地球の終わりに望むもの

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 その隕石が地球に接近したのに専門家が気付いたのは、つい二日前のことだったらしい。  何かの惑星の影に隠れていたとか、人工衛星が感知しなかったとかニュースで言っていたけれど、専門用語まみれの小難しい内容で、正直よくわからなかった。  ただ一つだけ、隕石はこの星に衝突して、地球は確実に終わることだけは理解した。  隕石の軌道を変えることはできず、その大きさと速度を考えた場合、地球は粉々に砕け散るとかなんとか。  どこにも逃げ場はない。  全人類に等しく死が迫っているのだ。  しかも第一報が伝わったのは十二時間前なのだから、本当に笑える話だと思う。  人間は切羽詰まると本能を優先に行動する生き物らしい。  あまりの恐怖に泣き喚き、神に祈る者。  パニックに陥って暴力行動に出る者。  何もかも諦めて、最期の時を静かに待つ者。  好きな人の元へ駆けつけようとする者。  そして、私は……。 **********  花束を抱えて、あの人が待つ寝室へと戻る。  十二時間前までしっかり手入れをされていたであろう花は、あの日のウェディングブーケを彷彿とさせるほどに美しい。  ニュースを見て終わりを知った私は、最期の時は夫と二人で過ごそうと思った。そしてできれば、私たちの愛が一番深かったころ……二人が永遠の愛を誓った、あの結婚式を再現して死ねたら最高だと思った。  ドレスもタキシードもレンタルだっだから、今すぐ用意することはできない。  だけど花ならなんとかなる。だから花屋へ急いだ。  残念ながら店員さんがいなかったので、赤い薔薇を中心にいくつか選んで適当にお金を置いて来た。  それからレースのカーテンや白いシーツを全て集めて、寝室に運ぶ。 「お待たせ」  ベッドに横たわる夫に、そう声をかける。  返事はないけれど、構わずにカーテンやシーツでベッドを飾り付けていく。  次は着替え。  生憎と白い服は持っていないので、せめてもと思い生成りのシャツと薄いブルーのスカートを履いた。  そして夫には白いシーツを身に纏わせる。  胸元の赤が、結婚式で胸に挿していた赤薔薇を思い出させてくれて、思わず感嘆の息を吐く。  準備万端整えて、私も夫の隣に腰を下ろした。  窓の外には不穏な雲。雷が鳴り響き、強風が吹き荒れて窓をガタガタと揺らす。  それに混じって聞こえる、様々な声。  怒号や悲鳴が嫌でも耳に入ってきて、せっかくのいい雰囲気が台無しだ。 「音、煩いね」  スマホのミュージックフォルダから、お気に入りの曲を選ぶ。  披露宴で夫が私に捧げると言って歌ってくれた、思い出の曲だ。 「ほんと……素敵な曲」  そう言って、夫の手を握る。  氷のように冷たい指先。指を絡めようとしたけど、上手く開かない。  こればっかりは諦めるしかないようだ。 「死後硬直、って言うんだっけ?」  物知りの夫なら、きっと私の問いに答えてくれただろうけどれど、彼はもう答えることができない。  すでにもう、物言わぬ骸となり果てたからだ。  地球の最後を知った夫は、すぐさま浮気相手の元に駆け付けようとした。  最期の時を、あの女と過ごしたかったんだろう。  夫は浮気を隠していたけれど、私は全て知っていた。  あの女が、全部教えてくれたから。  夫が送ったというメールも、SNSのメッセージも、二人が写った画像も、抱き合っている最中の動画も全部、全部、全部全部全部全部。 『彼、あなたのことはもうなんとも想っていないんですって。惨めなものよね。早く別れてあげたら?』  勝ち誇った顔の女に、私は何も言い返せなかった。否、言い返したくもなかった。  夫の愛を失ったなんて、信じたくなかっただけなのかもしれない。  証拠は突きつけられたけれど、夫は私に何も言わないから。  毎日ちゃんと家に帰ってきて私の手料理を食べるし、土日も一緒に過ごす。  あの女とはきっと遊び。飽きたらまた、ちゃんと私だけを見てくれる。  そうだ、もっともっといい奥さんになったら、早くあの女を捨てるかもしれない。  だから私は彼が居心地のよい家を作ろうと、必死になって努力した。  それなのに。  夫が最後に選んだのは、あの女だったのだ。  車のキーを手に取り、無言で家を出ようとした夫を引き留めたけれど、彼の意思は固かった。  縋り付き、揉み合いになり、初めて言い合いとなって。  気付いたら、夫が床に伏していた。  何が起こったのか、正直全く覚えていない。  私の手には真っ赤に染まった包丁。  滴がポタリと流れ落ち、床に広がる赤に混じるのを、どこか絵空事のように眺めていた。  そして唐突に理解した。  一瞬の空白の間に、何が起こったのかを。  夫の名を呼んだけれど返事はない。  彼は地球より一足先に、天国へと旅立ったのだ。  けれど不思議と悲しくはなかった。  湧き上がる高揚感と、胸に溢れる多幸感。  あぁ、これで彼はあの女の元に行くことができない。  最期の時を共に過ごせるのは私しかいない。  なんと幸福なことだろう。  地球の終わりが齎してくれた僥倖。  愛する夫と共に終われる幸せを私は噛み締めた。 **********  ニュースで言っていた予定時刻まであと僅か。  外の喧騒はますます酷くなっていく。  けれど家の中はこんなにも幸せに満ちている。  スマホから依然流れる思い出の曲。  血の臭いを消すほどの、花の芳香が二人を包み込む。  隣に横たわる、愛おしい人。 「ねぇあなた。私、今とっても幸せよ」  夫の胸に凭れながら、ソッと呟いて、私は静かに目を閉じた。
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