第二部 中原燃ゆ 第一章 帝国の混迷 (2)

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×  ×  ×  ×  「カトゥ、何を逡巡して居る。」  ダミオスへ援軍として到着したユングの前でカトゥが膝をついていた。  「しかし、ニクルスの町中にはまだ女子供が・・・  しかもケムリニュス兵の一部もまだ町中に・・・」  「女子供とて容赦することはいらぬ。町中に残ったということは抵抗の意志があると言うこと。  お前をここに送り出す時に言ったであろう、抵抗する者は全て焼き殺せと・・・  ケムリニュス兵とて同じ事。未だ町中にいるのは役立たずの証拠。  構わぬ、町に火を放ち全てを焼き尽くせ。」  「解りました。ユング様がそこまで仰るなら・・・」  カルドキア軍の包囲を受けて四日。女子供までが武器となる物を手に、州都ニクルスの町中に進入してきた老兵達と戦っていた。  周囲はカルドキアの正規軍に囲まれ、逃げ道はない。  兵士は二百に満たない。その少なさを町中に残った民が補っていた。  包囲から五日目、乾いた北風が吹く夜、庭先に積まれた枯れ柴の焼ける匂いが町中に立ちこめた。男達が外に飛び出しその火を消そうとする。しかし、火が出た場所は一カ所では無かった。町中のあちこちで火の手が上がる。乾き切った風に煽られ各所の火が勢いを増し、遂には抑えきれない劫火となる。  火から逃れようと人々が逃げまどう。  追いつめられ町の南に集まる。  だが、町の外ではユングに率いられたカルドキア正規軍が槍を揃え待ちかまえ、町を逃れ出る者を一寸刻みの試し切りにしていた。  バリバリと家々を焼く炎の音を、町を出た者達の悲鳴が引き裂く。  死を乞う。  しかし、足先から、指先から僅かずつ切り刻まれ安息の死は簡単には訪れない。  苦痛の呻きと悲鳴が交錯する。  地獄の責め苦を受ける者を助けようと、若者が武器を手にカルドキア兵の中へ駆け入る。それもまた、血に飢えた兵士達の餌食となる。  幼子の手を引いた若い女が、ニクルスを焼く炎の中に駆け込む。  太陽が東の空を朱に染める頃、ニクルスは人も町も灰と化した。 ×  ×  ×  × 「フルオス様、裏切り。バルディオール将軍苦戦中。」  バルハドスからの使者がログヌスにあるロブロの下へ着いたのは、ユングがニクルスを灰と化す前夜だった。  帝国の正規軍は出払い、ケムリニュスの兵は全てポルペウスとダミオスへ送った。援軍に出す兵力はロブロの手元にはなかった。  (どうする・・・)  途方に暮れるロブロの前にセイロスが立った。  「私がザクロスと共にバルハドスに赴こう。兵は私の騎馬兵千、ザクロスの重装歩兵五百。これで当座の片は付く。入れ替わりに帰還するバルディオールとその兵達はポルペウスへ・・・  ユング様とは打ち合わせ済みだ。心配は無用。」    フレンツ川を越え、その南の草原に陣を張ったフルオスとバルディオールの下に、バルハドス軍の先鋒五千の軍勢が、対峙するように陣を敷いたのは、十日以上も前のことだった。  攻撃を主張するバルディオールと、バルハドス、ロゲニア連合軍の動向を確認するためと称し、斥候ばかりを送り出すフルオスとは、陣中対立をきたしていた。 「フルオス様、敵はまだ陣の敷設が完全には終わっておりません。  討つなら今。斥候を出すばかりでこのまま対峙していては敵は陣を固め、数を増やし、何時攻勢をかけてくるとも知れませぬ。  ご存じの通り我々には援軍が期待できぬ戦い、時を移すと不利は明白。  討つなら今。  今を外してはなりませぬ。」  「焦るなバルディオール。  