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第一部 旅立ち 第五章 予兆(2)
三人の息子がポルペウス詣りに行って既に十日。今朝、先駆けがサルニオス、フルオスそして、カルダスの帰城を告げた。
報告を聞くため玉座の間へ三人を呼ぶ。サミュエルの前に進み出たサルニオスが口を開く。
「父上に於かれましては、我等が不在の間も恙無(つつがな)く・・・」
「挨拶はよい。ポルペウスでの事を話さんか。」
顔を赤らめ列に戻ったサルニオスに替わり、フルオスが前に進み出た。
「城を出て三日目の昼過ぎ、ポルペウスの神殿に着きました。私達は一般の巡礼者とは違う道をたどり、選ばれたものだけが入ることを赦されるという地下神殿に行きました。
そこには巨大な神の彫像がありました。
翌日、神の台座にある部屋が私達兄弟それぞれに与えられ、その中で蝋燭を一本だけ灯し教典、教義を写しました。それで丸一日。
それからはポルペウス神殿を巡り、饗応の宴を開いて戴き、一日は赦されてボスポラスの中腹にある奥の院をカルダス共々訪れました。」
「カルダスもか」
「はっ、私も特別に赦すとキュア様が仰り、セイロス様の案内で・・・」
「キュアは同行しなかったのか・・・」
「はい。」
「そこで何を見た。」
「別に・・只、神の座像を・・・」
サミュエルとカルダスの会話にサルニオスが割り込んだ。
「しかし、あそこからの眺めは絶品でございました。
このランドアナ高原から、遠くはサルミット山脈、ロンバル・・・」
「そんなことはどうでも良い。」
サミュエルは忌々しげに一括し、更にカルダスに尋ねた。
「お前が見たのはそれだけか。」
「はい、私が見たものも、皆様が見たものも変わらずそれだけです。」
「しかし、なぜお前が赦された。」
「それはよく解りません。
元来、奥の院は同盟国・属国の王、並びに属州の総督だけが訪れることを赦されるが、永くサミュエル皇帝に仕えた褒美だとだけキュア様が仰って・・・」
「褒美・・・あのキュアが・・・」
「本当にキュアは同行していないんだな。」
「はい、セイロス様だけです。」
「その後、何があった。」
「はい、殆ど毎日饗宴が続き、ポルペウスを離れる二日前に三人のご兄弟がまた、神の台座の部屋に入られました。」
「饗宴の席には誰が・・・」
「セイロス様と・・・言い難うはございますが女が数人・・・」
「その席にそちも同座したのか。」
「はい、末席ではございますが。」
「キュアは・・・」
「奥の院で祈りがあると仰って、私達と入れ替えに山に籠もられました。」
サミュエルは、ほっと安心したように息をついた。
「サルニオス、神の台座で何をして居った。」
「二日目と同じ、写経だけです。」
「最後の日は・・・」
「洗礼を戴きました。」
「どのような洗礼だ。」
「神官の前に座り、額に赤い水を戴き、教義を聞きました。」
「それだけか。」
「はい。洗礼の証にこのローブとメダルを戴きました。」
「そんなものを身につけている必要はない。脱いでしまえ。」
父の剣幕に二人がびくっと身を縮ませた。
「カルダスを除いて、二人は下がって良い。」
二人の兄弟が部屋を去ると、サミュエルはカルダスを近くに呼んだ。
「儂が第二の洗礼を受けた時とほぼ同じ、間違いはないと思うが、もう暫く話しを聞かせてくれ。あやつらが側にいると話し難いこともあったろう。
まず、キュアだが、あやつらとはどれ位・・・」
「ポルペウスに着くまでは宿を別にし、殆ど接触はありませんでした。道中でも只、黙々と先頭を進み一度だけ、酒、酒と駄々をこねるフルオス様に目を遣りました。
神殿に着いてからも、神の台座の下の扉へ皆様を誘(いざな)っただけで、後は殆どセイロス様が取り仕切って居りました。」
「セイロス、あやつとは久しく会って居らぬがまだ若かったか。」
「はい、未だ衰えず若うございました。」
「化け物どもが・・・」
「饗宴は・・・」
「はい・・・」
「言い難かろうが全てを申せ。」
「はっ、ご兄弟に美女が三人ずつ、夜も侍らせておいででした。」
チッとサミュエルは舌打ちをした。
「して、ユングはなぜ帰らぬ。」
「・・・・」
「全てを話せと申したろうが・・・」
「・・・女かと・・・ユング様には夜伽をした女にご執心。暫く帰らぬと・・・」
「何のことはない、色と酒に迷ったか。」
サミュエルは寂しそうな目をし、更に聞いた。
「キュアは何時まで山に籠もると・・・」
「一ヶ月と言うお触れでした。」
「それまでにユングが帰ればよいが・・・
委細あい解った・・・ご苦労であった。もう下がって休むが良い。」
カルダスはサミュエルの下を去ると、疲れた体をベッドに横たえた。
眠りにつくとすぐに、あの恐怖の四日間が夢となってカルダスを襲った。
真っ黒な部屋の中に蝋燭だけが只一本、飢餓と乾き。恐怖と痛み。それがカルダスを責め上げた。
ちくちくと全身を針で刺されるような痛みを覚え、剥きだしの恐怖が逆撫でされる。
のたうち回り、悲鳴を上げる。しかし、救いはない。
神経がすり減り、脳が悲鳴を上げる。このまま続けば狂うしかない。と、思った時、蝋燭の向こうの壁が歪み、異形の神が姿を現した。
「我を崇めよ。されば救われん。」
その神はカルダスの耳元に囁いた。
異形のものを拒む。
更なる痛苦と恐怖がカルダスを襲う。
