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星の川の下
『今夜は仕事で遅くなる。悪いけど、先に寝ていてくれ』
俺は彼女にそう連絡すると、スマートフォンを鞄にしまった。
君に黙ってこんなところに来るなんて、申し訳ない。
俺は彼女への背徳の気持ちを体から吐き出すように深呼吸をすると、仕事帰りのスーツ姿には似合わない望遠鏡の入ったケースを持ち直し、丘の頂上への階段を上り始めた。この階段は普段歩いているようなコンクリートでできているものではない。丸太と土で作られた俺の履いている革靴では上りづらい階段である。
俺が仕事帰りに重い望遠鏡を持ってこんな辺鄙な場所に来ているのには、もちろん理由がある。しかし、それは彼女に伝えたような理由ではない。俺はこんな場所に来なければならないような仕事は滅多にしない。
俺はある人に会いに来たのである。この丘の上にいる星が出会わせてくれた俺の忘れられない人に。
じんわり汗をかきつつ、俺は丘の頂上に着いた。涼しめの夜風が汗で背中に引っ付いたシャツを爽やかにはがした。
丘の上には一軒の店が建っている。ログハウスのような外観のお洒落なカフェである。しかし、店内の灯りはもうすでに消えていて、ドアには『CLAUSE』のドアプレートがかかっている。
「戸川くん?」
俺がぼっーと立っていると、建物のわきから一人の女性が姿を現した。店のロゴが入ったエプロンを着て、少し長めの髪を後ろで束ねた美しい人である。彼女こそ、俺が忘れられない――初恋の人なのである。
「小田桐さん、久しぶり」
「嫌ねえ。久しぶりなんて言わないでよ。毎年決まって会ってるんだから」
外見もさることながら、ミステリアスなその声も彼女の美しさを成す要素なのである。
「戸川くん、飲み物はブラックコーヒーでいい?」
「うん、お願い」
「はい」
小田桐さんはそう返事をすると、建物の中に戻っていった。
一方の俺は鞄と持ってきた望遠鏡を自分のわきに置いて、ガーデン席の椅子に座った。まだ蝉のいない初夏の夜は去年と変わらないさらさらと風だけが小さく鳴く静かな空間だった。
都会はビルが建ったり道路ができたり、一年であれだけ変化があるのに、ここだけ時が止まったみたいだ。
俺はまた今年も同じことを思った。きっと、この場所は都会のある世界から切り離された別世界なのだ。そして、一年に一度、俺はここに来るまでの道を橋にこの世界に来ることができるのである。
少し待つと、店の中から二人分の飲み物を持った小田桐さんが出てきて、俺の正面に座った。
「お待たせ」
お洒落な星の柄がついたマグカップに入れられたブラックコーヒーが俺の前に置かれた。コーヒーの表面からゆらゆらと湯気が上る。
「ありがとう」
俺はマグカップを持ち、コーヒーに口を付けた。美味い大人な苦みが口にふんわりと広がっていく。
「今年も綺麗に見えるわね」
その声でマグカップから顔を上げると、小田桐さんは空を見ていた。俺もつられて空を見上げた。
その空には綺麗な大きな川が流れていた。それは夏の無数の星々が作る夜空に流れる川――天の川である。
「織姫と彦星はちゃんと会えているかしら」
夜空の下でそう呟く彼女はそれこそ地上に舞い降りた織姫のようだと言っても過言ではないほど美しかった。
しなやかな体はしゃんと伸び、今日も忙しく仕事をこなしていたであろうにも関わらず、綺麗な黒髪は整っていて、夜空の光でほんのり大人の色気のある艶やかさを放っている。しかし、顔を見ると、その星の川を見つめる目は曇りのない純粋無垢な少女のものであった。
……だから、いつまでも見惚れてしまうんじゃないか。
「ねえ、戸川くん。私たちって織姫と彦星みたいじゃない?」
夜空を見上げる小田桐さんが唐突にそう言った。
「そ、そんなこと! 毎年七夕に会ってるからって、別に俺、そんなつもりはなくて……その、なんて言うか……ええっと……」
俺が弁解に困っていると、
「冗談よ」
