粗末な逝き方

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粗末な逝き方

 少年の手を汚すに足るほどの、充分な量の血が溢れる事はなかったが、確実にその小さな掌に押し潰された命が在ったのを疑う事は出来ない。拉げた小さな肉塊とその破片がそれを如実に、だが、切なくも語っているからだ。  「あぁ・・・・そうか。これが、粗末って事か。」そう呟いた少年は傍のテーブルに置いてあったティッシュの箱から一枚の紙を抜き取り、その汚れた掌を拭いた。 *  二週間に一度とは言え、道徳と云う授業はあまりにも面白みに欠けていた所為か、生徒達の気持ちを億劫にさせている。扱われている内容が、少年漫画よりも幼稚でいて、少女漫画よりも滑稽で、ドラマよりも古典的である以上、生徒達の気持ちを授業内容に留めておくのが難しいのは当然とも言えた。  古典文学と云うのだろうか?昭和、明治に描かれた小説を簡略化した内容はその本質を欠くだけでなく、それ故の拙さと軽薄さでもって文章を綴っている。魅力に欠ける。まだ、絵本や童話の方が面白いのではないだろうか?幼心にもそう苦笑を浮べるひとりの生徒――神久椛(シンク モミジ)は肘で支えられている掌に顎を乗せ、ぼんやりと窓の外を見遣っていた。  「今日は面白い話を見つけたので、それを紹介します。」そう言いながら道徳の教本を仕舞うように促した教諭。面白い話って?何時もよりは興味深げに黄色い声を上げる生徒達はほんの少しだけ騒がしくしながら教本を机の中に放り込んでいく。神久もそれに倣い、机の横に掛けてある鞄に教本を突っ込み、事態の変化に注視する。  「正直、道徳の本の話って古臭くって、何かつまんないでしょ?」教室に入ってきた時に教卓の上に置いた、やけに大きい二つの荷物を開封する教諭に生徒が食って掛かる。  「先生がそれ言ったらダメじゃん!!」  「ってか、先生、何をしてんの?」  「面白いってマジで?」  そう興味の赴くままに口を滑らせる生徒達。彼らの反応を良好と見ているのか、どこか嬉しそうな表情の教諭はノートパソコンとプロジェクターを教卓の上に広げる。  「う~ん、少し、難しいかな。何時も使ってる道徳の本に比べれば。」  難しい?幼稚で軽薄な道徳の教本と比べれば、どんな作品も難しいだろう。そう反論した神久は小さく笑った。  「神久も期待してんの?珍しいね。」神久の隣の席に座る瀬能千佳祢(セノウ チカネ)が小声でそう尋ねながら、ペン先で小突いてきた。生真面目で、委員長然とする彼女は何かにつけては神久の事を気に掛けている。その大半は不真面目な授業態度と、消極的な学校行事への心構えについてだが、神久の方が成績優秀であるのは皮肉な所だ。だからこそ瀬能は委員長と云う公然の地位から神久と接する事が多い。表には出さないが、嫉妬心があるのだろう。  「う~ん、別に。」素っ気無く一蹴した神久は眉尻を上げて肩を竦める。クラス中はまだ騒いでいる。教諭が準備を進めている機械――見た事もない機構のそれに興味が移っているようだが、まだその大半は教諭が口走った面白い話について談笑しているようだ。互いに推測をし合う生徒の声が神久の耳にも聞こえたが、どれもが漫画やアニメで見聞きした事のある内容ばかりだ。「想像力のない奴らめ。」  「え、何?」神久の一挙手一投足に反応する瀬能。  「何でもないよ。ってか、委員長は興味ないの?」首を傾け、瀬能の意見を求めた神久は口元に笑みを浮かべる。  「え、私?」珍しく質問された瀬能はほんの少しだけ戸惑う。思わず空を見上げ、顎先に指を当てて物思いに浸ろうとする瀬能は言った。「っちょ、何で、私が言わなきゃいけないの?」応える義務があるのだろうか?と考え直した瀬能は神久を睨みつけた。  「あ、電気が消えた。」