四十九院由衣の葛藤

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四十九院由衣の葛藤

 握り締めたナイフだけが、この小さな殺意で成り立つ世界を支えている。と、囁きかける蛍光灯の輝きは、蟠りの残ったガスの中で弾け飛ぶ電子の咆哮だった。不快感の残る鳴動に背中を向ける悪意は、その感傷よりも眩しさに眩暈を覚えていた。  「呆れたな」僅かに傾げた首で後方を覗き込んだ悪意は吐き捨てるように言った。「所詮は下らない消耗品に学んだ知識と同じだったんだ。お子様だったんだよ。そう云うレッテルを貼った奴が大人である訳がなかったんだッ」  「いえ、それは違います」善意は純粋の方へと手を伸ばしながら、悪意の言葉に反論する。「少なくとも動機は純粋だった―――その筈です」  「純粋に無垢と無知を重ねた結果の依存だ――・・・共存や共感、ましてや共有とはほど遠い」純粋は偏見に穢れた右手で善意の腕を払うと、失望で汚れた左手で自分の胸の真ん中を突付いた。「単なる掃き溜めとして扱われた。少なくともここはそう訴えている」  純粋の言葉を聞いた欲望が「どうだか?」と少し自嘲気味に表情を崩し、両手を広げて、肩を窄めた。  「少なくとも受容体としての仕組みは否定できない。だろ?んで、それを受け止めた。違うか?」  快楽と嫌悪を天秤にかけるように、掲げた両腕の位置を微調整する欲望は涙を―――いや、垂下体から溢れた涙に似た判断材料は全身を駆け巡り、理性と本能に訴状を伝える。  「・・・・・・敬虔な”私”はまず経験が不足していた。そもそもその範疇に納まった事象でもない。改めて、或いは漸くそれを知ったのは幸福とも云える」  「だが、不愉快だ。気持ち悪い。そう云う結果は否定できない」理性の正論に本能が食って掛かる。「それに問題は過程ではなく、ましてや結果でもない。この因果をどう始末するか、が議題の筈だ。”私”は何を望むのか?が重要なんだよ」  「議論など意味がない――・・・と?」  理性は少しだけ不愉快な表情を返したが、それでも平時の変化に比べれば見逃しかねない微々たるものだ。  「いや、動機は結局、深い所では単純化されると言っている」  「救いがないわ」  本質を突いた本能の発言に愛情が許しを請うような視線で訴えてきた。その腹に抱えた恨みは僅かばかりの憂いで膿んでいる。限りなく近い愛憎と云う言葉を当て嵌めようとするが、”私”にはそれなりの躊躇があるようだ。  「殺意は?」  愛情の媚びた視線を無視した恐怖が悪意の影からボソリと呟いた。「眠ってる」と応えた善意は少し満足そうな表情で、理性と本能、そして欲望に言った。  「これが答だろ?」  「いえ」殺意に最も近い場所に佇んでいた規制が珍しく口を挟んできた。「”私”が”私”としてある以上は付き纏う体質と性質が、これを縛り付けているんだと思う」  「柵の間違いじゃないのか?」  そう言い換えた理性に「確かに」と頷いた純粋は続ける。「でも、求めてた。やはり、機能としての受容体がネックだったのか?」  「それこそ”私”が”私”である為に付き纏うプロファイルだろ?」  悪意が少し皮肉るように言った。「しかし」と善意は反論する。  「それでは本末転倒だ。”私”が”私”自身を否定している」  部屋を一様に満たした溜め息に本能はウンザリとする。  「恐怖―――だったか?」  ふと思い出したように本能が話題を変えてくる。どうやら自己実現に関しての議論は望む所ではないらしい。理性も気持ちは同じなのか、首を斜に構えてその話題を引き継いだ。  