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第一部 旅立ち 第三章 帰郷(2)
× × × ×
クローネンス山地の東側。海に面した険しい断崖の上を進む。
「カミュ、ボーッと歩くな。海に落ちるぞ。」
ダルタンとドリストの話を聞いて以来、カミュは考え込むことが多くなった。今も断崖に沿った細い道を歩きながら考え事をしている。ディアスにはそれが危なかっしくてしょうがない。今は只この道を越える、そのことだけを考えるようにカミュに注意する。
しかし、カミュはまた・・・。
断崖の上の棚に身を寄せるようにして睡眠を取る。そんな日が十日も続いた。寝不足で疲れた頭と躰で足を運ぶ。だが、ダルタンの話しによればそれも今日で終わる。それまでは事故の無いようにと・・・ディアスはそればかりに気を遣っていた。
そんな中、ピクスがダルタンに何かを耳打ちをする。
「この先の広くなったところで、山賊が十数人、戦闘準備を整え我々を待ちかまえているという。バルバロッサとは違うようだが、戦いは避けられぬ。」
ダルタンの声に、ディアスが応える。
「ダルタン、馬でその中を突っ切ることは出来ますか。」
ダルタンが頷く。
「サムソンとカミュは前に出てティアとロバを守る。ティアは後ろから弓で二人の援護。とにかく敵を近づけるな。」
「お前は・・・」
サムソンが疑問を挟む。
「俺か・・・俺は岩山を登る。俺が上でこの布を振ったら、ダルタン、頼みます。」
「解った。」と、ダルタンが肯いた。
一本の蔦を頼ってディアスが崖を登り、そのまま何処かへと消えた。そして暫く時がたち岩山の奥深くで白い布が大きく振られた。
ダルタンが馬を駆り、山賊の中に突っ込み、その中を横切る。山賊の一部はダルタンを追い、残りは奇声を上げながら、カミュ達に向かった。
カミュとサムソンとティアは、それに弓で応戦する。それでも矢を潜り抜け一人の山賊がカミュとサムソンに迫った。ティアはその外の山賊の応対に追われ、その男を狙うことが出来ない。
山賊が斧を振り下ろす。
ティアが後ろで悲鳴を上げる。
サムソンが自分の斧で相手の斧を受け止める。
力ではサムソンが上回っているように見える。
じりっと山賊が押し返される。
ぐらっ山賊の体勢が崩れる。
その隙を狙って、カミュが足に切りつける。
悲鳴を上げ山賊が倒れる。
その上にサムソンがのしかかり、山賊の胴を力任せに締め上げる。
山賊が苦しそうに呻く。それでもサムソンは締め上げる。
ボキボキと肋骨の折れる音が響く。
それでも、サムソンは山賊の胴を締め付ける。
山賊が口から血泡を吹く。
しかしサムソンは力を抜かず、無我夢中で山賊の胴体を締め上げ続けた。
(敵の頭は・・・)
指揮系統をつぶせば、敵は浮き足立つ。ディアスはそう考えた。
目をこらして敵の中枢を観察する。すると、二つに分かれた敵の中で、未だに真ん中に居座り様子を見つめている男がいた。
(あいつだ。)
ディアスは気付かれぬよう細心の注意を払いその男ににじり寄る。二の矢、三の矢はない。一撃で相手の急所をつく。そして、飛びかかり止めを刺す。要領は狩りと同じ。
ここなら外すことはない、と言うところまで近づいた。
相手の眉間に狙いをつける。しかし、相手は獣ではなく人間。
ガクガクと手が震える。
汗が目に入る。
狙いが定まらなくなる。
堪らず弓を下ろす。
静かに一つ息をつく。
思い直したように、もう一度狙いをつける。 そこに、ティアの悲鳴が聞こえた。
矢を放つ。
山賊の頭、眉間に矢が突き刺さる。
「誰だ・・・」
と、大声を上げながら、男の巨体が崩れ落ちる。
その躰に駆け寄る。
胸の中央をめがけ、剣を突き立て抉る。
ブルブルと全身が震える。
山賊の胸の刺し傷から血が噴き出す。
その生臭さに吐き気が襲う。
