世主ハイラントだ」  それを聞いた群衆は口々に救世主を口ずさんでいた。メシアという者もいれば、サルヴァトーレやソヴァールと口にする者もいる。すべてはその国々で呼ばれていた救世主という呼称に過ぎないのだが。  酒を飲んで少し顔を赤らめた月山が急に壇上へ立ち上がり、群衆に向かって「ある言葉」を投げた。 「Reading the Future(未来を見据えろ)」 「リーディング・ザ・フューチャー!」 「Reading the Moon(月を読め)」 「リーディング・ザ・ムーン!」  掛け声のように木霊した言葉が会場を大きく揺らす。慌てた顔をしてステファンが、急いで酔っ払いの月山をヘッドロックし、大きな声で「静粛に!」と叫んで、オーケーサインのような腕を上げた。 ◆  パーティーはその後一時間くらいで閉幕し、会場は食堂のメイドたちで片付けられた。  学生は二十二時を原則に消灯させられるため、朝の四時までは廊下の出入り禁止が徹底されている。それを犯した者には兵役を課せられるので、破るものなど誰もいなかった。  二十三時。  裏門の古びて錆びついた鉄門が軋むような音を立てて開かれた。  ただその後に人が通るような音は聴こえない。ただただ静寂な闇が広がっているだけ。  だけれども十四夜の月は数名の人影を映し出していた。手にはサイレンサー付きの銃を握り、催涙弾を腰に巻いて、猫のように音を立てず第三寄宿舎を目指して走っている。  すべてが計画通りの彼らは、いとも簡単に第三寄宿舎に潜入し、躊躇する事なく三階のある部屋の前で立ち止まった。  部屋には鍵は掛かっていない。監視官が部屋を覗けるように施錠を禁止していたからだ。  静かに開けられた扉にベッドが二つ見えた。男の寝息と酒の臭い匂いが部屋中に広がっている。  その臭さに咽た一人の人影は、その瞬間、サイレンサー銃で撃たれ抱えられた。  そうしてその人影たちが二つのベッドの布団を捲り、首謀者を発見したように合図を送る。その時、突然、人影たちの脳裏に首謀者らしき声が響いてきた。首謀者ツキヤマという男は酒臭い息を吐きながら鼾をかいて寝ているというのに、とても冷静な声で彼らに話し掛けている。 「お主たちは何を想ってここへ来た?」 「ははあん。君がもう一人のミスターツキヤマだね。ウケモチに声を出すとはまだまだ若造よの。死して詫びなさい」  声にならない空笑いをする一人のメガネ男は周りの人影に月山の処遇を任せて、先ほど撃った一人の兵士を肩に担いで姿を消した。周りの人影は、この神技とでも言うべき心の声に恐怖し、躊躇せず月山をサイレンサー銃で撃ち抜いていく。銃弾は何発当たったかも分からないほどで、月山は体中の血をベッドに注ぎ込むように、赤いベッドの中で永眠に就いた。
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