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大きく振り被りすぎ
フレームに焼き付いた情景は、乾いた歓声とは裏腹に、涙と汗で汚れた背中を写していた。響き渡る、馴染みのない校歌をバックに、並んだ二校が一礼の後にグラウンドを去って行った。カメラはスイッチが入り、外野席を舐めるように移動しながら、球場を俯瞰するモノへと重なっていく。はためく高野連の象徴を流し、映像はテレビ局の中継室へと戻る。
「だっさ」
9回の裏。2アウト満塁。点差は2点の、3対5。6番打者が2ベースヒットを打てば同点。それ以上か、ホームランならばさよなら満塁で勝利と云う時に向かえた最終打席。6番打者はプレッシャーと歓声に押し潰されながらも、ホームラン宣言を心に決めて、どこかのメジャーリーガーのように刀に見立てたバットを振り上げた。
1球目。
スライダー。
ボール。
2球目。
ストレート。
ヒット。
ファウル。
3球目。
カーブ。
空振り。
ストライク。
4球目。
スライダー。
ヒット。
ファウル。
5球目。
ストレート。
ヒット。
ファウル。
6球目。
ストレート。
見過ごし。
アウト。
「かっこ悪ぅ」
右打席に入り、軸足を小さく持ち上げた6番打者は、見送りと云う最悪の瞬間を残し、この試合に幕を下ろした。スタンドから聞こえる歓声の中に、混じっているようにも聞こえる咽び泣きが、乾いた風に巻き上げられた砂に汚れていくその様を映さなかったのは、テレビ局の考えか、それとも甲子園のポリシーなのか、カメラマンの同情か、ディレクターの気配りなのか、果てはタイムキーパーのストップウォッチの仕業か―――。無残な敗者を画面上に曝す事もなく、中継を終わらせたテレビは、夕方の報道番組へと代わっていった。
「あ、ごめん」
世間話のネタにでも、と軽い気持ちで視聴する事となった夏の甲子園は、新垣の高校が不本意な結末で敗退する姿を放送した。
「いや、うん。別に」既に空となったアイスのチューブを銜(くわ)えながら、扇風機の風に顔を背ける眞鍋は、片手を上げて苦笑した。「謝られてもマジ困るし」
無関係だと強調する眞鍋は俯き、「だっせぇ~よな」と重ねた。
「うん。あいつらには悪いけどさ、正直、私もそう思う」
努力しているかどうか、は知った事ではない。少なくとも自分は興味もなかったので知らない。と言い訳をひとり心の中で呟いた新垣は、「あれは努力が報われない負け方だよね」と哂った。
「ま、でも、アレは良かったんじゃないか」
報道番組へと代わった民放が、甲子園の結果を伝えながら、新垣の出身校のエースについて語っていた。
「何か、お誘いがあったとか、なかったとか――のやつ?」
溶け出した氷がグラスの中で鳴り響いたのを合図に、新垣は紅茶を口に運んだ。
「どこだっけかな、確か」視線を天井へと向けた眞鍋は、半時計回りにゆっくりと回転する換気扇の羽を追いかけながら、数日ほど前の話題を呼び起こした。「そうそう、○○」
「ほんと、寝耳に水。晴天の霹靂って奴」
小難しい顔のエースは眉間に皺を刻んだまま、リポーターのインタヴューに応じている。
眞鍋は銜えていたチューブをゴミ箱に吐き捨てると、「くだらねぇ」と一蹴した。
エースはリポーターに向かい、『最善を尽くすだけです』と応えている。日付は試合の3時間前。直前のインタヴューだ。
『今年は残念ながら初戦敗退となってしまいましたが』無神経な感想を映像に重ねるアナウンサーが、『彼は予選から注目される選手でしたね』と続ける。
隣に座る中年のアナウンサーが、『そうですね。いやぁ、本当に残念ですね』と嘆息交じりに頷いた。『個人的にはもっと活躍する姿を見たかったんですが』
映像が変わりブルペンで肩慣らしを続けるエースの姿が繰り返される。柔らかい軌道を描いた筋肉が滑らかな動作でボールを投げる。僅かに弛んだ残像が瞬きの上を横切り、キャッチャーミットがボールを捉える。