「どうだ?」  視線を恐怖へと向けた理性。恐怖は、うん――と力強く頷くと立ち上がった。  「殺意だった。残ったのは、傷のような余韻と、恨み言ばかりだった」  その言葉に手法を統べる殺意の指先がピクリと反応する。だが、起きるまでにはほど遠い。いや、規制や規範が柵と共に纏わりつき、響きの良い道徳と云う言葉で縛り付けているようだ。無理矢理押さえ込んでいる。どうやら”私”は手法と動機を、結果と報復を結びつけるつもりはないらしい。  「助けての一言も言わずに何が得られる?」悪意が善意の方を睨み付ける。「環境は恵まれていなかった訳じゃない。だが、信頼を勝ち得なかった」  「勝ち得なかった?」理性が呆れた。「主体的だな。少なくとも、環境はそれを認めていない」  「表現に誤解があるな」規制が理性の発言を訂正する。「理解か見解、ないしは感情―――いや、単純だな。友情を信じられなかったのは”私”の所為だ。自業自得だな」  「だって」怯えるように膝を抱え、議論に口を挟むまいと決め込んでいた幼心が顔を上げる。「今まで友達なんていなかった。今更、それを信じられる訳がないんだよ」  少し言い聞かせるような、自分は間違っていなかった、と主張するように語気を強めた幼心がそう言い切った。極めて感情的な発言に欲望が頷き、その議論を引き継ぐ。  「そうだな。この点に於いては恵まれていなかったと云える。”私”の評価に大きく依存はしているものの、それこそ純粋な奴はいなかった筈だ」  「純粋だったかもしれない!」  純粋は可能性だけなら充分にあると反論したが、理性が「それは純粋ではない」とその発言を咎めた。  「殺意は?」  肩を竦めた理性は手を掲げ、純粋の憤りを抑える。理性の発言に促され殺意へと視線を向けたのは恐怖だ。恐怖は殺意の位置が少しだけ変わっているのに気付いた。  「起きそう―――とは言えないけど、完全に否定している訳じゃないみたい」  その言葉に倣い、理性と本能が殺意へと視線を向ける。本能は”私”の嫌悪を感じ取る。  「しかし、手法が問題だな」  「議論が戻ったな」  悪意が笑った。  「”私”はそれを望んでいるとは思えない」  愛情の腹は何時の間にか憎悪と後悔で膿んでいた。抱えるように両腕で支えた膨れ上がった腹部からは懺悔と救済と云った言葉が滲み出ている。妊娠線のように腹部から乳房へと走る傷はそれこそトラウマではないか、と純粋は視線を逸らし、初めて現実を直視する。  「救われないと思っているのは”私”だ。既に受け入れるような事は出来ない」  規制が受容体としての”私”の不始末を議題に上げた。  「まだ、可能性だ」  恐怖が肩を震わせながら訴える。  「いや、きっかけがあれば殺意は手法と直感に従うだろうな」  殺意の位置が本能と理性のほぼ中間にあたる場所へと移動している。それを確認した本能が理性へと尋ねる。  「良いだろ?もう―――蠢いている」  「胎動しているな」と続けた悪意の表現に愛情が「止めてッ!」と怒鳴り声を上げた。  「そんな言い方しないでッ!」  抱きしめるように絞り上げた腹部から滲み出た膿が愛情の足元に広がり、蛍光灯より降り注いぐ輝きに影を落とす。投影された愛憎が照り返し、愛情の表情を曇らせている。  「良いじゃないか」と零した欲望が立ち上がる。「そろそろ井戸を開けようぜ」  「答えはそこにある・・・・と?」  「少なくとも雛型となる答えはある」  「渇望するモノか」  頷いた本能も欲望に続いて立ち上がり、横たわる殺意へと近づいていく。  