そこから先は覚えていない。気がつくと山賊は消え去り、息絶えた山賊を締め付け続けるサムソンを見下ろしていた。
「もういいよ、サムソン・・・そいつは死んでいる。」
サムソンの腕は凍り付いたように固まり、山賊の躰から離れない。その手を泣きながらカミュが解き放つ。
誰もが初めて人を傷つけ、人の命を奪った。
傷つけなければ、殺さなければ・・殺されていた。それは解っている。しかし、何かが心から欠け落ちたような喪失感を味わった。
「酒があったぞ。」
と、騒ぐダルタンも、その眼は暗く沈んでいた。
大食らいのサムソンが目の前の食べ物にも手を触れず、ガタガタとふるえていた。自分が絞め殺した山賊の断末魔の血走った眼が、今も眼前に迫る。
そして、
「俺を殺したのはお前か」
と、サムソンを責め続ける。
ディアスは時々吐き気に襲われた。刺し殺した山賊の心臓から吹き出した生臭い血の匂いが、今も鼻の奥に残っていた。その匂いが吐き気を誘った。
カミュもティアも殺しはしなかったものの、人を深く傷つけたことで心に傷を負った。
誰も言葉を発しない。
遂さっきまで騒いでいたダルタンさえもが・・・。
戦とは身を守るためとはいえ、多くの人を傷つけ、多くの人の命を奪う。そしてその度に自分自身も傷ついていく。それに耐えられるのか。それとも人を殺すことに慣れていくのか・・それとも心が麻痺していくのか。
解らなかった・・
それは、ここにいる誰にも解らなかった。
黙々と沈鬱に山を越え、草原に出る。その向こうに台地と雪を抱いた山々が見える。そこにドリストに聞いたティアの故郷、月の谷がある。本来なら目的地が見え足取りも軽くなるはずであったが、皆、あの戦闘を引きずり心も体も弾まない。
「見えたな・・・」
ダルタンが最初に口を開いた。
「俺もお前等と同じ、初めて人を手に掛けた。だがもう、何時までも落ち込むのはやめにしないか・・・」
「殺らなければ、殺られている。戦いとはそうしたものだ。」
「そうだよな、今はまだバルバロッサだとか、山賊だとかですんでいるが、何時また・・・その時が本当の戦い。昨日以上の人を手に掛けなければならなくなる。その度に落ち込んでいちゃあ戦なんて出来ない。」
ディアスは自分に言い聞かせるように、そう応えた。
× × × ×
ロニアスを迂回し、北へ馬を急がせる。
ティア達がロニアスの村を去ったのが五日ほど前。ロバを曳き徒歩でクローネンス山地の北を目指したという。ここから馬をとばせば五日と掛からぬ行程。
ティアはどうしているのか。イシューはそればかりが気に掛かった。
草原の中で夜を迎える。
焚き火を囲み、ワインを酌み交わしながら、ダイクがローコッドに尋ねた。
「王様はなぜあんなに戦闘を恐れる。かつてはアリアスの軍に参加し、【草原の槍】とまで呼ばれた人が・・・」
「ん・・・それは違う。王は戦闘を恐れているわけではない。民が戦争に巻き込まれることを恐れていらっしゃる。」
「しかし、この大陸にいくつもの国がある限り、戦争は無くならないんじゃ・・・」
「その通りだティルト・・人の欲望は深い。その欲望を満足させるため、自分の意見だけを通すため、人は最期には武力に訴える。」
「だから父上は月の谷に閉じこもり、門を閉じ、他国との関係を絶ったという訳か・・・」
「その通りです。他国と関わりを持てば、自ずと利害関係が生まれる。それが共有出来ている内はよいが、価値観の違いが対立を生む。それが高じると戦争へと発展して行く。」
「陛下はアリアスの戦いで何を見た。」
「略奪、暴行、裏切り、その外あらゆる蛮行。醜いものは全てという程見たとおっしゃっておられた。」
「父上はアリアスと共にいたのでは・・・」
「いや、王はモアドス・ロマーヌ連合軍が着くまでのサルジニアの守りを任され、その後はケムリニュスの護りに就いたという。」
