第一部 旅立ち 第五章 予兆

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第一部 旅立ち 第五章 予兆

 「サルニオス様、そろそろご決断を頂かないと。」  「しかし、武力で父の帝位を廃するというのは・・・」  カルドキア帝国の帝都ログヌスの城内の一室で、サミュエル皇帝の長子サルニオスと黒いローブに身を包んだ神官の密談がもたれていた。  「このままですと我等の神の怒りを買うと、キュア様も憂いて居られる。  サミュエル皇帝の代になってからは、融和主義とやらを唱え、一向に中原への進出をなさらない。  あまつさえ属国であったモアドス王国の独立を認め、同盟国などと仰る。  それ故、他国にまで侮られ、我等神官が如何(いか)に動こうと、未だストランドス侯国は中立を唱え、属州の動きにも不穏なものが見える。  元々、我が神の後押しを受け、ゴルディオス皇帝がランドアナ高原を統一し、ロンバルギア平原に勢力を伸ばし、その勢力の一部が、サルミット山脈を越えた。  しかし遠征軍はアリアスなどと言う、何処の馬の骨とも解らぬ若造に敗北を喫し、サルジニア、ケムリニュスまで失った。  この時、キュア様の策謀によりロマーヌ、モアドス連合軍の分断を図り、アリアスは死の谷に倒れた。  しかし、ゴルディオス皇帝もまた、連合軍追撃の内に没した。  跡を継いだブルタニュス皇帝は軟弱極まりなく、外交により事を決するなどと言い、あげくの結果が征服できたはずのモアドス王国との同盟、ロゲニア族によるロンバルギア平原に点在する都市国家への攻撃。  この程度の成果しか上げられなかった。  しかも、その都市国家群は集合しヴィンツ共和国を名乗り我等に楯突く始末。  遂には我等が神の怒りを買い、ブルタニュス皇帝は早々に夭折。  貴方も今のように煮え切らぬ態度をとり続けると・・・」  「くどくどと煩い。それにお前の最後の言葉、それは脅しのつもりか。」  「滅相もございません。」  と、いう神官の言葉を背中で聞きながら、サルニオスは跫音を荒げ、その部屋を去った。  (チッ、こいつじゃ駄目か。)  舌打ちをし、黒いローブをまとった神官もまた、その部屋を去った。  サミュエル皇帝には三人の男児があった。長男サルニオスは、優柔不断で決断力に乏しく、次男フルオスは暗愚で、酒と女に溺れ、政治にはとんと興味を示さない。  三男ユングは頭脳明晰であり決断力に富んでいたが、冷酷過ぎて、今の自分の道を継がせる訳にはいかぬ。そう考えていた。  (あの子が男であったら・・・)  サミュエルは、今はもうこの国にはいない娘のことを何時も考えていた。 「サミュエル殿。」  「キュア、何時ここへ・・・」  「遂、先ほど・・・今日は貴方に苦言を呈しにまいった。  貴公もだが、貴公のご子息達三人も洗礼を受けて以来、ポルペウス詣りをしておられぬ。如何様(いかよう)な御理由がおありかな。」  「特段、理由などは・・・」  「それでは、今日はご子息お三人をポルペウスに誘(いざな)おうかなと・・・  宜しゅうございますな。」  それだけを告げるとキュアは影のように去った。  (気持ちの悪い。)  キュアに会った後、何時も持つ感想をサミュエルは今日も漏らした。  キュア。  ゴルディオス・アリアスの戦いの時には既にこの世に存在していたと言われている。  とすれば、とうに百歳を超えているはずだが、いつ見ても四十を越えた位にしか見えない。  無表情の冷たい顔に、ガラス玉のような光のない目が、時にぽっかりと人を吸い込むように見開かれる。  「気持ちの悪い。」  サミュエルは今度は口に出して呟いた。 玉座からキュアを見送った後、サミュエルは自身が最も信用のおける部下、カルダスを呼びつけ、三人の息子との同道を命じた。  キュアはまるで、自分の体重というものがないかのように馬を揺らす。  