「何れにしろ、こじ開けないといけないと云う訳か」  腕を組んだ理性は肩を落とし、深い溜め息を零しながら本能と欲望から視線を逸らす。その視界の先で何事か?と表情を引き攣らせる幼心が「まさかッ」と声を上げた。  「止めろッ、そんなの、するんじゃないッ!!」  椅子から飛び上がった善意が欲望と本能に飛び掛ろうとする。悪意が欲望の前に割って入り、掴み掛かろうと伸ばされた善意の腕を捻り上げる。手首を支点に縛られた肘が軋み、善意が苦悶の表情で呻き声を漏らした。腕を絞り上げたまま善意の背後に回り込んだ悪意が耳元で「偽善に溺れてるんじゃねェっ」と善意の衝動を非難する。  「だから、善意は汚れてるッってんだよ。全く悪意から善意は生まれないのに、善意から悪意が生まれるって洒落にもなりゃしねぇ」  「”私”が躊躇っているんだぞッ?!それが答じゃないのか!」  善意が苦痛に歪んだ口元から反論を搾り出す。  「はぁ?」本能が呆れ、態とらしい大きな溜め息を零した。「全く―――どっちが穿き違えてんだか・・・・」  そう言って欲望の方へ視線を向ける。欲望は横たわる殺意と、その傍らの恐怖を見遣る。  「ほら、何時まで寝てるんだよ」  欲望が殺意の腹部を蹴り上げる。寝息にしては汚い潰れた声が殺意の口元から零れるのが聞こえた。だが、殺意に起きる様子はない。  「おらッ!起きろってんだよ!!」  理性が面倒事は嫌いだ、と云った表情で欲望を見返す。  「手法がないだろ?」  「・・・・・元型で充分だろ?」  ウンザリした様子で首を回した欲望は理性から愛情へと視線を向ける。引き攣ったような口角で笑い、虚ろな目で状況を達観する事しか出来ない愛情が「何よ?」と訝しげな視線を欲望に返した。  「井戸の鍵が必要なんだってよ」  本能が欲望に代わり説明すると、愛情は「止めて」と即答した。拒絶とも云える直感的な反応だったが、それは規制の担う領域だった。  「悪いな」そう呟いた規制は何時の間にか愛情の後ろに居た。振り返った愛情。だが、既に規制の腕は愛情の腹を貫き、その愛憎の詰まった腹部から手法を抉り出している。  「あ、ッが・・・・――――ふぁッ・・・・」  膿に似た恨み言で汚れた愛情の下腹部から手法は黒い鉄の塊だった。ハンマーとスライドと引き金で出来た元型だ。いや、まだ表層に近い部分の手法だろうか。それをマジマジと確認した規制は黒い鉄の塊を持った腕を愛情から引き抜く。煮詰まった思いが蟠りとなり膨らませてた愛情の腹部が爛れ始める。グツグツと云う音が消えそうなほど、粘着質で空気を含んだ体液が床に広がる。  「さて、次はこっちだ」  間接をひとつずつずらしていくような慎重でギコチナイ動作を起こす愛情を横目に規制は幼心に向き直る。喪失と享受、苦痛と快楽を思い出しているらしい愛情は足蹴にして退かした規制は、その手に握る黒い鉄の塊の口を幼心の頭部に向ける。両腕を頭を抱え、それこそ全てに耳を塞ぎ、目を瞑り、口を紡いだ幼心がこの局面で出来る事などなかった。それを幼心も理解しているのか、一撃で仕留めてくれ、と云った視線をくれただけでそのまま膝に顔を埋めてしまう。  「勿論だ」と頷いた規制は黒い鉄の塊のスライド部分を引き、その薬室に弾丸を装填する。弾層と云う深層意識からリアリティの欠いた衝動が移送されるのを鈍い音の響きから確認した規制は引き金には指を掛けず、スライド脇に宛がい、恐怖にその照準を合わせる。  「吹き飛ばせ。恐怖は本来は本能に近い部分ある筈なんだ。規制――お前だってそうだろ?」  恐怖へ照準を合わせた規制が振り返る。  