と、小田桐さんはいたずらっぽく笑って、俺の方を向いた。
「私と戸川くんは恋人じゃないもの。それに私たちの間には天の川のような隔てはないし、七月七日に会ってるのも、毎年小さな同窓会を開いているだけ。私たちは織姫と彦星じゃない」
そう言うと、小田桐さんは自分のマグカップに口を付けた。
俺もほっと胸をなでおろして、ブラックコーヒーを飲む。
「そうだ、恋人と言えば。戸川くん、彼女さんいたよね」
小田桐さんは当たり前のようにそう訊いた。俺が彼女に「恋人ができた」と話した覚えはないのだが、どこからか風の噂で聞いたらしい。まあ、彼女と俺は同級生なのだから、偶然そんな情報を耳に入れていても全く不思議ではない
のだが。
「うん」
「どう? 仲良くやってる?」
「うん、喧嘩もほとんどしないよ」
「そうなんだ。良かった」
そうだ。俺は今夜、小田桐さんに伝えなければならないことがあってここに来たんだ。
俺は持っていたマグカップをテーブルに置いて、姿勢を正した。
「小田桐さん」
「なに?」
「俺、実はその彼女と結婚することになった」
俺はとうとう今夜の本題を切り出した。
「そうなんだ、おめでとう」
意外にも小田桐さんは落ち着いたトーンでそう言ってくれた。それもそうか。想っていたのは、俺の一方通行なのだから。
「それで、俺、結婚したら彼女の仕事の都合で引っ越すことになったんだ。その先が結構田舎で、しばらくこっちには来れないかもしれない。だから、こうやって毎年会うのも今日で終わりにしたい」
「……そっか。結構田舎だったら仕方ないね」
「だから、これを預かってほしいんだ。彼女に引っ越す先に持っていけないって言われちゃって……」
俺は足許に置いた望遠鏡を持ち上げた。
「これってもしかして、中学の天文部にいたときに私が戸川くんにあげた望遠鏡じゃない?」
「そう! よく覚えてるね」
「もちろん。だって、なかなか人に望遠鏡なんてあげないから」
「たしかに。珍しいプレゼントだったよ」
「それにしても、どうして望遠鏡を預かってほしいの? 引っ越した先でも星は見えるでしょう」
「そうなんだけど。実は彼女に、望遠鏡を使わないなら引っ越しを機に処分してほしいって言われちゃったんだ。でも、まだ使えるし、せっかくなら使う人に預かってもらおうと思って」
「そうだったのね」
「うん。せっかくいただいたものを返すようで悪いんだけど、預かってもらえる?」
「ええ、もちろん。ありがたく使わせていただくわ。ありがとう」
そう言うと、小田桐さんは望遠鏡をケースから出し、素早く組み立てた。学生服を着ていたころから無駄のない手際の良さは変わらないようだ。
小田桐さんは組み立て終わると、手早く調整をし、レンズを覗いた。
「うん、うん。よく見える」
そう言って星を見る小田桐さんは三つ編みで学生服を着こなしていたあのころと何ら変わらない、少女の顔だった。
そういえば、俺は中学生のころからずっと、星じゃなくて彼女を見ていたんだったな。
彼女の星に夢中な横顔を見て、俺はそう思った。
「ねえ、戸川くん、覚えてる?」
望遠鏡を覗く小田桐さんが唐突にそう訊いてきた。
「中学の天文部で、泊りがけで星を見に行った日の夜のこと」
「うん。覚えてる」
「あの夜もこんな感じで星が見えたよね」
あの夜は忘れるわけがない。小田桐さんと俺にとって……いや、少なくとも俺にとっては特別な夜だったのだから。
あの日は天文部で合宿に来ていた。都会から離れた、夜になったら街の光がなくなるような自然豊かなところである。
その日のメインイベントである天体観測は滞りなく終わった夜のこと。深夜になっても俺は眠れなかった。宿の布団が合わなかったのか、それとも慣れない土地で緊張していたのか。なぜか俺はどうしても眠りにつくことができなかったのである。
布団の上でぼっーとしていてもこのまま朝を迎えてしまうだけだと思った俺は上着を羽織り、外に出た。とはいっても、この宿の周りで行く場所と言ったら、さっき部員で天体観測をした小高い丘しかないのだが。