その後をサミュエルの三人の息子。そして殿(しんがり)にカルダス。ゆっくりと馬を進めても三日の行程をポルペウスへと向かう。  サルニオスは物珍しげに辺りを見回し、フルオスは女だ、酒だと駄々をこねる。それもキュアの死人(しびと)のような目に触れると、黙って目を逸らした。  その中でユングだけがじっとキュアの背を見つめ、その目は殺気を孕んでいた。  「ユング様、そのような目で私を見ても、私は斬れませぬぞ。」  その声にゾクッとユングは背筋を凍らせた。  「遠い昔、同じような目をして私を討とうとした者が居た。が、その者は私の目の前で死んだ。」  ログヌスを出て三日目の昼過ぎには、巨大なポルペウス神殿の姿が見えてくる。  一般の巡礼者とは違った道に、キュアが四人を誘(いざな)う。  暗い洞窟の入り口が彼らを迎える。  松明(たいまつ)に照らされた道を通り、地下神殿に行き着く。  正面に異形の神の像が鎮座し、彼らを見下ろす。  その台座には一つの大きな赤い扉とその両脇に三つずつの小さな黒い潜り戸があった。  「ユング殿、そしてカルダス殿。貴方がた二人はルグゼブ神の胎内で修行を・・・」  キュアはユングとカルダスに邪神の台座にある黒い潜り戸二つを指さした。  抗いきれぬ声に圧され、二人はそれぞれ二つの入り口を潜った。  「サルニオス殿、フルオス殿。貴方がたはこちらへ。」  キュアが先に立ち、二人は饗応の間へ誘われる。  ホッと胸をなで下ろしたサルニオスがキュアに尋ねる。  「二人はどれ位修行を・・・」  「ルグゼブ神の思し召すまま・・・」  「と言うと何日位・・・」  「飲まず食わず、三日と言うところですかな。」  抑揚のない、凍り付くようなキュアの声に二人は恐怖に震えた。  饗応の間に着く。  「私はこれで・・・」  身を震わすような冷たい声を残し、ふわりとキュアがその場を去る。  「化け物か、あいつ・・・」  キュアの姿が消えるとすぐに、フルオスが震える声を絞り出した。  「聞こえるぞ。」  サルニオスがこれも震える声で、フルオスを諫めた。  「見たかあいつの足、ローブに隠れてはいるが、宙に浮いているように見える。  兄貴、あんたはどう思う。」  「止めろって言っているだろうが・・・」  サルニオスの声はまだ震えていた。 そんな中、饗応の間の大きな扉が開き、盛大な料理と酒が運ばれてくる。それに続き半裸の女達が部屋に入り、官能的な音楽にのった卑猥なダンスを披露する。  それとは別に選りすぐられた美女が三人ずつ、これも半裸の躰をくねらせ、二人にまとわりつく。  一人はテーブルの下に潜り込み、両足のブーツを脱がせ、ぬるま湯で足を洗う。そして時には細い指先が股間を撫でる。  両脇の椅子に座った女は、二人の口に食べ物を運び、口移しで酒を飲ませた。  女と酒、そして、女の唾液に含まれる媚薬。二人の脳が麻痺し、神経が溶けていく。  「おや、先客がありましたか。」  二人の美女を侍らせた若者が部屋に入ってきた。  「キュアもこの部屋を使うなら使うと一声掛けてくれればいいものを・・・仕方がない・・・ご相伴させて頂いて宜しいかな。」  「結構だが・・・」  フルオスが尊大に応える。  「それでは失礼して・・・ああ、私は酒はけっこう・・・」  サルニオスが差し出した酒瓶をその若者は手で制した。  「確か・・サルニオス殿とフルオス殿。  キュアが何時かはログヌスより誘(いざな)うと言っていた・・・して、弟御は・・・」  「弟は神殿で修行を・・・」  「そうですか、ユング殿は修行を・・・」  「どうして我等の名を・・・」  「ええ、私は貴男がたを生まれたときから存じ上げています。  貴男がたの洗礼の日にも、私は同席していましたから。」 「洗礼の日にも・・・」  「ごちそうになった。あなた方三人、目的は違えど、ここを楽しみ、ここで何かを得ますように・・・私がそう申していたとユング殿にもお伝えください。