ふっと照明が落とされ暗くなった教室だが、締め切られていないカーテンから漏れる明かりでまだ充分に見通しは効く。  「ちょっとぉ~無視すんなよ。」神久の座る机の脚を蹴った瀬能は唇を尖らせながら愚痴る。「アンタが聞いて来たんでしょ?」  「最初に聞いてきたのは、委員長だろ?」目を細めて見返す神久に図星を突かれた瀬能は、そうだっけ?と惚けて見せるが、口元に薄らと浮かべている笑みはぎこちない。  「じゃぁ、そっちのカーテンも締めてくれるかな?」そう促す教諭の背後のスクリーンにはパソコンのデスクトップが映し出されている。教諭の趣味なのか、それとも最初からあるサンプルなのか、孤島の夕日が背景に設定されている。その上にはいくつかのアプリケーションのショートカットとフォルダが見える。マウスのポインタを動かし、画面の中央左側に並んでいるフォルダの群からひとつを選び取った。中にあったのはswfと云う拡張子を持つファイルだ。  「これはね、インターネットで見つけたフラッシュの絵本なんだ。」どこか誇らしげに説明した教諭はカーテンを締めた生徒が席に着くのを待ってから言った。「題名は、得な生き方だ。」swfのファイルのダブルクリックした。画面上に開いたウインドウはフルスクリーンにすると、そのまま教諭は教卓横の椅子に腰掛けた。 * 得な生き方 上流で豪雨があったらしいのか、僕の町を横切る川は溢れていた 氾濫するにはまだ浅かったけど、それでもかなりの高さまで水面が上昇している 激流と表現するに足るような流れを見せる堀に囲まれている川を見に 僕はほんの少しだけ軽やかな足取りでそこへ向かった 途中、同じ目的で外に出てきた友人と出遭った僕達は共に川を目指した 豪雨と共に吹き荒れた風で洗われた空は青く、空気は清涼としている 叫ぶように水しぶきを立てて下流へと続く川は泥水のように濁りながらもどこか雄々しい 「見ろよ!」 そう叫んだ僕は上流から流れてきたモノを見るように友人に促した 波間に覗く小さな茶色いそれは小さな犬だ 「溺れてるのか?!」 友人は川の策に手を付いて近づいてくる子犬を見遣った 「死ぬな」 僕は呆れたように、だが哀れむ事も無くそう呟いた 「助けないと!!」 そう悲痛に訴えた友人の姿は既にそこにはなく ただあったのは視界の端に映った大きな水しぶきだけだ 濁流に飛び込んだんだ、そう僕が気が付いた頃には 子犬も友人もその雄々しい泥水に体の全てを飲まれていた 暗転 慎ましやかに、厳かに、切々と行われた友人のお葬式に僕は行かなかった まるで誰かの悲しみを代弁するように降りしきる雨のなか粛々と整列する参列者達 僕は少し離れた自宅からそれら群がる人々を横目に考えていた 「あぁ、何て粗末な生き方をしたんだろう、アイツは」 僕は思った どっちが正しかったのだろうか?と 自分を顧みる事無く小さな命を助けた友人 見殺しにしたが、無傷のまま生き残った僕 「あ、蚊」 何時の間にか手に止まり、僕の血を吸い上げていた蚊は大きく腹を膨らませていた ほんの少しだけ痒みの覚える箇所で未だ食事を続ける蚊を観察した僕は 何の躊躇もなくその蚊を叩き潰した 逃げる事も、満腹になる事も叶わず 儚く、そして愚かしいまでに矮小な命は消えた 「あぁ、損な生き方だな」 僕はそう呟きながら、泣いた 暗転 *  「ちょっと難しかったかな?」フラッシュを映し出していたウインドウを閉じた教諭は生徒に代わり教室のカーテンを開けた。隙間から差し込む西日に目を細めた生徒達は、どこか疲れたような表情で溜め息を零す。「まぁ、素人の書いた作品だけど、先生は哲学的だなぁ~って思ったんだけど、みんなはどうかな?何を感じたかな?」教卓に戻ってきた教諭は傍の椅子に腰掛けるや否やそう質問をぶつける。  生徒達はわからない、と云った表情でざわつき出す。先程の溜め息からも窺えたが、誰一人として内容を把握していない。それどこから真面目に観賞していたかどうかも疑わしい。