「だからか・・・悲惨なものを見過ぎたというのは・・・」
「そう、サルジニアで起きた連合軍の略奪、暴行そして内紛、裏切り。王は醜い人間達の姿を見てきていらっしゃる。」
「そう言うものの中に民を巻き込みたくない、と王様が考えるのも当然か・・・」
「いや違う。」
ティルトの呟きにイシューが反論を唱える。 「自分たちは閉じこもっていても、他者は関係を強要してくる、それを避けるためには・・逃げ回るしかない。それでは国を護ることにはならない。」
「確かにそうかも知れない。しかし我々は現在の王の考えに従うべきだと思う。事実、ルミアスは今、平穏を保っている。」
「イシュー様の言ももっとも。ティルトの言葉もしかり。
しかし、それが価値観の相違というものかな。」
ローコッドの言葉を区切りに皆は眠りに就いた。
今日もまた草原に馬を走らせる。クローネンス山地の北側を目指し気が急ぐ。その後を狼たちが追う。それをイシュー達三人が交互に矢で射る。狙い澄ました矢が狼を射抜く。その度にローコッドが感嘆の声を上げる。只、ダイクの射る矢だけがたまに外れた。ローコッドがそれをからかう乾いた笑い声が野に響く。
クローネンス山地の姿が大きくなってくる。その中で、先頭を行くダイクが大声を上げた。 「あの枯れ木、動いてないか。」
「そんなことはないだろう。目の錯覚だよ。お前の矢が当たらないのは、その目のせいか。」
ティルトが笑い飛ばす。
「いや確かに・・動いている。」
イシューが言葉を返す。
(枯れ木)
目をこらす。しかし何も見えない。
ローコッドの目には見えない遠くの情景が、エルフの目には見えている。
「あの枯れ木、捕まえるぞ。」
イシューとティルトが馬の速度を更に上げる。
馬が二頭、自分を目指して駆けてくる。
(見つかったか)
ドリストは臍をかんだ。しかしもう遅い。だが彼らが拡げた網に捉えられるのは、彼の自尊心が許さない。
二頭の馬が間近に迫るのを待ち、大声を上げる。
「儂の名はドリスト。儂を網で捕獲しようとはどういう了見だ。」
当たりに響き渡るその声の大きさに二頭の馬が怯え、急激に止まった。イシューとティルトはつんのめりながらも、辛うじて落馬を免れた。
知の民ドゥリアード。二百年以上生きるエルフ族よりも遙かに永く生き、世の知識を集める種族。二人の尊敬に値する種族だ。彼ならティアの行方をあるいは・・・
馬を下り話しかける。
「ドゥリアード様。」
「ドリストでよい」
「それではドリスト。貴方はエルフの娘をご存じないか。」
「ティアのことか。」
「ティア・・そうティアです。貴方は何処(どこ)でその名を・・・」
「儂の友人が今、そなた達の国へ向け誘(いざな)って居る。もうそろそろ着く頃ではないかな。」
「ティアは月の谷へ・・・」
「もう一人・・・」
フェイが声を掛ける。
「うむ、バルバロッサに捕まったと言う娘のことか。」
「そうです。」
「風の便りによれば、その娘はドワーフの男に助けられ、その男と共に旅をしていると聞く。」
「何処へ・・・」
「それは儂にも解らぬ。」
「今でも生きていると。」
「旅をしているのじゃからな。判りきったことを訊くものではない。」
「イシュー様、月の谷へ帰りましょう。」
「ルシールは・・・」
「生きてさえいればまたどこかで会える。今は月の谷へ・・・」
「ほう・・ドゥリアードとは珍しい。」
遅れてきたローコッドが声を掛ける。
「ほっほっほっ・・そう言う魔道士がエルフと一緒とはまた珍しや。」
「私をなぜ魔道士と・・・」
「見れば判る。」
ドリストはそれ以上は答えなかった。
「とにかく月の谷へ帰ろう。」
ダイクの声に全員が馬に跨る。
「待たぬか。儂の友人がティアを連れて居ると言ったであろうが。儂もルミアスに連れて行かぬか。」
「承知しました。」
イシューの声にダイクが自分の馬の上にドリストを担ぎ上げた。
