第一部 旅立ち  第一章 バルドモスの山で

1/1
前へ
/77ページ
次へ

第一部 旅立ち  第一章 バルドモスの山で

村の鍛冶屋の息子、カミュは十四歳になっていた。  カミュは、村の狩人の息子、ディアスと共に茸(きのこ)を採るため、山に分け入っていた。  その後ろには、木こりの息子、サムソン。  大人しいカミュと暴れ者のディアス、ちょっと小太りで、おっとりしたサムソン。この三人はそれぞれ年は違っていたが、カミュより三つ年上のディアスを中心とした自他共に認める親友と言って良かった。  山に詳しいサムソンが遅れているため、カミュとディアスは切り株に腰掛けサムソンを待っていた。  「ほんとに、いつものことだがグズだよなサムソンは・・・あいつももう十八だろう・・・まいるよなぁ。」  口の悪いディアスの言葉にカミュは、  「そんなこと言うんじゃないよ。サムソンだって遅れたくて遅れているんじゃないんだから・・・それに君より一つ上の兄貴だろう。」と、年上のディアスを窘める。  「おーい、カミュー、ディアース・・・」  サムソンの大声が二人に届く。  「ちょっと来てくれ・・早く・・・。」  何事が起きたかと、カミュとディアスは転がるようにサムソンの声のする方に走った。  息を切らせてサムソンの元にたどり着く。そして、立ちつくすサムソンの足下に太腿を矢に貫かれて血を流し、あちこちと擦り傷と打ち身だらけで倒れ伏した少女を目にした。 その少女をカミュが抱き起こす。  「誰なんだ。」  ディアスの声にカミュが応える。  「分からない・・・でも怪我をしているようだ。村に連れて帰って手当をしないと・・・」  「俺の背中に乗せろ。」  サムソンが大きな背中を差し出す。 「でも、大丈夫かな村に連れて帰って・・・」  確かに、ロニアスの村にはよそ者を入れてはならないと言う不文律がある。それは他者の裏切りから、流浪の身となったロニアスの民の、自分達を守るための掟であった。  「そうだったな、よそ者は・・・」  「村に入れてはならぬ。」  ディアスの言葉をサムソンが引き継ぐ。  「サムソン、君の所の使わなくなった古い木こり小屋が・・確かここいらにあっただろう。」  カミュの言葉に  「そうだ木こり小屋だ。カミュとサムソンはそこでこいつの手当をしていてくれ。俺は村に帰って、薬と食べ物をとってくる。」  と、言うなりディアスは村へ向け駆けだした。  深い森の中の一角だけを切り開き、粗末な木こり小屋が建っている。その中の囲炉裏に火を熾し、その傍らに少女の躰を横たえる。  「なんだ、こいつ耳が尖っているぞ。」  部屋の端にあった筵(むしろ)を少女の躰に掛けながら、サムソンが素っ頓狂な声を上げる。  (月の民・・ルミアス・・・)  カミュの頭の中に疑問が拡がる。  (まさか・・・あれはお伽噺の世界の・・・)  昔、アリアスがカルドキアと戦った時、その率いた部族の中に、弓と治癒の魔法を得意とするエルフ族がいた。と、長老の昔話に聞いたことがある。が、それは、子供を喜ばせる為のお伽噺とばかり思っていた。いや、今もそう思っている。  「カミュ、血が・・血が止まらない。」  「何やってんだ。」  カミュは少女の元に駆け寄り、少女の太腿を貫いている鏃(やじり)をへし折り、矢を引き抜いた。  「ウッ、ウウ・・・」  意識を失ったままの少女が苦しげに呻く。  カミュの手が朱に染まった少女のドレスを引き裂く。  「おい、女の子だぞ。」  サムソンが声を掛ける。  「そんなこと、構っていられるか。」  切り裂いた布で、露わになった太腿の付け根をきつく縛り付ける。そして、傍らにあった酒瓶を手に取り、中の液体をグッと口に含む。  頬をふくらませプッと傷口に酒を吹きかける。  傷口を灼くアルコールの痛みに少女が身じろぐ。  「カミュ、大丈夫か、そんなに手荒にして・・・」  サムソンは不安げな表情でカミュの手元をのぞき込む。  そんなそぶりには一切構わず、カミュは少女の傷口を、切り裂いたドレスを包帯代わりにきつく縛り付けた。 