夜空の星を私にくれたら

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「こんにちは。あなたがノナさんですね」 「まあ、そうですけど」  ノナは自室から両親に引っ張り出され、居間でこのジーナ夫人と二人向き合って紅茶をすすっている。 「表紙のとおり、可愛らしいお嬢さんね」  夫人はぱっと花のように笑った。  これ以上に気まずい時間を、ノナは知らない。父も母もお茶を出すとすぐにどこかへ引っ込んでしまった。  狭いわけではないものの、農作業具やら謎の樽やらで溢れたこの部屋に、裾が広がったドレスの夫人は窮屈そうに見えた。うっすらシチューの香りがするこの家はこんなご婦人には似合わない。 けれども、彼女は表情からそんなことは一切感じさせない。あくまでも、明るく純真で、ありていに言えば能天気そうに振舞っていた。まるで正面に人などいないがごとくだ。 ノナはそんな夫人を上目遣いで観察する。年齢はたぶん20代後半、村唯一の商店のおかみさんと同じくらいだが、纏う雰囲気はだいぶ違う。  都会の女の人はみなこんな風に地上から指一本分浮いているような喋り方をするのだろうか。綺麗に手入れされたブロンドの巻き毛が眩しい。  夫人はゆったりと茶渋だらけのカップを口に運び、テーブルに置いた。 「ねえ、どうしてあの人のプロポーズを断ったの?」 両親からもリラからも同じことを何度も聞かれている、けれども全く違う意味合いを持つ質問だ。 いきなりのど直球だった。 答えられない。口を何度も開きかけては閉じてを繰り返してしまう。 いや、明確な答えはあるのだ。でも、どう表現すれば相手に過不足も失礼もなく伝えられるかまだ10代のノナには分からなかった。 「私が言うのもなんだけどね、あの人、悪い人じゃないと思うの」  夫人は畳みかける。 「顔も良いし、お金もある。教養もあるし、性格だって悪くない。ねえ、何が不満だったの? やっぱり愛人っ立場が嫌だったの?」 「それは…」 正直に言うべきか。それとも嘘をつくべきか。嘘をつくなら何と言うべきか。好きな人がいるから。まだそんな気分になれないから。環境が変わることが怖いから。 一瞬の間にいくつもの考えが交錯する。どうごまかしても見透かされる気がした。 だが、夫人はノナの返事を待たなかった。 「夜空の星をすべてくれたら、あなたのものになってもいい、と言ったんですって?」 よかった。この質問には答えられる。答えずらいけれど。 「ええ、まあ」 「ここは空気がきれいだもの。さぞ美しい星空が見えることでしょうね」 すうっと夫人は目を細めた。 あ、とノナは気づいた。 この人はただ能天気な人ではない。私のことを品定めしている。 「もしも私がこの星空をプレゼントしたら、私のものになってくれる?」 この人はいったい何を言っているのだろう。 「やだ。緊張しないで。取って食べようってわけじゃないんだから」 夫人はきゅっと口角を上げて微笑んだ。まるで十代の少女のような笑みだ。しかし、瞳の奥底にはやはりあの見透かすような光がある。 「そうね、あと1ヶ月後に私たちの家に来て。そこで面白いものを見せてあげる。もし納得がいったら私付きのメイドになる。どう?」  じゃあそれだけだから、と夫人は帰ってしまった。 なんだかとんでもない夫婦に、ノナは目をつけられてしまったようである。  
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