「確かに・・・」と小さく吹き出した規制は引き金に指を掛ける。「さぁ、”私”に問い掛けよう―――井戸の蓋を開けてね」  恐怖が小さく頷いたのを確認した規制は黒い鉄の塊の引き金を引いた。ハンマーで叩かれ、薬莢の尻に押し込まれていた雷管が爆発し、発射薬を燃焼させる。衝撃によって変化を起こし、急速に膨張した熱に追い出された弾丸がスライドを滑って行く。ほとんど接触した状態で突きつけられていた銃口から放たれた弾丸は硝煙を噴き上げ、リコイルスプリングの反動で薬莢を排出し、恐怖の側頭部に接触した。スライドで回転させられた弾丸は限りなく初速度と同じ速さで恐怖のこめかみの皮膚を引き千切り、頭蓋を砕き、記憶領域を拉げさせ、エピソードの詰まった海馬へと問題を突きつける。破裂する恐怖の側頭部。血飛沫を上げ、脳漿を散らし、叩かれたように頭部を吹き飛ばした恐怖が床の上に倒れ込む。  「さぁ―――”私”の答えを聞かせておくれ」  理性が顎を上げ、頭上で煌々と輝く蛍光灯へ視線を向ける。僅かに罅割れた蛍光灯は恐怖の瓦解を示している。  「じゃぁ、次だ」規制は幼心へ視線を向けると同時に黒い鉄の塊の銃口を向ける。「これは儀礼だな」と笑った規制は誰よりも早くここから自立した。  「本望だね、きっと」  呟くようにそう遺言を残した幼心の頭部は黒い鉄の塊から吐き出された決別の意思と共に砕け散った。 ◇  体裁を繕う為だけに贈られ、ステイタスを誇示する為だけに豪華な生け花を退かすようにお願いした四十九院由衣(ツルイシン ユイ)に「良いの?高そうなのに・・・」と疑問を口走りながら渋々そのお願いを聞き入れた真来嗣月(マコロ シヅキ)は少し腐臭を漂わせる水を湛える花瓶を抱え病室の外へと出て行った。  「・・・・・・・気まずいな」  嗣月に付き合って由衣の入院している病院へと足を運んだ式乃小鳥(シキノ コトリ)はまだこの学校――由衣や嗣月の通う中学校に来てから日が浅い。嗣月とは諸事情で付き合いがあるものの、他のクラスメイトとはあまり親しくはない。同じように諸事情で付き合いのある火威凛児(ヒオドシ リンコ)を仲介にしないとマトモに会話すら出来ないのが現状だ。  「え――・・・何?」  「ううん、何でもない」愛想笑いを浮かべた小鳥は両手を広げて慌てた様子で弁解する。「っと、何でも、ない」  それでなくとも四十九院由衣はその氏名が示すようにかなりの名歌で、あらゆる面で齟齬が生じてしまう。会話のひとつとっても上品で慎ましやか。小鳥にとっては別世界の人間のように見えていた。凛児をはじめ彼女達の友人は良く―――いや、表面上は仲が良いのかもしれないが、心の中では何を思っているのかは知れないが、上手く付き合っていられるものだ、と小鳥は感心する。  しかし、そんな彼女にスキャンダル。噂や陰口にはあまり耳を傾けないようにしている小鳥にも届いた彼女が入院した理由は複雑だ。語る言葉がない、とも云える。それは確証がないただの醜聞に過ぎないと云う側面もあるが、大部分が由衣―――と云うより四十九院に対する嫉妬で語られているからだ。この期に乗じてと云う同級の汚く計算高い部分が露呈している。否応なしに周囲の不快感に辟易し、平時以上に由衣を避けようと思っていた矢先の訪問だ。小鳥にとっては気まずい以外の何ものでもない。  「あ―――っと、凛児さんは来ているのよね」  ほんの数瞬にも満たない沈黙が何分にも感じた。冷房の効いた部屋のブゥウンと云う低い唸り声を聞きながら、この微動だにしない張り詰めたような空気に居た堪れなさを覚えた小鳥は思い切って口火を切る。