梅雨もまだ明けない涼しい空気の中、俺は丘を登った。ほんの数時間前に部員みんなで歩いたところなのに、一人だったそのときは、自分の息の音がはっきりと聞こえたのを覚えている。
俺は土の道を歩き、丘の頂上に着いた。そこは開けていて、何も邪魔するものがなく、一人静かに外の空気を吸うには持って来いの場所だった。
しかし、そこには予想外にも人影があった。その華奢なシルエットは明らかに女子のものだった。
また、その人影は草の上にしゃがみ、望遠鏡のレンズをのぞいているようだった。背筋が美しくしゃんと伸び、じっと夜空を見ているのである。
しかし、その人影は俺の知らないものではなかった。
「小田桐さん、こんなところで何してるの?」
そこにいたのは、天文部の女子部員である小田桐さんだった。このころから彼女はすでに大人びた人で、周りの女子生徒とは明らかに雰囲気が違った。そのときに学校のマドンナだったかは俺にはわからないが、少なくとも天文部の男子の憧れの人であり、高嶺の花だった。もちろん、俺も彼女の魅力にとりつかれた男子の一人である。
俺が声をかけると、小田桐さんは望遠鏡のレンズを覗いたまま、
「星を見てるの」
と、静かに言った。
「それはわかるけど……星ならさっき、みんなで見たじゃないか」
「私は今の時間の星が見たいの。星は時間によって見え方が変わるから」
俺は彼女ほど星が好きなわけではないけど、そう言われると、今見える星がどんなものか興味がわいた。
俺はゆっくり空を見上げた。たしかに小田桐さんの言う通り、その空はさっき部員たちと一緒に見た星空とは違っていた。
そこには大きな川が流れていたのである。無数の星たちで作られた星の川――かの有名な天の川である。図鑑や写真集では見たことがあったけど、実物は初めてだった。
「さっきは見られなかったでしょ」
小田桐さんはレンズを覗いたまま、穏やかな顔でそう言った。
「ところで、戸川くんはどうしてここに?」
小田桐さんは訊いた。
「眠れなくて、外の空気でも吸おうかなと思って」
「そう」
すると、小田桐さんは望遠鏡から顔を上げた。
「じゃあ、眠りたいなら、私が眠れる話をしてあげるわ」
「眠れる話?」
「ええ。私の夢の話」
夢の話!
その意外な話のテーマに俺はとても驚いたのを覚えている。普通、眠くなる話と言ったら、昔話とか子守り歌とか、そういう類のものだろう。自分の夢の話なんて、その類のものとは結構かけ離れているのではないだろうか。
でも、そうだから、俺は余計にその夢が何なのか気になってもいたのである。
「どんな夢?」
俺は小田桐さんに話を促した。
「将来、綺麗な星が見える場所にカフェを開くの」
「へえ、カフェか!」
「そうよ。お店の中には本にまつわる本やインテリアをたくさん置いて、コーヒーを入れるマグカップも可愛い星柄にするの。それで天井はガラス張りにしてお店の中から星空を見えるようにしたいなあ。それで、お店の外には望遠鏡を置いて、お客さんが自由に星を観察できるようにするの」
小田桐さんは夜空を見上げながら夢についてそう話していた。その彼女の目はきらきら光り、強く希望にあふれていた。
そして俺は、なぜかそんな彼女に吸い込まれるような感覚に陥った。周りの草木や風、彼女の声さえもすうっとなくなったのである。
さらさらと風に撫でられるセミロングの黒髪。やわらかにきらきらしている目。すべすべしていそうな肌。すらっとしたシルエット。
彼女の何もかもから目が離れない。そして、離したくない。
俺は、立派に恋に落ちた。
「どう?」
俺が小田桐さんにぼっーと見惚れていると、彼女がこちらを向いた。
半分も内容が頭に入ってこなかった俺は返答に困って、とりあえず、
「叶ったら素敵だね」
と、答えた。
すると、小田桐さんは、
「戸川くんは私のこの夢が叶うと思う?」
と訊いた。
「どうかな。叶うかどうかはわからないけど、俺は叶ってほしいと思う」
この無責任な男め!