少女はよほど危ない目にあったのか、時折鋭い悲鳴を上げ、ディアスの帰りを待つカミュとサムソンを驚かせた。 風の音が、入り口のドアを叩く。そのたびにディアスかと二人が振り向く。そしてまた、静寂の中それぞれの思いに沈み込む。  (ゾルディオスの軍を破ったアリアスはサルジニアの首都サンドスに迫る。しかし、急に兵を曲げ、黒い森から死の谷へと向かう。)  (なぜ、なぜ兵を曲げた・・・長老の話・・・思い出せない・・・あれはまだ十歳にもならない頃聞いた話・・・そして、その年の暮れ長老は死んだ。) ギーッと音を立てカミュの思考を中断するように木こり小屋の扉が開く。  粗末な建物の中に冷たい風と共にディアスが入ってくる。  「薬と食べ物・・親父の目を盗んで持てるだけ持って来た。」 「しかし、どうする。もうすぐ日が沈むぞ。日が沈んでも村に帰らないと怪しまれる・・・だが・・かといってこの娘(こ)だけをここには置いてゆけない。」  「僕が残る。」  「お前が・・・」  ディアスとサムソンが声を合わせる。  「ウン。僕が・・・僕には父さんも、母さんもいない。だから簡単にはバレないと思う・・だから僕が・・・」  「分かった。それじゃあ暫くおまえに任せる。俺とサムソンは交代で食料と薬を持って来ることにしよう。いいなサムソン。」  「分かったョ、ディアス。でも俺の方がここに来る回数は多くなるよな。何たってここは俺の親父の小屋だからな。」  ディアスは苦笑いと共に頷いた。 「ピュロの餌、頼むよ・・忘れないで・・」  カミュは小屋を出る二人の背中に声を掛けた。  小屋の外で風が鳴る。  日暮れと共に冷たくなった空気が小屋の中に忍び込む。  囲炉裏に火は熾してあるが、徐々に寒さが身に染みいってくる。  (寒くはないか。)  少女に目をやる。  出血のせいか青白い横顔が、時折呻き声を漏らす。  時が経つにつれ、寒さが厳しくなってくる。 雪にはまだ早いが、山の秋は短い。 少女の肌の青白さが増したようにも感じる。  (このままじゃあ・・・)  失血のため体温を奪われ続ける少女の躰が、気にかかる。  カミュは傍らの酒瓶に残った酒を口に含み、少女の口をこじ開ける。  その口に己の唇を付ける。  少女が噎せぬよう気遣いながら、そろり、そろりと少女の口中に酒を流し込む。  ゴクッ  少女の喉が鳴る。  続けて二度、三度。  少女の肌に僅かに生気が戻る。しかし、アルコールを与え続けると出血が気に掛かる。 思いと裏腹に、辺りの空気は夜明けに向け、益々温度を下げてゆく。  (どうすれば・・・・)  どうすれば少女の体温の低下を止められるのか。  答えは一つ・・・。  しかし・・・ カミュは躊躇する。  だが、気温の低下は容赦なく襲ってくる。  ・・・・意を決する。  少女に掛けてあった二枚の筵をはぎ取り、少女のドレスに手を掛ける。  自分の服も脱ぎ捨てる。  自分の体温で少女を暖める。  それしか手はなかった。  少女の躰を背中から抱きしめ、筵をかぶる。  冷え切った少女の肌がカミュの体温を奪ってゆく。 その冷たさに負けぬよう酒を飲み、自分の体温を確保する。  アルコールに火照る手で少女の肌をさする。そして、眠らぬように小さい頃聞いた長老の話を思い出す。  (兵を曲げたアリアスはケムリニュスとの国境を超える。どういう訳かゾルディオスはあっさりと兵を引き、カルドキア国内へと逃げ込んだ。アリアスと、直接カルドキアを狙った竜戦士の軍はここに合体した。  アリアスと竜戦士の連合軍は、死の谷を通り、聖なる山ボスポラスを目指す。)  聖なる山に何があるのか。確か長老の話にもそれは出てこなかった。)  (そのころ、サンドスを陥落させたロマーヌとモアドス連合軍は、ようやく戦いに飽き、内紛が渦巻いていた。  モアドス王スメスタナとロマーヌ王インジュアスは戦後の利益の分配を巡り、己が優位に立つため声高に言い争いを続けていた。  ついに、連合軍は分裂する・・・・・)  鳥の囀りがカミュを優しく揺り起こす。大きく一つ伸びをする。そして・・・  (あの少女は・・・)  辺りを見回す。  