平均120k/hの球しか投げられないにも拘わらず、エースがプロに注目されるのはそのコントールにある。シュート、シンカー、スライダー、スラーブ、チェンジアップ、スプリット、ナックル、フォークと投げられる上に、肩を壊し難い投球フォームのスリークォーターに、コントロールし易いサイドスローも扱えるスイッチピッチャー。
「こーゆぅーのを天才と言うのかね」
新垣が苦笑する。
「あぁ――。天賦の才だ」と堅い言葉で揶揄する眞鍋が肩を窄め、また意味もなく項垂れる。
『しかし、ご存知でしたか』気持ち鼻息を荒くしたアナウンサーが揚々を語り出した。中年のアナウンサーは喜劇の台詞のような調子で、『何ですか』と驚いてみせる。
『実は、○○くん(エース)にはライバルがいたんです』
身を乗り出したアナウンサーが、まるでカメラ越しの視聴者に内緒話でも告げるかのように唇を窄めた。
『何ですか、誰なんですか?』
「あ、ドラマの再放送」
時計の傾いた針が、項垂れている。時刻は16時を回り、日差しも弱くなっていた。茹だる熱気は相変わらずであるものの、風鈴を鳴らす風は微風ながらも心地良かった。
リモコンを取り上げた新垣がチャンネルを変える。アナウンサーの暑苦しい顔が、俳優の澄ました演劇に取って代わられる。
『誰なんだッ!』
サスペンスを謳ったミステリードラマのひとコマに収まった、刑事課のデスクで顔を付き合わせる間抜けな面々が画面に映し出される。ホワイトボードにはメモや資料が無造作に貼り付けられている。
『犯人は誰なんでしょうか。必ず容疑者の中にいる筈なんですけど』
物静かな風貌の女性刑事が唸り声を上げ、デスクに並んだ容疑者のタイムスケジュールを確認する。一方で中年の刑事が、『凶器は見つかったのですか』とリーダー格らしき初老の刑事に詰め寄った。
『凶器が発見されれば、進展もあるんだろうがなぁ』
タバコの煙を燻らせる刑事が天井を仰いだ。
「あ、お代わり、いる?」
氷が溶け出し、コーラを薄めていた。
眞鍋は汗に濡れたシャツを翻しながら、「毒殺」と呟いた。
「お、いや、まぁ」口篭った新垣はグラスを片手に立ち上がった。「オチは知ってるけどさぁ。そこは言わないのがマナーってか、マナーでしょ!」
真鍋の背中を爪先で軽く小突いた。
「――――もう、そゆとこがデリカシーのない所」
唇を尖らせた新垣に背中を向けたまま、眞鍋は、「いや、そうだな、だっせぇよな」と呟いた。「でも、お前もデリカシーがねぇよ」
「そう?」
鼻で笑った新垣はリビングを後に、キッチンへと向かう。
『動機は一体、何なんでしょうか』
『犯人も分らないのに、不毛じゃないか、そんな議論』
女性の刑事を嗜める中年の刑事。
初老の刑事が、『これもプロファイリングって奴だろ。通り魔を探してるんじゃねえんだからよ。ま、容疑者を絞る参考にはなるだろうよぉ』と諭す。
「そうなんだよ。そう、情けねぇ」テーブルの上に残った水溜りを指で弄び、死ね、と書いた眞鍋。「あ~ぁ。マジ、だるい」
「止めてよね、その格好で横になるの」キッチンから戻ってきた新垣は、コーヒーを満たしたグラスを眞鍋の前に差し出した。「畳みに跡が付くのよ、汗」
グラスを受け取った眞鍋がクスリと微笑み、「マジ、うぜぇ」と口にした。
「何よ、嫉妬?」
「べ、別にそんなんじゃねぇよッ」
思わずコーヒーを噴き出しそうになった眞鍋が戸惑った表情で新垣を睨んだ。
「だよね」
毒の入ったグラスが被害者の口元へと運ばれていく。テレビに映し出されたドラマの回想シーンが繰り返される。
『エースだったんだ、四番だったんだよ』
独白を言い訳に代えた殺人犯が、犯人に代わって救済を施す回想シーンが繰り返される。振り上げられたバットが、床の上にのた打ち回る被害者の頭部を砕いた。
「肩を壊したお陰で私とデート出来るんだから。感謝しなさいよ、自分の不甲斐なさをね」と哂った新垣は、咎めたにも拘らず床に寝そべってしまった眞鍋を見つけると、その顔を踏ん付けてやった。
Cast
新垣さん 眞鍋の過去を、「良くある話じゃん」と一笑した同級生
眞鍋さん エースのライバル(元)。肩を壊して、荒んだ放課後を過ごしていた
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