元々ユングの命令は相手の出方を確かめよとのこと。  まず敵情視察が先。  攻勢をかけるのは相手が敵意を見せてからだ。」  「敵意はもう見えています。奴等は国境を挟んで陣を設営しております。」  「我等が陣を張って居るから彼らも仕方なしに陣地を造って居る。  それだけのことだ。  それに、儂の斥候によれば相手は約五千。その気になれば何時でも叩くことが出来る。」  「そんなに悠長な話しではございませぬ。それらの兵の後ろにはバルハドスの軍一万。それにロゲニアよりの援軍五千が陸続と続いているとの情報があります。討つなら今を於いて外にありませぬ。」  「その軍は我が帝国への援軍かも知れぬ。それに対し戦を仕掛け、わざわざ敵に回すつもりか。」 「馬鹿な・・・」  「馬鹿とは何事だ。余はサミュエル皇帝の息子。  世が世なれば・・・」  「失礼いたします。」  バルディオールは悪態をつくフルオスをその場に残し、自分の陣営へと取って返した。  「攻撃の準備をせよ。  明朝、日の出と共に打って出る。」  バルディオールは自分の部下にそう命じた。  バルディオールの軍五千が夜明けと共にバルハドスの陣に攻め入った。  当初、敵陣を攻めあぐね、戦闘は一進一退を続けていた。が、バルディオール自身が中軍の先頭に立ち、バルハドス軍の戦陣へ突撃を行うと一気に敵が乱れ戦機が動いた。  その戦場にバルハドス、ロゲニア連合軍一万五千が到着。それを知ったバルディオールはフルオスに援軍の使者を送った。  しかし、何を思うかフルオスはその要請を無視し、戦闘が膠着状態に陥るのを待ち、そして命令を発した。  「バルディオールを伐て。」  戸惑いながらもフルオスの軍は、将と意を共にした部将達に急き立てられ、バルディオールの軍の最後尾を突いた。  勝敗は雪崩れを打つように傾き、バルディオールの陣営に怒号が飛び交った。  それでもバルディオールは巧妙に敗軍を纏めた。兵の損失を最小限に抑え、戦場を遠くひき退き、フレンツ川の北岸に二千の残兵を集め改めて陣を敷き、守りを固めた。  そこから都に送った使者が、唯独りログヌスを護るロブロの元に届いたのだった。  一方、バルハドス・ロゲニア連合軍と合流したフルオスはバルハドス総督ガンプ、遠征のロゲニアの将軍サイフォーの歓待を受けていた。  「どうだ、儂の手管(てくだ)は・・・バルディオールごとき者、簡単に始末してくれたわ。  まずは戦勝の祝い。大いに歓待してくれよ、ガンプ。」  「はい畏まって居ります。  しかし、ログヌスの状況は掴めず、バルディオールは引き退いたとはいえ彼も一方の将、すぐに追い打ちをかけたが良かろうかと・・・。」  「なあに、心配はいらぬ。ログヌスには今一兵の軍も居らぬ。ましてや負け犬のバルディオールなど恐るるに足りぬ。」  ガンプが居並ぶ自軍の将軍二人に目配せしたのも知らず、フルオスは得意げに喋り続け、酒を煽り、陣中にも係わらず女を要求した。 ガンプの目配せを受けた将軍二人は二千ずつ二隊を率いバルディオールの軍を追った。  バルディオールは良く守った。が、日に日に数が増える敵兵に徐々に形勢が悪くなって行く。  そこへまず、セイロスの騎馬隊千とザクロスの先遣隊である戦車部隊百五十が到着した。  二頭立ての装甲を施した馬車の両輪にそれぞれ三本のずつの刃を取り付けた戦車。  それが戦場を駆ける毎に確実に兵が倒れる。それは敵味方の別もなかった。  御者の後ろに立った弓手が放つ矢と車輪の刃に、ある者は傷を負い、ある者は胴を切り裂かれ絶命した。  セイロスはバルディオールに兵を引きログヌスへ帰還するよう命じると、自身の乗馬の頭に被せてあった黒い布を引き剥がした。  角。