黙っているよりは幾分かマシだ、と判断した小鳥。彼女の方から最初に口を開くとは思っていなかった由衣は少し意外そうな表情を返すと「あ――うん。良く来てくれる」と慌てた様子で頷いた。  「ほら、彼女は委員長だし・・・・と―――っと、クラスメイトだし・・・席も隣だし、学校のプリントとか、ノートとか・・・見せて貰ってます」  友達と云う言葉を飲み込んだ?小鳥は不自然に口篭った由衣を見返した。何で友達って言わなかったんだろうか?いや、邪推は止めよう。それこそ醜聞をネタに一時の悦を覚えている下衆な輩と同じだ。自分は違う。と、小鳥は改めるように、ふと思い出した噂を断ち切るように深くゆっくりと瞬きをする。  「真面目ね」社交辞令のような返答しか浮かばなかった小鳥は苦笑を浮かべる。バカだな、私は―――そんな非難を自分に浴びせながら小鳥は続けた。「あのさ、四十九院さんは」  「由衣で良いですよ」由衣は斜に構えた身体を小鳥に向ける。「私は、私、なんです」  一言一言区切る様子はまるで言い聞かせるようなそんな意気込みか気負いが感じられる。  「あ――――っと、じゃぁ、由衣さん」と言い直したのは良いものの、話題がなかった。小鳥は「えぇ~っと」と唸りながら周囲を観察する。何か話しの種になるようなものはないのだろうか。  「あっと、本当に良かったの?」  「何が、です?」  小鳥はこの病室を満たす幾つもの生け花を見つけた。先ほど嗣月が持って行った物をはじめ部屋の中に飾られている花の幾つかは頭を垂れている。涸れている、或いは腐っていると云う雰囲気はないが、明らかな手入れ不足が見受けられる。元々は豪華で高そうだった事は、その大きさやそれを包んでいた和紙の様子から容易に窺えた。その手の知識がない小鳥にもウン万単位のそれだと想像できる代物だのだろう、元々は。  「あの花―――・・・まぁ、何か枯れてたっぽいけど捨ててよかったの?」  その質問を受けた由衣は直ぐに返答はせず、ベッドの周囲に飾られている生け花へと視線を向けた。  「あんなの」吐き捨てるようにそう小さく吹き出した由衣は口角を引き攣らせて笑っていた。「あれは四十九院と云う家柄に贈られた物で、私を心配して下さった心から贈られた物ではありません」  「あ、でも・・・・」言葉に詰まった小鳥は視線を泳がせる。「――――良いって言うなら・・・・良いのか、な?」  椅子に座っていた小鳥は手持ち無沙汰な事が態度に表れないように固く閉じた股の間に手を挟んでいた。早く嗣月が戻って来ないのかな?とソワソワした様子で病室の出入り口の方へと視線を向ける小鳥はまるでトイレを我慢しているように見える。由衣は何を我慢しているのだろうか、と訝しげに小鳥を見返しながら今度は自分から話題を振ってみる。もう少し歩み寄ろうとか、そう云う動機ではなかった。ただ、この沈黙がやはり嫌だったからだ。  「あの花」  「え?」  小鳥は振り返った。  「あの花は誰が購入されたのですか?」  「あぁ―――あの花?」  腐った水の詰まった花瓶と共に嗣月が持ち出したお見舞いの花束は嗣月のクラス―――つまり、凛児をはじめとする由衣を慕う少人数の人間が奇跡的に集まっているクラスでカンパし合ったお金で購入したもので、近所の花屋で繕ってもらった代物だ。  「誰が言い出したのですか?やっぱり凛児さん?それとも嗣月さん?」  凛児は委員長。嗣月は凛児の友人で、クラスをはじめ同学年の生徒からも人望が厚く、2人とも時期生徒会メンバーの呼び声も高い。確かに予想を当てるには適当な人物だろう。だが、残念ながら違う、と小鳥は首を横に振った。  