・・・それでは・・・」  好青年という印象だけを残して若者は去った。しかし・・・  「誰だあいつは・・・」  フルオスの問いに隣の美女が答える。  「セイロス様。この神殿を警護する騎士団の団長様・・・」  「それにしても我々の洗礼の日にも同席したとは・・・どう見ても歳は我々と変わらないのに・・・」    潜り戸を潜ったユングが目にしたのは壁も床も、天井さえも真っ黒な部屋。その中に野太い蝋燭が一本、赤々と燃えている。  炎に誘われるまま床に座り、炎を見つめる。 炎の揺らめきだけが脳を支配する。  炎の向こうの壁がぐにゃりと歪む。  天井も床も・・・。  無機質であるものが脈動するように有機的な動きを見せる。  母の胎内を思わせる柔らかさがユングを包み込む。  しかし、それは氷の冷たさを伴い、躰の全ての感覚を奪って行く。  空腹を感じず、喉の渇きを覚えない。睡魔さえもが襲ってこない。  日に三度、黒いローブに身を包んだ女が、どこからともなく現れ、ローソクだけを取り替え、またどこかへ消えて行く。その時だけユングは現実に戻る。  時の感覚さえが失われ、躰が宙に浮く。その中でユングは、ルグゼブ神の復活を見、自分がそれに繋がる者であることを知る。  自分の祖先が・・ゴルディオスが見たものはこれであったのか・・・  ユングは確信を持つ、自身がルグゼブ神の一部であることを。  四日目、潜り戸が開き、朝の眩しい太陽がユングを包む。この日が彼にとって第二の誕生の日だった。  キュアがユングの手を取り、大伽藍に誘う。そこに待っていたセイロスが声を掛けた。  「おや、悟ったようですね。」  「ゴルディオス以上の悟りを開いたようだ。」  その声にキュアが応え、ユングを振り向く。 「今日が第二の洗礼。そして、真実のそなたが生まれ出るとき・・・宜しいかな・・」  ユングの着衣が剥ぎ取られ、素裸を晒す。  両手を天に突き上げる。  その上から血が降り注ぐ。  体中がどす黒い血に染まる。  興奮が躰を走る。  人のものとは思えぬ咆吼をあげる。  精を放つ。  精を放ってもまだ、その躰は衰えを知らず天を突く。 雄叫びをあげ続けるユングの躰を、キュアがローブで包み込む。  浴槽で身を清める。  体中に浴びた血が湯に拡がり、広い浴槽の湯が真っ赤に染まる。  濡れた体を銀色のローブに包み、饗応のテーブルに着く。  「もう暫くここにいられては如何かな。」  キュアが声を掛ける。  「そうしよう、まだ見聞きしたいものもある。」  その物腰、言い様までが以前とは変わった。  「カルダスは・・・」  「あの者にはあの者の役目がある。その為にもまだ・・・」  「神の胎内という訳か・・・」  ユングとキュアが目を見合わせ、ニヤリと相好を崩す。  「ところで、私の祖先は・・父も含めてだが・・皆この洗礼を・・・」  「いや、素養を持つものだけが選ばれて本当の第二の洗礼を受ける。  過去にはゴルディオスが受け、他にも二人程あの間に入った。が、気がふれて死んだ。」  相変わらず美女を侍らせたサルニオスとフルオスが饗応の間に招き入れられ、ユングの前に立つ。  あり得ない程の圧倒的な威厳と恐怖が、二人の膝を折らせた。  「よかろう。」  ユングのその一言で、二人は小刻みに震えながら部屋を去った。  「あの二人には、もう暫く毒を喰らわしておきましょう。」  「女と酒か・・・」  「彼らがここを去る時には、貴男とカルダスの身に起きたことは忘れて頂き、カルダス共々違う記憶を持って城へ帰って頂く。」 「そろそろ、そのカルダスが出てくる頃ではないかな。」  そう声を掛けながら部屋に入ってきたセイロスにキュアが応える。  「もう暫く・・神の思し召しはまだない。」
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