漆黒の馬の頭に銀の角。  彼の逞しい乗馬はユニコーン、いや悪夢を司るナイトメアだった。  セイロスの騎馬兵が漆黒の疾風のように戦場へ雪崩れ込む。セイロスの行く先々血煙が巻上がり、絶命の叫びがあがる。  そこへ遅れて到着したザクロスの鉄の重装甲歩兵が参戦した。  バルハドスの兵が鉄の剣を振りかざしザクロスに斬りかかる。が、ザクロスの鎧はそれをはね返し、剣を折る。  武器を無くし狼狽する敵兵をザクロスの鋼鉄の槍が串刺しにし、次々と空中に放り上げて行く。  為す術もなく、バルハドス兵が殲滅されて行く。一万程に膨れあがっていたバルハドス軍が半分に減り、三分の一に減った。  日が落ちる頃には、バルハドス軍は総崩れとなり、国境深く逃げ去った。   ×  ×  ×  ×  ケムリニュスが差し出した兵をログヌスへ送り、マルキウスとクラントールは道を南東に、サルジニアへと去った。  そこへフルオスの裏切りの情報がケムリニュス執政院へ入った。今やケムリニュス執政院は完全にマーゴットに牛耳られていた。  「絶好の機会が向こうから転がり込んできたようですな。  ここの守りに三千を残し、後は俺が率いログヌスへ向かう。  それで宜しいな・・・執政官達。」  有無をいわせぬ勢いでそう宣言し、五百余の兵を率いマーゴットはログヌスへと向かった。 ケムリニュスの軍はランドアナ高原に登り、明日にはログヌスの皇城を見る所まで達し、一夜を明かした。  「思った通り何の抵抗もないな。明日はログヌスを陥す。  明日からは俺が皇帝だ。」  と、マーゴットは自慢げに辺りの者に話しかけていた。  その時、側近の一人が叫んだ。  「空から何かが。」  空気を切り裂く甲高い鳴き声と共に、それが急激に大きくなる。  空飛ぶ黒い物体。  人の背丈程の首を持ち、引き締まった胴から生え出た逞し翼を羽ばたかせ、大蛇のような尾を揺らしケムリニュス兵の上に覆い被さってくる。  「飛龍(ワイバーン)・・・」  誰もが目を疑った。  そこへ飛竜の背から矢が降り墜ちてくる。  「龍騎士だ。逃げろ・・・」  誰からともなく声が掛かる。  昔、アリアスの戦いの時、龍騎士団はキュアの手によって滅ぼされたと聞いた。それが十数頭も・・・  空からの蹂躙にばたばたと兵士が倒れて行く。  その上、ボスポラス山を背景に、黒い胡麻粒のような集団を率いた金色の竜が一頭、悠然と飛んでくる。  胡麻粒が見る見るうちに大きくなってくる。 ガーゴイル。今は見ることもなくなった空飛ぶ妖魔。  その軍団が空を駆け下りてきては、剣を振るう。その度に一人また一人と兵が傷つき倒れて行く。  空からの攻撃に打つ手もなく、地上の至るところに惨劇が拡がる。  その上・・空を闘いに手を貸すでもなく一匹の金竜が悠然と一度輪を描き、火の山ジュノンへ向け帰っていった。  「ひ、退きあげだ。」  マーゴットの絶叫が響く。 ケムリニュスへ向け馬首を返す。  その前の高台に独りの男が立っていた。  「もうお帰りかな、マーゴット殿。」  「キュア・・・お前どうしてここへ・・・」  「お迎えに参りました。」  キュアは両手を天に差し上げ、何やらぶつぶつと呪文を唱えた。  天を突いた手を振り下ろす。  赤黒い影が地面を走る。  すると、息絶えたはずの兵士の躰があちこちでピクピクッと動き出した。  生ける兵士の悲鳴が走る。  絶命の叫びを残し次々と兵士が倒れて行く。その倒れたはずの兵士が臓腑(はらわた)を引きずりながら起きあがってくる。  恐怖が恐怖を呼ぶ。  マーゴットに率いられた兵士は既に軍の体を成していなかった。  散り散りに逃げまどう。  恐怖に竦む。  それを死人の軍団が襲う。  