誰もが一様につまらなかった、と言いたげにしている。  「なぁなぁ神久はどうだった?」神久の後ろの席に座る高橋直希(タカハシ ナオキ)が神久の背中を突付きながら意見を求めて来た。慕われている訳ではなかったが、大人びていると周囲から見られている神久は難解な問題に遭遇する度に友人・知人に頼られる事が多い。大概は適当にあしらう神久であったが、瀬能が傍にいる時は――彼女の小言を避ける為にそれ相応に応じるように努めている。それほど彼女はしつこいのだ。  「どうだろうなぁ―――。」曖昧な返事で間を繋ぎ熟考する神久を横目に隣の瀬能はクラスを代表して、或いは誰よりも先んじて手を上げると、自分は犬を助けるのが正しいと思います、と感想を述べた。  「そりゃぁ、死んじゃったのは良くないけど、子犬を助けないのもどうかと私は思います。」フンと鼻を鳴らしどこか見下すような感で神久を一瞥する瀬能に教諭は、そうだね、と頷いた。  「そうだね。この場合は子犬だったけど、もし、自分の大切な人とか―――例えば家族とか親友だったらどうかな?」教諭はそう言って他の生徒達にも意見を求める。満足したような表情で席に座り直す瀬能を神久は一笑した。  「ねぇ胸張ってんじゃねぇよ。」  「胸は関係ないだろぉ!」両掌を胸元に押し当てた瀬能は反論した。「それよか、神久はどうなのよ?」  「どうって聞かれてもねぇ~・・・・。」相変わらず返答を濁らす神久をよそにクラスは瀬能の発言を皮切りにそれぞれが感想を発表し始めている。二者択一と云うには誤謬があるかもしれないが、子犬を助けて亡くなってしまった少年と、見殺しにする事で生き残った少年、そのどちらが正しいかを尋ねているのだ。その詳細や動機、理由如何に関わらず自ずと意見は二分するのは当然だろう。現にクラスはほぼ半々の意見に分かれた。しかし、神久のようにどっちつかずの意見の者も少なからずいた。  「まぁ、どちらが正しいって訳でもないんだけどね。」収拾がつかなくなったと云うよりも、纏める意味のない議論をそう言って切り上げた教諭。時間は既に終業のチャイムがなる寸前だ。  「結局、神久は意見なしかよ。」高橋がそう零した。彼の意見に同調し、調子付いた瀬能も神久を責める。  「いっつも大人ですぅ的な態度とっておいてめっずらし~。」嘲笑が窺える瀬能の口元は歪んでいる。  「誰もそんな事言ってないけど・・・・まぁ、意見はあるけど、上手く表現できない感じなのよ。」神久は自分の語彙を呪った。発表したい意見はあるのだが、どうもそれを適当に表す言葉が見つからない。口下手、経験不足、ボキャブラリーの不足とは違う感じだ。そう自覚しているものの、それを口にすると言い訳のように聞こえそうなので、敢えて詳細な理由を言わなかった神久は続ける。「どうせ、また感想文を書いて来いって云う宿題だろ?そん時までには何とかするよ。」  神久の予想通り―――恒例となっている授業で扱った内容の感想文を書くよう宿題を出した教諭は、そのまま授業を終えると帰りのホームルームを始めた。特に連絡するような事項もなく、ただ宿題を忘れるなよ、とだけ念を押した教諭はホームルームを終了させる。  「じゃぁ、さっさと寄り道して帰ろうぜ。」早々に荷物を片付けた珠洲乃真火(スズノ マホ)が鞄を肩に担ぎ、軽快な調子で高橋や神久を誘う。  「ちょっとぉさっさと寄り道て何よぉ?」机を軽く叩くようにして珠洲乃の発言を咎める瀬能は腰に手を当てて、どこか仁王立ちを髣髴させる態度で立ち上がった。「真っ直ぐ帰るぅ~っが、常識でしょ?」  「真っ直ぐって、そんな道はねぇ。」手を振って瀬能の注意を一蹴する高橋を横目に神久は鞄に荷物を仕舞い、帰りの準備を漸く始める。  「屁理屈言ってんじゃないわよっ!!」  「はぁ~・・・・・っま、委員長は放って置いて行こうぜ。」