魔法瓶の中の地球

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魔法瓶の中の地球

 八月十二日、ボクは子供会の田舎泊体験会で奈良のスゴイ田舎に行きました。  酔い止めの効き目で眠っているうちに到着した民宿には普通に家族が生活していて、ボクは初めてハエ取り紙をみました。いっぱいのハエがスイカの種みたいにくっついていて、ボクは羽を持たない人間で良かったと思いました。折角の羽をネバネバにくっつけられて、ハエは悲しいだろうと思いました。  ボクたちツツジ野二丁目の子供たち五人は、田舎の生活を楽しみました。民宿のおじさんやお爺さん、お姉さんやお兄さんが先生になって、畑の野菜を収穫させてくれたり、ポンプの水で遊ばせてくれたりしました。ポンプの水は最初鉄臭くて、いきなり飲もうとした友達は怒られていました。ギコギコと自分の力で汲み出したポンプの水はコンビニのミネラルウォーターの百倍美味しかったです。  川で鮎とりをしました。民宿のお爺さんは「安くないんだ、ちゃんととれ」と怒ったみたいな声で言いました。川の水は冷たくって足の裏がキュウキュウしました。友達はダムを作るんだと、石を積んでいました。でも川の流れは止まりませんでした。  僕は鮎を二匹捕まえました、借りた軍手に「坂本」と刺繍されていたので必殺坂本パンチで、僕は鮎を二匹とったんです。パチパチ鳴る簡易なかまどの火でお爺さんが鮎を串焼きにしてくれました。鮎は焼かれると体を縮ませて、表面がパリパリになります。塩がしょっぱくて美味しかったです。先生は、鮎の塩焼きを食べたことがありますか?  僕らが鮎を食べていると、河童が来ました。「キュウリと換えてくれ」そう言ってお爺さんから鮎を貰うと「サンキュー」と英語で言いスキップで去って行きました。お爺さんは「友達だ」と言っていました。ボクはさすが田舎だなと思いました。河童の頭にはちゃんとお皿があり、そのお皿はヌラヌラ緑の絵の具を洗ったバケツみたいな色をしていました。僕は溺れるのなら川ではなくそこなのかもしれないと思いました。先生、ボクは泳げるようになりました。けど、まだ平泳ぎはちょっと下手です。河童は泳ぎの先生になってくれるでしょうか。二泊のうちに再会はできませんでした、残念です。頼めばよかったです。  田舎の夜は真っ暗なので、僕らは懐中電灯を持って外を散歩しました。民宿のお姉さんが引率してくれました。お姉さんといっても中学生でボクらと三才しか変わりません。でもお姉さんは大人びていて、僕らに少し冷たかったです。  田舎は畑だらけで、カエルの声が何重にも耳を埋めました。スイカ畑やトマト畑、キュウリにトウモロコシ、夏野菜の色が夜に染まって気味悪く黒かったです。懐中電灯は遠くまで届くことがなく色はボクにも届きませんでした。 「テウモロコシじゃなくって良かったよ」お姉さんが言いました。「アナグラムでもう殺して、になるからね」アナグラムというのは文字の並べ替えのことだそうです。お姉さんは田舎が嫌いなの? 友達の一人が訊きました。「そんなことないけど」とお姉さんは懐中電灯で夜空を照らして言いました。その言葉は多分、嘘だったんだと思います。先生、トウモロコシはテウモロコシじゃなくって良かったなんて言う中学生は怖くありませんか?  ボクらは夜のバス停に来ました。トタンが錆びていて煤けたポスターはバス停の外側に貼られていました。どうして内側じゃないの? ボクはお姉さんにそう尋ねました。「宣伝だから」とお姉さんは言いました。ポスターのおばさんがレトルトカレーを持って、ボクに微笑んでいました。懐中電灯の灯りの中で。とっても怖かったです。 「ボロだね」友達の言葉にお姉さんはムっとしたのか、それとも悲しかったのか「そうだけど、雨が降るといいんだよ」と、ボロボロのベンチに腰掛けて目を閉じて上を見上げて言いました。「雨音の演奏会が始まる、そのお客になれるんだ」って。お姉さんは田舎が好きなのか嫌いなのか、わからなくなりました。でも、雨の演奏会という響きはボクにはカッコよく思えました。目を閉じたお姉さんに懐中電灯を当てると、「眩しい」と手で払われました。  先生、田舎の電信柱は木でできています。友達がふざけて「木」のポーズをしました。手と足を広げて、股間にプラプラ懐中電灯をぶら下げて、スッカリ「木」でした。文化祭の劇では木の役もあるんですか先生。友達の「木」は木の電信柱になり切っていて、野良犬が合格の印をして行きました。