ラテアートバラード

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ラテアートバラード

 男は教室から出ると、イスに腰かけ読書をする女の姿を見かけ、声をかけた。 「ねえきみ、もし四限に講義がないのなら、正門前のカフェでお茶でも飲まないかい? 友達がバイトしてるから、タダで飲み食いできるんだけど」  女はチラと文庫本から視線を上げ、男の顔と身なりを一通り見定めてから、その目を再び、文字を追う作業に就かせる。 「四限は確かに空いているけれど、お誘いの文句があんまりだから、お断りするわ」 「お誘いの文句があんまりって、どこがだい?」  女の態度にムッとした男、しかしそれをどうにか表に出さず訊ねる。 「その言い方だと、まるで私が、『タダで飲み食いできる』ことにつられてついていくみたいでしょう?」  女の言い分に、男は思いがけず「確かに」と納得する。その様子を見て女、わずか得意になり、次なる言葉を紡ぐ。 「それに、一緒にお茶を飲むということは、少なくない時間、お話をするということよね。あなたがつまらない話ばかりする人だったら、大変。本を読んでいたほうが、確実よ。だから、お誘いの文句で、『自分は面白い話ができる』ということを、示さなきゃ」  意外にも勉強熱心な男、ご高説にフムと頷く。 「分かった。お誘いの文句を、言い直させてもらえるかな」 「構わないわよ」  女、すっかり教師の心持ち。男は腕組み、しばし考える。 「こういうのは、どうかな。……あるところに、著名なデザイナーの男がいた。男は今、ある競技大会のロゴマークをデザインするのに、頭を悩ませている……真っ最中なんだ。そこに、中学だか高校だかの同窓会に行っていた妻が帰ってきて、こう言う。『ねえ、私の昔の親友がね、喫茶店をやっていて……ラテアートのデザインに、困っているんだって。だからね、あなた一つ、なにか良いものを描いてくれないかしら』」 「ラテアート、ね」意外な話の切り口に、女、少し感心。 「男は不承不承、了解する。まあ競技大会のロゴデザインも、行き詰まっていたし……気分転換になるかもと、そう思ったわけだ。けれどラテアートのデザインなんて初めてだから、……そう、大変。  男はいろいろと勉強をして……最終的に、バラをモチーフにしたデザインを、描きあげる。花の部分をクローズアップしつつ、線を少なめに、デフォルメしたバラのデザインだ。  男はその出来に満足していたが、なにしろカンバスは液体。『これで大丈夫だろうか』と不安がりながら、妻にそれを渡す。妻は対照的に、『あなたがデザインしたものだと宣伝したいだけなんだから、きっと大丈夫よ』と、楽観的。男はその言葉に、がっかり。元通り、競技大会のロゴデザインに没頭するようになる。ラテアートのデザインをしたことなど、もはや忘却の彼方。  ……でもある日の昼下がり、男はふと思い出して、妻に言うんだ。『そういえば、ラテアートのデザインなんてのを、しただろう。一度その喫茶店に、お茶でもしに行かないか』……すると妻は気まずそうに、『やめておきましょう、あそこは普通の喫茶店では、ないし……』と、なんとも歯切れの悪い返事をする。  普通の喫茶店ではないって、どういうことだ? 男は疑問に思いながらも、ハッと気付く。『昔の親友』などと言うから、女だとばかり思っていたが……ひょっとしたらその『昔の親友』というのは、昔の男。だからわけの分からぬことを言って、その喫茶店に、俺を行かせまいとしているのではないか。そう考えた男は、妻には『そうか』と納得したように言いながら、仕事用のパソコンで、『自分の名前 ラテアート』と、検索する。  店の所在は簡単に分かった。『散歩をする』と言って出かけ、その店に着くと、男の疑念は、さらに強まる。確かにその喫茶店は、いわゆる『普通の喫茶店』ではなく、抹茶・緑茶を中心にした……まあ、一風変わった喫茶店ではあるものの、妻が嫌う要素は見当たらない。  男は店に入って、抹茶ラテを注文する。そして、妻の昔の男はどいつだろうと、店内を見回す。そこでちょうど、隣のテーブルから、男女のなにげない会話が聞こえるんだ。『……ねえ、このラテアート、なんの絵だろう?』『うーん、なんだろうなぁ……キャベツ、かな?』  男は人知れず、憤慨する。あのデザインをどう見たら、キャベツに見えるというのだ。でも店員が運んできた抹茶ラテを見て、男は頭を抱える。そこに描かれていたのは、確かに……男がデザインした通りの、緑色のキャベツだったんだ」 「…………、それは、なんとも……不幸なお話ね」女は本旨を忘れ、感想を言う。  反対に、男はきっかり、 「よければ今から、その抹茶ラテを飲みに行かないか?」と……結びの文句を、口にした。
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