俺は自分をひっぱたきたかった。「応援する」とか「君ならできる」とか、そういう背中を押すような言葉を言ってあげるべきだろう!
しかし、小田桐さんはそんな俺の後悔など気にも留めない様子だった。むしろ、
「そう言ってもらえて嬉しい」
と言った。
「まさか、こんなふうに言ってもらえるとは思わなかった」
「どうしてそう思うの?」
「だって、小学生みたいな夢じゃない? 将来の現実とか、自分の実力とか、そういうものは一切考えていない、ただの夢。もう大人に近づいているんだから、そうロマンティックなことは言っていられないのって」
「誰かにそう言われたの?」
そう訊くと、小田桐さんは首を横に振った。
「言われそうだったから、今まで誰にも話さなかった。この夢の話をしたのは戸川くんが初めて」
「そうだったんだ……」
重大なことを聞かされた気分だった。本当は踏み込めないところに踏み込んでしまったような、緊張する瞬間だった。
「ねえ、戸川くん。一つ約束してほしいことがあるの」
小田桐さんが言った。
「もし私が本当にお店を開くことができたら、お店に来てほしいの」
「俺が行っていいの?」
「もちろん。出来れば毎日来てほしいけど、それは難しいから……」
すると、小田桐さんはゆっくりと夜空を見上げた。空には輝きながらゆったりと流れる天の川が横たわっていた。
「一年に一度、七夕の日に来てほしい。それで二人でコーヒーでも飲みながら、こうやって天の川を眺めるの。そんなことが出来たら素敵でしょ」
「うん」
「そうだ! じゃあ、その約束の印として、この望遠鏡をあげる」
すると小田桐さんはそう言って、さっきまで覗いていた望遠鏡を指した。
「いいの?」
「ええ。契約書みたいなものよ」
「でも、こんな立派なもの……俺は小田桐さんみたいに星に詳しくないし……」
「大丈夫。戸川くんなら大事に扱ってくれるでしょ」
小田桐さんはそう言って、夜空の下、優しく微笑んだのだった。
「まさか、本当にカフェを開いちゃうなんてね」
俺は立派な建物を眺めながら言った。
「そりゃあ、戸川くんに言ったからには叶えないわけにはいかないでしょう。でも、天井をガラス張りにすることはできなかったけどね」
小田桐さんはそう笑う。
「それに、私だって、本当に戸川くんが毎年七月七日に来てくれるなんて思わなかった」
「だって、約束だったじゃないか。約束したからにはちゃんと来ないと」
「じゃあ、お互い様ね。お互い、相手のためにあの夜を覚えてた。ありがとう、戸川くん」
「お互い様なら、俺だって礼を言いたい。ありがとう、小田桐さん」
俺たちは互いに顔を見ながら、笑い合った。そういう俺たちは本当に素直で、まるであの夜に戻ったようだった。
そのとき。
ピロン、ポロン。
俺のスマートフォンに着信がきた。メールが届いたのである。
俺は小田桐さんに「ちょっと、ごめん」と断ってから、メールの中身を確認した。送り主は、家で俺の帰りを待つ彼女である。
『まだ帰ってこられない?』
彼女がこんな連絡をよこすなんて珍しい。まあ、俺がこんな夜遅くまで連絡もせずに外出していること自体が稀だから、当然だ。
俺はスマートフォンをしまうと、小田桐さんの方に向き直った。
「ごめん、小田桐さん。急だけど、もう帰ることにするよ。彼女が心配してるんだ」
「そう、それなら仕方ないわね」
小田桐さんがそう言うと、俺たちの間に妙な間ができてしまった。
それはお互いが動くのをためらっているようだった。まだ一緒にいたいというわけではないのに、離れてしまうのは惜しいといった感じである。
これが長く続いてほしいとは思わないが、ほんの少しだけこんな空間にいたいという感じ。きっと、俺たちは共通してこの微妙な空気感が好きなのだ。だから、毎年、こうやってやめることなく、小さな同窓会を開いていたんだ。
俺はこの他では生まれることのできない間でそんなことを考えていた。
すると、無言に耐え切れなくなった小田桐さんが、
「じゃあね」