「実行したのは嗣月くんだけど、言いだしっぺは矢田くんって男子らしいよ」  「矢田?」と繰り返した由衣はクラスメイトの顔と名前を、朝のホームルームの際に確認される出席の順に思い出す。五十音順で並んだ中で”矢田”は最後の方だ。矢田―――矢田。あまり印象がない。嗣月と仲の良い人物だろうか。彼と良くグループを作っている男子の顔を今度は思い出す。  「あ、矢田って・・・矢田順平さん?」  「え―――っと多分そんな名前」  小鳥はまだクラスメイトの顔と名前を全て覚えていない。嗣月が「こいつが言いだしっぺだ」と言って紹介したのを何となく覚えているくらいだ。印象が薄い。とは言っても由衣の方が親しくなくとも付き合いは長い筈だ。にも関わらず直ぐに思い出して貰えないとは・・・このアイディアを出した彼も報われないなぁ、と小鳥は顔もろくに思い出せない矢田順平を哀れんだ。  「・・・・何で、ですか?」  「何でって・・・・」肩を窄めた小鳥は両手を広げる。「さぁ、嗣月くんは頼まれて実行したっぽいからね。確かに凛児さんも含めお友達は心配してたみたいだけど・・・・」  由衣には親しい友人と呼べるような人物は少ない。当たり障りのない付き合いや関係を持つ人物が殆どだ。先に言ったように彼女は嫌われている。そんな彼女を庇うように女子特有の馴れ合いに似た集団でありながらも妙な連帯感を持つ由衣のグループは凛児を中心に形成されている感があった。いや、彼女を慕って集まりが出来ていると云う方が適当だろうか。  そのメンバーは青葉早苗(アオバ サナエ)、八千草美和(ヤチグサ ミワ)の中学生から加わった2人に、小学生からの付き合いのある二千六百年霙英(フジムネ キラ)、五竜神田千佳祢(ゴリュウカンダ チカネ)の2人を含む、計6人だ。後者の2人はその氏名が表すようにかなりの名家であり、四十九院とはライバルに当たると世間では言われている。抱えるセクターや派閥に繋がりがあり、また企業した分野に重複があるのでそのように認識されているようだが、子供達は素知らぬ顔で付き合っているらしい。少なくとも小鳥の見た限りでは、凛児達の前ではそのような家柄の問題は表面化していないようだ。  「・・・・・・・・・・・・・全然、親しくありませんよ?」  眉間に小さな皺を刻んだ由衣は嬉しい反面、矢田の厚意には何か疚しい動機があるのではないか、と疑っているようだ。  「クラスメイトででしょ?私はこっち来てから間もないけど――――・・・誰が言い出したって別に良いじゃない。みんな、心配してるんだと思うよ」  人の厚意を素直に受けらないのは自身に疚しい事がある証拠ではないか。と、ふとしたきっかけで彼女を取り巻く醜聞のひとつを思い出した小鳥は口に出掛かった皮肉をグッと飲み込む。  「そう――・・・でしょうか」  納得のいかな様子の由衣に言った。  「嗣月くんならそこら辺の事情を知ってるんじゃない・・・ってか、アレだ」小鳥は閃いた。いや、慣れない人との会話で多少焦っていたのかも知れない。普通に考えれば可能性はひとつぐらいしかないではないか。と小鳥はその在り来たりな美談を口にする。  「好きなんじゃないの?多分、その矢田って男子は」  「は?え?」  由衣にしては下品な返答だった。小鳥は少しだけ親近感を抱く。  「まぁ、短絡的って云うか素直って云うか―――そんな所じゃないの?」  「矢田さんが?」由衣は少しだけ上ずった声で確認する。「矢田さんが、私、を?」  「他に誰が居るのよ?」小鳥は呆れる。「あ、嗣月くんちょうど良い所に」  タイミングが良かったのか、嗣月が病室に戻って来た。