部屋の隅に筵にくるまった少女を見いだす。 少女の声が、怯え、そして、なじるようにカミュに届く。  「スリ・ハルサ・アヌ・カッタ」  カミュには少女の言葉が分からなかった。 聞いたこともない言葉だ。  「分からない。君の言っている言葉が・・・君はどこの人・・・名前は・・・」  カミュが少女に近寄る。少女は怯えるように壁伝いにカミュから逃げようとする。  その時、入り口のドアが開いた。  「どうしたカミュ。」  ディアスの声に少女が悲鳴を上げる。  「この娘(こ)、気が付いたのか・・どこから来た。名前は聞いたのか。」  「分からない。言葉が通じないみたいだ。」  「カミュ・・・」  少女はカミュを見た。  「私を助けてくれた・・・」  「ん・・・分かるのか・・俺たちの言葉が・・・」  ディアスが少女に声を掛ける。  「さっき、ごめんなさい。取り乱して・・・あなた達、悪い人じゃない。私、分かる。」  「俺はディアス。あんた名前は・・・」  「私、ティア。ルミアスの民。」  「やっぱり・・・でもそれは・・・」  「お伽噺か・・・しかし、現実に俺たちの前にいる。」  「カミュ、大丈夫か。あの娘(こ)はどうなった。」  大声と共にサムソンが木こり小屋の中に入ってくる。  「あっ、気が付いたのか。俺、サムソン宜しく。」  「えーっと、薬と食べ物。そして着るもの。昨日、カミュがビリビリに破いちゃったからな。でも、かあちゃんのだからちょっと大きいかもな。」  「おまえの母さんのなら、ちょっと大きいぐらいじゃすまないだろう。」  ディアスがサムソンの話を混ぜっ返す。 部屋の中に男達の笑い声が響く。それにつられ、少女も頬を崩す。 ディアスが真顔で話し始める。  「さて、これからどうするかだな。ティアはまだまともに歩けないだろうし・・・」  「冬に向かってだんだん寒くなる。すきま風だらけのこの小屋で一冬越すのは厳しいだろう。かといって村には連れて行けない・・・どうする・・・」  「うん・・・今は・・分からない。とにかくしばらくの間、ここに匿っていて本格的に寒さが来る前に方法を考えようよ。」  カミュがディアスに応える。  「よし、まず壁板を打ち直して、ベッドを作って・・・」  「アーァ、脳天気だなァ・・・ほんとにお前は・・・」  ディアスの言葉にサムソンが頬を膨らます。 「迷惑掛けられない。私、出て行く。」  少女の言葉が間に分け入る。  「ちょ・・ちょっと待った。ティア、君はまだ歩けないだろう。当分の間は傷の養生をしなきゃあ・・・無理だよ・・出て行くなんて・・・・」  「そうだよ、まだ、だめだ。」  サムソンもカミュと一緒になって少女を止める。  「仕方がない。結局サムソンの脳天気な意見をまず採用か・・・」  干し草のベッド、暖を取るための薪割り。こういう仕事になると、サムソンは生き生きと働き、てきぱきと物事をこなしてゆく。  「後は・・板か。壁の隙間塞ぎにどうしてもいる・・だけど、こればっかしはここのぼろ板じゃあどうにもならない。  それにベッド用のシーツ、毛布・・まだまだ物が足りない。」  「シーツと毛布は、僕が・・・でも、壁板は家には・・・」  「壁板は何とかするよ。  それよりカミュ、夕べからお前の姿が見えないと、お前のおばさんが心配していたよ。  今晩もここにお前が泊まり込むとしても、荷物取りのついでに夕方まで村にいたらどうだい。」 「ウン、そうする。村のみんなに知れたら、元も子もないからね。」  サムソンの言葉にカミュは頷いた。  カミュとサムソン、二人が村へ戻った。  サムソンは壁板の調達に村を駆け回り、カミュはまず、おばの家へと向かった。  「お前は死んだ姉さんから預かった子だからって、家の小屋に住ませ、食べ物まで与えてやっているというのに・・・ほんとに世話が焼けるねェ。一体全体、昨日はどこへ行っていたんだい。」  口やかましおばさんの小言が始まる。  小一時間も小言を聞かされたあげく、  「ほんとにもう、誰に似たやら・・・」  と、いう捨てぜりふと共に、やっと解放された。  