× × × ×
断崖を蕩々と流れ落ちる滝。その前に五人は立った。
「こんな所にほんとに道があるのか。」
サムソンが口にする。
「ついてきて。」
ティアが先に立ち、滝壺の横の道に入って行く。飛沫に濡れながら滝壺の裏にはいる。滝の裏には大きな洞窟があり、真っ暗な道が中へと続いている。
「ほんとに大丈夫か。」
「怖がるなよサムソン。だが、何が出るか判らんぞ。」
ディアスがサムソンをからかう。
一行の一番後ろではダルタンが用心深く目を光らせている。
「火を・・・」
ティアの声にカミュが火打ち石を打つ。松明に灯が点り辺りを照らす。
「松明は一本だけにして。」
外からの目を気にして灯りは最小限に抑える。
松明の先に見えるのはウネウネと登る一本の道。そこに足を踏み入れる。
足下に気をつけながら小一時間も登ると、太陽の下に出た。
狭い谷の先に建物が見える。
「あれが下の砦・・・あぁ、やっと帰って来れた。」
砦から何頭かの馬が駆けてくる。
「止まれ。何者だ。」
「ヴィフィール。私よ・・ティアよ。」
「ティア様・・・良くご無事で・・・」
砦に知らせが走る。
ゆっくりと砦に向かうティア達の前に、イシュー達の捜索を任せられたマーランが馬をとばしてきた。
「ティア様・・・してその者達は・・・」
「私を助け、ここまで連れてきた人たち。粗相の無いようにお願いします。」
「判りました。しかし、まず陛下にお伺いを立てませんとこの先へは・・・」
「そうね、それまでは私もここで待つわ。」
「しかしティア様・・・」
「それじゃあ、この人達も別邸に案内して。」
「仕方がない・・・」
一行はティアを先頭に別邸へ向かった。
夜を徹して駆けた使者の馬が、二日後の正午前に下の砦に戻った。
久しぶりにゆっくりとした朝を迎えた五人が別邸から砦の広間へと呼び出される。
威厳をただしたマーランが五人に呼びかける。
「王の裁定が下った。
皆の者王宮へ招致。王の謁見を許す。
その際、王よりダルタン、ディアス、サムソン、カミュへの感謝の言葉が下される。」
「明朝、ここを起ち、明日は中の砦に一泊。三日後に王都へ入る。拝謁は四日後となる。」 「但し、それまでは月の谷を出ることは許されぬ。・・・以上が王のお言葉である。」
別邸で賓客としてもてなされ、サムソンは上機嫌で食事を頬張り、ダルタンは酒に酔う。
しかしそうした中、ディアスがカミュに声を掛けた。
「さてここまで来た。だが、この後のことだ。王様に感謝されるのは良いがその後だ。俺たちは帰る所を持たない。
俺はフィルリアからレジュアス、今の世で強国と言われている国を見て回っても良いとも思うが・・・お前はどうする。」
「僕は・・出来ればここに残りたい。ここには僕の知らない知識がいっぱいありそうな気がする。それを勉強したい。」
「俺にもその気はある。しかし置いてくれるかどうか。」
「それは私がお父様にお願いします。」
そこにティアの声。
「それは助かる。
しかし、この国も外の世界から隔絶されている。外の情報に疎くなる可能性も・・・」
「ピクスがいるだろう。」
聞くとはなしに聞いていたダルタンが横から口を挟んだ。
王宮の謁見の間に於いてディアス達四人が王の言葉を聞いている頃、イシュー達が下の砦に着いた。
ティアの帰郷を知ったイシュー達は、すぐにでも王宮へ帰ろうとしたが、ヴィフィールに王の沙汰を待つようにと押し止められた。
早馬が王宮に着く。
ティアの帰郷にあれだけ喜んだブリアント王がイシュー達の帰還には怒りを爆発させた。
それもマーランのとりなしにより何とか押さえられ、イシュー達は下の砦に於いて十日の謹慎。しかし、その中にドゥリアードの存在を知り、彼だけは王宮に招致と言い渡した。
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