プロローグ

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プロローグ

町があった。 町の名前はニトモチの町。 小さな町だが、はやり病や火事なども無く 人々は平穏に暮らしていた。 この町がただ一つだけ他の町と違うのは、 北にある、町を見下ろす緑の丘の上に 遥か昔から一人の魔女が住んでいる事だった。 魔女は、魔法と薬草を生業とし生活を送っていた。 町の者は家族に病や不調が起こると、 丘の上へと続く曲がりくねった小道を登り、 魔女の住む小さな白い小屋の前で、 助けたい者の症状を詳しく告げる。 この時、魔女は一度として姿を見せない、 町の者はただひたすらに無口な扉へと 語り掛けるのだ。 そして再び、 急な小道を下って町へと帰っていく。 町人は毎日同じ時間にそれを続ける、 そうするとやがて話題(ネタ)が尽きるので、 その者の症状だけでなく、 性格や子供時代の思い出話し、 はたまた恋人の惚気話しをする者まで出て来る。 要は病人に関する事ならば、なんだって良いのだ。 そうして通い続けるうちにやがて、 無口な扉の前へと一握りの顆粒薬、 ひと瓶の液体がぽつんと置かれる日がやって来る。 町人はそれを持ち帰り病人へと与える。 すると魔女の薬と不思議な魔法で たちまち病人は健人へと 癒されていくのだった。 そしてこの儀式の最後に、 元気になった者はそのお礼にと、 代理の者が丘へと通い続けた日数分、 お礼の品々―パンやバター、 干し肉や卵など―を魔女の丘へと運び 無口な扉の前へと置くのが習わしであった。 幾年月が流れ、 小さなニトモチの町に医者がやって来た。 医者は清潔な白い服を着て いつも笑顔であった。 町の者達は魔女の怒りを恐れ、 医者へと掛かる者はいなかった。 しかしある日、 身寄りのない老人が急な丘を登る事を億劫(おっくう)に思い、 医者の家の戸を叩いた。 医者は彼を招き入れ、 椅子に座らせると温かいお茶を入れてやった。 そして彼の話を聞き、相づちを打ち、手をさすり、 その日のうちに薬をくれた。 医者はその場で代金を受け取り「お大事に」と朗らかに笑った。 それが全てだった。 町の人達は魔女の丘へと登る代わりに、 医者の家へと通いだした。 医者の優しい説明と、直ぐに手渡せる薬。 町の人は、一度も開かれる事がない無口な扉の前での独り言よりも、 励ます瞳と温かい相づちを求めた。 何より平等に規定されている料金設定に、 安心と確信を覚えた。 そうして人々は、 誰一人として魔女の丘には登らなくなった。 小屋の扉は相変わらず開かず、 不平を漏らすことなく沈黙を守り続けた。 それに安堵したのか、 それとも奇妙ではあったが長年の付き合いを途絶えさせた、(ばつ)の悪さからか、 人々は魔女の悪口を囁くようになった。 「もともと、魔女に頼るのは嫌だったんだ」 「人の血と骨を乾燥させた薬を出された、あいつは悪魔さ人食いさ、本当さ」 「一カ月も通い続けて財を搾り取られた」 「魔女の丘には毒草が生い茂っていて、それで悪さをしている。毒女だ」 緑の丘の魔女はいつからか毒の魔女と呼ばれるようになっていた。
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