自分にあてがわれた小屋に帰る。  ピュロ、ピュロロロロ  小さな可愛い鳴き声がカミュを迎える。  「ピュロ、今帰ったよ。ちゃんとご飯は食べたかい。」  テーブルの上でカミュを見上げる小さな鳴きトカゲに声を掛ける。  ピュロ、鳴き声からそう名付けた。この夏バルドモス山でサムソンの父親の手伝いをしていたときに見つけたトカゲだ。  鳴きトカゲかと思ったが、その姿から鳴き声まで普通の鳴きトカゲとは違った。それからは、家に連れて帰り、大事に育てていた。  ピュロの餌の世話を終え、二人分のシーツと毛布の準備をする。そして、ピュロを肩に何気ない顔で村中に出る。  母が残したなけなしの金で、狩り用の弓と身を守るための粗末な短剣を買った。 一方、壁板の調達に走ったサムソンは、あちこちで古い木こり小屋の修理と話していた。 「おい、サムソン。その、木こり小屋の修理ってのは、お前の親父さんも知っているのか。」  木材を売りさばく親父に訊かれる。  「俺も、もうこの年だろう。そろそろ独立しようかと思ってね。」  「ハハハハ・・・いい女でも出来たか。」  「それが、山で・・・おっとっと、これ以上は・・・言えない、言えない。」  そんな噂をカミュが聞きつけ舌打ちをする。 (これじゃあ、自分で言いふらしているようなものじゃないか、あぁ・・サムソンのやつ・・・)  まず、大きな風呂敷包みを背負ってカミュが山道を登ってきた。その肩には小さな鳴きトカゲがちょこんと座っている。  囲炉裏の奥に荷物を置きディアスと話し込む。そこへ、壁板を担いだサムソンがフゥフゥと息を切らして入ってくる。  「アァ・・きつかった。壁板・・・」  そこまで言って、二人の厳しい目に気付く。 「なんだヨ・・俺が何か・・・」  「今、カミュから聞いたんだが・・お前、あちこちでこの小屋のことを話しているそうだな。」  「そんな・・・責めないでくれよ。ああでも言わなきゃ壁板なんて売ってくれないんだから。」  「まあいい・・・これからはあれこれ、余計なことまで口にするんじゃないぞ。」  「分かったよ・・・。分かったからそんな目で俺を見るなよ。」  サムソンは泣き出しそうな表情で壁板を外に運び出そうとした。  「今からじゃ、もう遅いだろう。後はカミュに任せて、俺たちは山を下りるぞ。」  サムソンは頬を膨らませ、渋々とディアスの後ろをついて行った。  その夜は、ティアは傷による熱にうなされることもなく、干し草と毛布のおかげで二人ともぐっすりと眠ることが出来た。  翌朝、朝食を終えた頃、サムソンが独りで現れた。  「今日はディアスは来ないって・・・あんまり頻繁に二人で山に出入りすると怪しまれるとか言って・・・二・三日は俺独り・・その間に壁の修理をしておく。」  さすがにディアスは、細心の注意を払ってティアを匿おうとしている。  カミュもティアのことが村人に知られないよう、自分の行動を正当化する言い訳を考えながら山を下りた。  村に入り、まずおばの家を訪れる。  「おばさん、おばさん・・いますか。」  「なんだいこの子は、また朝帰りかい。どっかの悪い女にでも引っかかったのか。  子供のくせに・・・」  不機嫌そうな叔母の声が返ってくる。  「いえ・・・悪い女だなんて・・・。」  「それより、相談があるんですけど。」  「なんだい、わたしゃ忙しいんだから、手短に頼むよ。」  「これ、昨日買ったんです。」  カミュは狩り用の弓を叔母に見せる。  「それで・・・」  叔母の冷たい声が響く。  「あのぉ・・僕、狩りに出てみようと思って。」  「狩りって・・あんたまだ十四だろう、そんなことより死んだお前の父さんの跡でも継いで、鍛冶屋の修業でもしたらどうだい。」  「あぁ分かった。ディアスの影響でも受けたんだろう。あんまり悪い友達を持つもんじゃないよ。」  それからまた、叔母の小言を聞かされる。 それでも、やっとの事で叔母を説得し、三日後から山に籠もることにする。
/77ページ

最初のコメントを投稿しよう!

44人が本棚に入れています
本棚に追加