花瓶の活けられていた草臥れた花々は、嗣月達の持ってきた花束で換わっている。花瓶の表面も掃除したのか、気持ち綺麗に見える。  「何?どうしたの?」  花瓶を抱えた嗣月は由衣の横たわるベッドへと向かう。周囲に飾られていた花瓶を拝借したので、傍の棚には不自然なスペースが出来ている。そこに花瓶を戻した嗣月は顎を引き、気持ち視線を遠ざけると、全体のバランスを確認する。近所の花屋で見繕ってもらっただけの見舞いの花束は貧相な姿を曝しているように見える。  「やっぱり見映えが悪いな」と嗣月は吊り上げた口角をそのままに苦笑を浮かべる。  「でも、ま、こんなもんじゃないの」小鳥はどうしようもないのだから諦めろと口にする。「金持ちから贈られ来たんだんでしょ、他のって。そりゃぁ見劣りするでしょ」  そう言った小鳥は胸を軽く叩き、嗣月にアピールする。  「気持ちの問題か・・・・・」苦笑を浮かべた嗣月は由衣に向き直る。「それで?どうかしたの?」  由衣は言った。  「・・・・何で、矢田さんがカンパを申し出たんですか?」  「誤解があるな。」嗣月は腰に手を宛がい、体重を気持ち右足に移し、身体を斜めに構える。「カンパを申し出たのは俺。矢田は誰よりも早くお見舞いの品を贈ろう!って言っただけ。凛児がそれに同調し、クラスを恫喝したんだよ」  「恫喝って」と零した小鳥は、それこそ誤解が生まれる表現だ、とツッコミを入れそうになる。  「でも、どうしてですか?」  由衣はやはり矢田を訝しく思っているようだ。  「・・・・・・・・・しょーもない話しだと思うよ」  含みを持たせた嗣月の言葉に「理由があるんですか?それとも何か疚しい事でも?」と由衣は単刀直入に質問をぶつける。やはり親しい仲なのだな、と先ほどまでと打って変わって強気の由衣にそんな印象を覚える小鳥。  由衣の質問に首を横に振った嗣月は「別に良いじゃないの?人の厚意は素直に受けるのがマナーってモンでしょ?」と彼女の態度を咎める。しかし、その口調から察するに嗣月は事情をそれなりに把握しているらしい事が窺える。  「・・・・・私は納得が出来ません」  由衣は強い口調で追求する。  「知らないよ―――ってか、知ってどうするの?」  嗣月は飄々と言い放った。  「し、知りま―――」由衣は言葉に詰まる。「あ・・・・いえ、わかりません」  顔を伏せた由衣は膝を抱える。衣擦れの音が良く聞こえた。こんなにも静かだっただろうか。  「好きって話しだよ・・・・・矢田は。お前の事が」首を傾げた嗣月は大きな溜め息を零した。「―――んで、何で・・・・・・・泣いてるの?」  小鳥はその言葉に目を丸くする。嗣月の呆れた表情を一瞥すると、慌てて由衣の方へと視線を向ける。ベッドの上で膝を抱えていた由衣の肩は小さく震えている。  「は、え―――何時から泣いてたの?」  嗣月が言うまで由衣が泣いている事に気付かなかった小鳥は、自分が彼女の顔をまともに見ないまま会話をしていた事に気付かされた。だが、粛々と慎ましやかに声を押し殺す彼女が何を思って泣いているのか―――小鳥には分からなかったものの、何故かひどく胸が締め付けられる想いをした。 Cast  四十九院由衣の心の一部  四十九院由衣と云う”私”  四十九院由衣 (お嬢様でありながら諸事情あり)  真来嗣月    (由衣のクラスメイト・男)  式乃小鳥    (由衣のクラスメイト・女)
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