ケムリニュスに逃げ帰ったマーゴットの髪は全て真っ白に変わり、眼は虚ろに宙を彷徨っていた。  キュアは只独りケムリニュスの城へ入った。  その背に一人の兵士が剣を突き刺した。  胴を剣に貫かれたままキュアがその兵士を振り返る。  「可愛いことをする。」  キュアはその兵士をきつく抱擁し、背に刺さった剣に片手を回し、自分の躰ごとズズッと深く差し貫いた。そして、兵士の絶命の悲鳴の中ゆっくりと剣を抜き取った。  執政院の中が凍り付く。  「さて、如何致しましょうか執政官達・・・この戦の始末を・・・」  執政官の一人が布にくるまった物を差し出した。  キュアがその布を剥ぎ取った。  そこには恐怖に目をむき、絶叫に口を開いたマーゴットの首があった。 「恐怖に負け、自ら首を落としたか。」  キュアの氷のように冷たい声が執政院に響いた。 ×  ×  ×  ×  「そろそろ刻限かな。」  ポルペウスへ戻ったキュアがザクロスに目配せをする。  「あの薄汚いのが誕生するという訳か・・・」  それに溜息混じりにセイロスが答える。  「私はログヌスでユング殿の凱旋を待つとしよう。」  「何時まで経っても貴公は・・・」  キュアは後の言葉を飲み込んだ。 ルグゼブ神の座像の下の洞窟へキュアはザクロスと共に向かった。  岩壁に口を開けた汚泥の中から、羊膜に包まれた物がぬるりと出てくる。ザクロスの部下がその羊膜を引き裂く、中から野犬のような顔をした半獣半人が現れた。  母なる邪神の胎内から次々と羊膜に包まれた塊が生み出される。  その中には羊膜内で溶けたゼリー状の物までが含まれていた。  「やはり、キュノケーとスライムだけか・・・後から入ったバルディオールの兵に期待するしかないな。」  キュアの言葉にザクロスが頷いた。  生まれ出た物が次々と雄叫びを上げる。  それを無視し、キュアはその洞窟を出て行った。 ×  ×  ×  ×  カトゥとサルニオスを両脇に従えユングがログヌスへ凱旋した。  人々の歓声をよそに、ユングはサルニオスを引き連れすぐに執務室へ入った。そこにはセイロスが待ちかまえていた。  「如何でしたか、初陣は・・・」  「戦という程の物でもない。」  「そうでしょうな。」  「サルニオス、各地の情勢が知りたい。すぐに手配しポルペウスまで知らせよ。」  「ポルペウスへ・・・」  サルニオスが卑屈な声で聞き返す。  「そうだ、そこで次の作戦を練る。  ダミオスへはブロフを総督として送っておけ。彼の地はあの老人で治まろう。」  「それではセイロス、参ろうか。ロブロも同行せよ。」  ポルペウスの皇帝に与えられた一室でユングはロブロに兵力の確認をしていた。  「カルドキア正規兵約二万。この内にはザクセンに遠征したスピオ様の軍七千、サルジニアへ向かったマルキウス様の軍五千。それにケムリニュスからの老兵約三千を含みます。  帝都に在る本来の正規軍はカトゥ様の手元に約四千。これだけでございます。」  「予備兵は。」  「志願の者約二千。それに徴用した者約五千。これらは兵として使えるまでに三・四ヶ月以上かかります。」  「属州の兵は。」  「ケムリニュスの兵五千。それにダミオスでちりぢりになった兵約四千がログヌスに集まっております。」  「併せてすぐに動かせる兵約一万。これだけか、父が・・サミュエルが残した遺産は・・・」  「御懸念には及びませぬ。一月程お待ちください。貴方の手元にもう三千程の兵を揃えましょう。」 何時の間に入ってきたのかキュアがそう声をかけた。
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