と声を発し、胸の横で小さく手を開いた。
「うん、またいつか来るよ」
「ええ、待ってる」
俺は鞄を持つと、軽く手を振ってから、丘を下る階段を下り始めた。背中にはかすかに手を振って見送ってくれている小田桐さんの気配が残り、下っていくたびに薄れて消えていく。
そして、小田桐さんの気配が限界まで薄くなったとき、望遠鏡がなくなって軽くなった体を実感した。絶対に階段を下るのが楽であるはずなのに、俺の脚は重かった。
ごめん、小田桐さん。俺は嘘をついたんだ。
彼女に望遠鏡は引っ越し先に持っていけないなんて言われているなんて嘘だ。あれは結婚する俺が小田桐さんのことを忘れたくて、自分のそばに置いておきたくないだけなんだ。
俺の非常に身勝手な理由だ。
でも、帰り道にこんなことを思ってしまうなんて、まだ忘れることなんてできなんだな、俺は。
俺はその体に引っかかった嘘を吐き出すみたいにふっーと大きく息を吐いて、ゆっくり夜空を見上げた。頭上に広がる木の葉の間から天の川が見える。
次にここへ来たときは、小田桐さんに正直でいなくちゃ。彼女が夢を話してくれたあのころみたいに。
俺は夜空に流れる星の川にそう誓うのだった。
私は戸川くんが丘の下に続く階段を下るのを、彼が見えなくなるまで軽く手を振って見送ると、エプロンのポケットに入れておいたスマートフォンを取り出して、一本のメールを打った。
『今、要件が終わりました。明日荷物をまとめて撤退します。料金はそのときにお支払いします』
はあ……これで終わったんだ。
私は寂しい反面、解放感を感じていた。無論、嘘からの解放である。
実は、私は昔からの夢だった星空の下のカフェなんて開いていないのだ。別に以前カフェを開いて潰してしまったわけではない。最初から開いてすらないのである。
でも、あの夜戸川くんに話した夢が、あの場限りの作り話だったわけではない。あの夢は確かに抱いていた私の夢だったのだ。
でも、大学二年生のとき、父が病に倒れ、夢どころではなくなった。だいぶ自由奔放な生き方をしていた父は私と母に語録のような遺書ではなく、冷徹にも多額の借金を遺した。
だから、私は母に負担をかけないため必死に勉強をして留年することなく大学を卒業し、無事に安定した給料がいただける仕事に就いた。そのころの母はすでに馬車馬のように働く体力など持っていなかったから、私が汗をまき散らして働くしかなかったのである。
そんなとき、戸川くんから連絡を貰った。
『お久しぶり。中学の天文部で一緒だった戸川だけど、あのとき話してくれたカフェは開けた?』
あの夜、こちらから会いに来て、と約束までしたのだ。私は忙しくてそれどころじゃない、とはどうしても言えなかった。
私は見栄を張って『この間、やっと開けたの! 今度遊びに来て!』と返事をしてしまった。
あのとき、見栄なんて張らなければ良かった。まだ店は開けてないと本当のことを言っても、きっと戸川くんは「そっか」と言うだけで非難せずにいてくれただろう。
嘘を突き通した今、私の中に後悔だけが残った。
私は夜空を見上げた。空には美しい大きな天の川が流れている。
そして、それはあの夜と変わらぬ輝きを放ち、いつでもあの夜に立ち返れる。
本にまつわる本やインテリアがたくさん置いてある。コーヒーを入れるマグカップも可愛い星柄。天井は星が見えるガラス張り。外には望遠鏡を置いて、お客さんが自由に星を観察できるように……。
ああ、自分で言ったことだけど、結構素敵な理想。
――叶えたい。
私は天文部にいたころのように、純粋に自分の理想に憧れた。
きっと、私は父の死や仕事を言い訳に、あの夢を叶える労力を避けていただけだったのだろう。弱いなあ、私は。
でも、もう嘘つきの私はおしまい。今度は本当の私のお店を戸川くんに見せるんだから。
私は夜空に流れる星の川にそう誓うのだった。
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