「ポチ師匠のお墨付きをもらった」と、友達ははしゃいでいましたが、濡れた脛とサンダルは不潔そうでした。犬は僕の懐中電灯では尻尾しか追えませんでした。探偵にはなれそうもありません。  田舎のバスは電線を引っ張って絵や文字を描くんだそうで、夜中なのに、山道へと走るバスのオレンジ灯りが確かに灯りの粉を振り落としながら走っていました。光、ではありません。それは電気の線なのでした。山から生えた鉄塔に吸い込まれて瞬きの隙間に竜の絵や「寿」の文字が描かれていました。先生、本当です。  スイカ泥棒が出ました。夜の散歩はイベント盛りだくさんです。自動販売機にはカエルがたくさんへばりついていて、電信柱の外灯には巨大な蛾が鱗粉を撒き散らしていました。カエルの合唱に輪唱するのは蛾が電球を叩く衝突音でした。「お姉さん、あの人スイカ……」友達がスイカ泥棒を指さしました。田舎の夜の散歩が友達の気を大きくさせていたのでしょうか。大阪では臆病な友達が、大きな声で言いました「ドロボー!!」お姉さんが面倒くさそうに「置いてってくれたら、黙ってます」と言いました。友達はお姉さんを睨んでいました。スイカドロボーはまるでバスケのパスみたいにスイカを投げると、お姉さんは見事にキャッチしました。懐中電灯で照らした救われたスイカは「ボウン」と美味しいスイカの証拠を鳴らしました。「帰って母さんに切ってもらうよ」そう言ったお姉さんにみんなで揃って言いました。「ドロボー」って。「いいんだよ、知り合いの畑だもの、ここらの野菜はみんなのものだもの」とお姉さんは怯みませんでした。  先生、作文の最後に星を拾ったことを書きます。田舎では星が降るんです。二泊目の夜のこと。ボクは友達を誘って星を拾いに行きました。バス停のトタンはすっかり星型にくり抜かれて、雨音の演奏会はしばらく休演だと僕は思いました。外灯の灯りも懐中電灯の灯りも、畦道に散らばった星よりも暗かったです。 「アンタレス」 「ベガ」  「アルタイル」  友達の女の子が星の名前を呼びながら、お茶の空き筒に星を摘まんで拾っていました。 「シリウス」 「プロキオン」  僕は星の名前を覚えていなかったから、その子を凄いと褒めたんです。でも別の友達に「出鱈目よ、凄くない」って耳打ちされました。夏なのに冬の星座にしかない星の名前を言ったらしいんです。トーク内容のレベルが高すぎてついていけませんでした。 「星の演奏会」その子は嘘の名前で拾った星たちを閉じ込めたお茶筒を振ってくれました。キラキラした音色がしました。ボクらはボロいバス停の中で宇宙にいました。まだまだたくさん星は降っていました。でもね、先生、僕は星の名前を一個も思い出せなかったから、たった一つの星だけ拾ったよ。それは地球です。  ボクは畦道に、バス停の中に、スイカ畑に、山の稜線に、自販機のカエルに、降り注いでいた星の中を駆け回って青い星をみつけたんです。慎重に摘まんで、首から下げた魔法瓶に入れました。  デネブもアルタイルもプロキオンも星を拾った女の子も民宿も、でっかい蜘蛛も、自販機も木の電信柱もスイカドロボーも河童もバスも、お姉さんもお爺さんも夏も、田舎も、全部魔法瓶の中で「良く振って飲むのよ」というお母さんの声が聞こえて、でも乗り物酔いの酷い僕は地球に悪いからやさしく二回だけ振って飲みました。  しっかり振らなかったのでまだ溶けていなかったデネブとベガが喉に引っかかりました。  子供会田舎泊体験会で、僕は地球を飲みました、先生もね。ごっくん。 ――これで良し。  ボクは作文を書き終えて夏休みの宿題リストにまた一個バツ印を打った。七月中に全部終わらせるんだ。八月は遊ぶんだ。ボクは田舎を知らなかったけど材料はたんと拾えた。昨日の夜、お父さんとお母さんとお婆ちゃんは田舎の思い出話に花を咲かせてたから、こりゃいいやって、ボクはこっそり忍者ウォークでリビングの扉に耳くっつけて全部聞かせてもらった。よっしゃ、これで田舎泊体験会の先取り作文はいただきだってね。 ――これで良し。後は工作と読書感想文やっちゃえばいい八月になるぞ。 ――十二日、ゆう君二泊? ――ええ、奈良に行くんですよ、田舎体験、子供会。 ――ゆうは田舎って初めてか? ――ですねぇ。私もあなたももう、実家ないですもん。 ――せやなぁ。 ――田舎っていえば、ハエ取り紙。私あれ大っ嫌いでした。何度も髪にくっついてね。痛いのなんの。 ――うちにはなかったなぁ。お肉屋さんかどっかで見たことはあるけど。 ――バスは一日五本でしたよ。 ――ああ、乗り遅れると諦めて帰ったもんだ。 ――あら、自転車で追いかけて乗ったことあるわよ私、自転車乗り捨てて。 ――ワイルドだなぁ。うちの庭にはポンプがあってね、最初は鉄臭いんだ。水。でもあそこから飲む水は美味かったんだ。夏でも冷たくて。 ――へぇ。近くの川で鮎とりをしましたよ。軍手で捕まえるの、私得意だったのよ。鮎の塩焼き、大人に頼んで河原でやってもらうの。 ――スイカは食べ放題だったよ、うちの近所スイカ畑だったからさ。 ――ポン菓子屋さんが来てねぇ、うちでお米もらって、持って行ったんさ。 ――母さんの思い出話しのレギュラーだね。何度も聞いたよ。 ――まだまだ聞かせるよ。 ――孝明がまだ小さい頃、スイカ泥棒が出たことがあってね。 ――あ、それは初耳かも。 ――ドロボーって捕まえたら近所の子の悪戯やって、お灸据えられとったわ、比喩じゃなくて。 ――ああ、モグサで。私のお婆ちゃんもやってた。 ――面白かったよな、田舎。 ――怖いこともあったけど。 ――例えば? ――喘息に効くからって、でっかいナメクジを……。 ――いい、いい、その話はいい。 ――怪談より怖いでしょう。 ――怪談、ってや、河童ね。 ――お母さん、会ったことあるんですか? ――まさか、でも友達の友達におったよ、キュウリとビー玉交換したって。相撲は誘われたけど断ったって。噂だけど。 ――いるのかしら? 河童。 ――いる。きっといる。 ――どうかねぇ。 ――怪談といえば、俺が子供の頃親戚の姉ちゃんが、今思えばあれは精神を病んどったのかね、一緒に晩飯にトウモロコシ食うてたんだ。したら、トウモロコシのアナグラムはもう殺してにあと一息だ、私みたいだって言ったんだ。どっこも見とらん目して。あれが俺の人生で一番の怪談だな。 ――怖い話、ですね。今、どうされてるの? ――東京でスタイリストやっとる。 ――みぃちゃんね。 ――ああ。 ――あの子は繊細で危なっかしいとこあったがね。 ――ああ。 ――田舎と都会は逆なところあるよな。 ――というと? ――ブランドもんとか、田舎で持ってると目立つよな、逆にカッコ悪くなることなかった? 靴袋とか、スーパーの袋が勝っちゃうような。 ――なんとなく、わかる。魔法瓶出始めた頃に持って行って、浮いた。みんな田舎臭い丸い水筒持ってたから。 ――魔法瓶ってや、孝明が子供の頃。 ――もう、母さん。 ――ヤマビコお土産に持ってきた、ゆーて。 ――あら、可愛いじゃありません。 ――魔法瓶に、ヤマビコ。私飲んだふりして、ヤッホーって言ったら孝明喜んでたなぁ。 ――無邪気なもんじゃん。小一だよ。 ――ヤッホーで良かった。他の言葉だったら泣かれてたとこ。 ――電柱、木だった。 ――うちの田舎もそうだった。 ――孝明は学校の劇で電信柱の役をやったね。 ――母さんの思い出記憶箱開いちゃったじゃないか、いい加減にしてくれ。 ――ポチにおしっこ引っ掛けられたら俺の役者魂はうんたらかんたら。 ――馬鹿じゃないの? ――うるさいな、情熱的でいいじゃないか。 ――バス停に貼ってたポスターはボンカレーの。 ――もらい湯に行ったらオロナミンC出してもらった。感動的な出会いだった。 ――母さん今でも好きだもんな。 ――バス停の小屋がボロでさ、雨が降るとトタンに雨音が近くって凄いの。 ――雨の演奏会だって、そのお客だよ私たち。そう言ったね。私。 ――覚えてるね、母さん。そうだよ。 ――雨も降るけど、田舎は星も降りますね。 ――ああ。 ――ええ、プラネタリウムより。 ――星の名前、三人で順番に言っていきます? ――やめろよ、俺、覚えてない。 ――私は星座とか好きだったから、たくさん、言えますよ。 ――あー、そうですか。 ――デネブ、アルタイル……。 ――河童は友達の友達だけどさ。 ――なんだよ、母さん、遠い目して。 ――バスが電線の電気引っ張って山道に絵を描くのはみたのよ。 ――なんです? それ。 ――それはそれは神々しい明かり、いや、電気の鱗粉。 ――また、でも俺その話聞くの嫌いじゃないよ、多分母さんのみた夢だけど。 ――夢じゃ、ないつもり、なんだけどねぇ。 ――あら、素敵じゃありませんか、人間なにかしら不思議なものを見るものですよ。 ――河童とか? ――ええ。 ――ふぅん。十二日か、ゆうはなにを見て来るだろうな。 ――さぁ、どうでしょう。
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