大きく歪ませた口で舌打ちを零し瀬能を挑発する珠洲乃は、我関せずとひとりマイペースに、ノロノロと荷物を鞄に押し込んでいる神久を軽く蹴って急かした。  「はいはい。」よっこらせ、と聞こえそうな緩慢な動作で鞄を担いだ神久は高橋と珠洲乃に続いて教室を後にする。  「待ちなさいよぉ!!」何だかだと言って瀬能は神久達と結果的につるむ事が多い。鞄を慌てて担いだ瀬能も教室の出口へと向かう。  「うっぜぇよ、ばぁか!」高橋がそう言って瀬能を笑った。  少し躓きながらも急ぐ瀬能に、気を付けろよ、と神久は申し訳程度に注意を促す。「気ぃ付けろよ。っつか、どうせ俺らと帰り道一緒だろぉが?」  「うっさいわね、バカっ!!」神久達の背中を叩いた瀬能は言った。「寄り道なんてさせないんだからね!?」  教室を後にし、玄関へと向かった4人は瀬能の小言を適当に受け流しつつ帰路に立った。通学路を通りなさいよ!とせっつく瀬能を無視し、市道の反対側にある駄菓子屋に寄ろうとする神久達は、律儀に横断歩道の前で止まり、車の流れが切れるのを待った。  「おい、ちょっと見てみろよ。」神久の肩を叩いた高橋が嬉々とした表情で何かを指差している。何だよ?と訝しげにその方向を見遣った瀬能と珠洲乃、彼女らに続き、同じ方向へ視線を向ける神久は、道路の脇に転がっている赤黒い物体に気付いた。  「猫の死体だぜ。」辟易すると云った調子でそう零した珠洲乃に対し、瀬能は、気持ち悪い、と小さな嗚咽を漏らした。  「気持ち悪っ。」  道路を走る車も腹を割り内臓を曝け出している猫を踏みつけるのが嫌なのか、わざわざ速度を落とし、避けるようにハンドルを切っている。遠目にもその猫が即死である事、その見た目が無残である事が窺える。きっとその内カラスか何かが突付き始め、一方で蝿が集り、蛆が孵化し、結果、それを見かねた近隣住民がゴミとして片付けるのだろう。  「何か、食欲が萎えたな。」  「胸焼けするぅ。」  「だから、寄り道なんてしなければあんな物見なくて済んだのに・・・・・自業自得って奴でしょ。」  「何だよ、委員長だって着いて来てんじゃんよ。」  「私はあんたらを注意していた所為で、よ!」  モノは言い方だ。と視線だけで瀬能を一瞥した神久は思った。「あぁ、そうか。アレは、奇特な逝き方なんだ。」  神久のひとり納得するその様子に気付いた三人は苛立ちと憤りを殺がれ、注意を向ける。「は?何?」珠洲乃が神久の発言の意図を端的に尋ねる。それを高橋が補う。  「神久ぅ何を頷いてんだよ?」  「あ、いや。」軽く手を上げて些細な事だよ、と一笑する神久に瀬能が詰め寄って来る。  「言いなさいよぉ!」  「いや、だから、何でもないよ。」そう言って苦笑した神久はちょうど途切れた車の流れの隙間を通り、市道の反対側に渡る。待てよ!と神久の後に続いた三人は一瞬だけ猫の死体を見遣り、その惨状を確認すると、以降は意識してそれを視界に入れないように努めた。 * 神久椛の感想文 あのフラッシュを見たけど、しょうじきよくわからなかった。 どっちが正しい?って先生は言ったけど、正しいって何?って思った。 ただ、アレは”得な生き方”じゃなくて、”奇特な逝き方”だなぁって思った。 見殺しにするのはそんなに悪い事じゃない。 自分がいなくなるのがこわいと思うのはオレも同じだ。 それをせめるのはどうだろう?と思った。 昨日の帰り道にネコの死体を見た。 その時に思った。 逝き方や生き方はオレらそれぞれのものであって得も損も、正しいも正しくもないもないんだと思う。 死んだら終わり。 生きているなら反省して終わり。 それだけじゃないかな? (完) Cast  神久椛     達者なガキですから  瀬能千佳祢  口煩い女児ですよ  高橋直希    普通  珠洲乃真火  悪友ですか?
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