それが繰り返され、遂にカルダスの神経がプツリと音を発てた。
異形の神を心に受け入れる。すると、それまでの飢餓が、乾きが、痛みが、恐怖が全て消えた。
そこにあるのは心の平穏と静寂だけ、蝋燭の前に座り続けた自分がいただけだった。
「旦那様、旦那様・・・」
侍女がカルダスを揺り起こす。
「大丈夫ですか・・・随分・・うなされておられましたが。」
「ああ・・・夢を見ていた。」
「どのような。」
暫くカルダスは考えた。しかし何を夢に見たのか思い出せない。
「何でもない・・・」
怒ったようにそれだけを答え、湯殿へ向かった。
それから十数日、ユングが城に帰った。兄二人とは違い、ローブも着ず、メダルも身につけていなかった。
玉座に呼ばれ子細を聞かれる。答えは兄と同じ。只、ポルペウスに残った理由だけは笑って答えない。その上、再度のポルペウス詣りを希望した。サミュエルは苦笑いを浮かべそれには答えなかった。
今までと同じように昼を過ごし、夜を過ごした。変わったことと言えばユングが武道場と馬場へ通う回数が増えただけだった。
ある日のことユングが玉座に座る父の前に立った。
「父上、以前話したことですが、今一度ポルペウス・・・」
皆まで聞かず父が応えた。
「ポルペウスも良かろうが、儂はお前をモアドスへ留学させようと思う。
中原の文化と学問を学び、ここに持ち帰る。女に現(うつつ)を抜かすより、その方がやり甲斐があろう。」
「解りました。父上がそう望むなら・・・」
「そうか解ってくれるか。」
「はい。」
そう返事をしたユングの目がキラッと光った。
「サルニオスとフルオスを呼べ。今からカルダスを伴って領内の巡察に出る。今回はお前達三人も同行を赦す。」
素直なユングの返事に気をよくし、上機嫌でサミュエルはそう告げた。
サミュエルを先頭に兄弟三人が続き、その後ろにカルダス。列を作って城の廊下を厩(うまや)へと向かう。城の従者達はそれに一斉に頭を下げる。
人影が消え、厩へもう少しと言う所で、ユングの胸のメダルがきらりと光る。それにサミュエルは気付かない。
メダルに刻まれた邪神の目がカルダスを射る。
「ごめん・・・」
カルダスは三人を押しのけ、抜きはなった剣でサミュエルを突き刺した。
サミュエルの躰がその場に崩れ落ちる。
「狼藉者」
ユングがたったの一太刀でカルダスを切り伏せる。
薄れ行く意識の中でカルダスは悟る。あの部屋の中で四日目、救いの手をさしのべた神の啓示とはこれだった。
死に行くカルダスの頬に穏やかな微笑みが浮かんだ。
「静かに。」
騒ぎ立てようとするサルニオスとフルオスを制し、ユングが父を抱き起こす。
そのサミュエルの目に邪神のメダルが映る。
「ユング・・お前は・・・グッ」
最後の言葉を絞り出そうとしたサミュエルの胸をユングが手にした鎧通しが貫いた。
「父上最後の言葉を・・・解りました。そのように取りはからいます。」
物言わぬ父の口の代わりに、素知らぬ顔で最後の言葉を伝える。
立ち上がり兄二人を振り向いたユングの目は、ポルペウスの大広間で二人が恐怖したあの目だった。
「父の・・皇帝の最後の言葉を伝える。
皇帝の死は三年伏し、その間の政治は兄者二人で見る。
私は生前の父の意を受け、モアドス王国に留学。暫くこの地を去る。」
「衛兵を呼べ。
カルダスの死体を片づけ、父の遺体を父の部屋へ運ぶ。これ以降は父の部屋に入ってはならぬ。」
「お二人は、予定通り領内の巡察へ。
以上、お分かりになりましたかな。」
鈍色(にびいろ)に光るユングの目に圧され、二人は震えながら頷いた。
衛兵を指示しサミュエルの遺体を皇帝の寝所へ運ぶ。そこにはキュアが待っていた。
「あの二人はポルペウスに送ります。後は、宜しくお任せする。」
ユングは二人の衛兵に目を遣った。
「お前達は、これよりポルペウスに行ってもらう。父の遺言により三年間は喪を伏す。その間はポルペウスで、女でも抱いておくがよい。」
二人の衛兵はユングの手紙を手に、その場を去った。
「さて、キュア。ここまでは計画通り、後はどうやって父の死を隠し、兄二人の失策を待つか。」
「お任せあれ・・・」
キュアがサミュエルの遺体に手をかざす。すると、生けるがごとくサミュエルの躰が動き出した。
「後は放って置いても兄者達は失策を犯す。
私はサミュエル殿の側用人として常にこの部屋にある。故に他国の見舞い等も、案じることなく通して宜しい。」
その日の内に、サミュエルは病を発し、寝所に着いたとの触れが城下に発せられた。
その中をサルニオスとフルオスは巡察に、ユングはモアドス王国への留学と称し城を出た。
見舞いの客が次々とログヌスを訪れる。それは、カルドキア帝国の弱体化を見聞する目的をも持っていた。
サミュエル皇帝を見舞った後は必ず時の政治を司るサルニオスとフルオスに謁見を申し出る。
こそこそと気弱に辺りを見回すサルニオス。尊大なだけで、何の計画も持たぬフルオス。この二人を見、殆どの見舞客はカルドキアの将来に見切りをつけ、国へ属州へと帰る。
武力と、恐怖による統治のたがが緩み始めていた。
属国に独立の動きが出る。属州に建国の動きが起きる。一部では民衆が一揆を起こす。
少しずつ、少しずつ、カルドキアの国威が低下して行く。戦乱の予兆が大陸を覆っていった。
第一部 完
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